第3話



     2


 優がEdenzで働くようになってあっという間に一ヶ月が過ぎようとしていた。決して時給は高めではないけれど、元々好きな植物に関われることが嬉しかった。

「篠原さん、そろそろ日が当たってくるからお花の移動お願いね」

 奥から店長の礼子さんの声がかかる。

「はーい!」

 元気よく返事をすると、優は日差しのまぶしい表へ飛び出して行った。

 Edenzは礼子さんが作ったお店だ。推定三十代。美しい黒髪をなびかせて働く彼女は、今や優にとって憧れの人だ。お店は生花や鉢物の販売がメインだが、店長自らが講師となって定期的にフラワーアレンジメントや育て方の講座を開いている。花屋としてのコンテンツが充実していることに加え、接客が丁寧ということも評判がいい人気のお店だ。

「いい、篠原さん。どうして花が欲しいと思ったのか、どのような花が必要なのか。お客様の目線になって考えることが私たちの仕事には大切な事よ」

 面接の際に言われたこの一言を、優はしっかり胸に刻みこんでいる。ここにいると経営のこともとても勉強になる。

「お、優ちゃんお疲れ様。大変そうだね」

 鉢の移動に奮闘していると、出勤してきた悟さんが声をかけてくれた。背負っていたリュックを下ろして腕を捲る。

「ありがとうございます」

「いいって。この方が早く終わるだろ」

 そういって悟さんは笑った。日差しに彼の茶色の髪が透けてキラキラ光っている。

 

 面接に来た日も彼はここで働いていた。店長に続いて店の奥から出て来た優に気付くと、一瞬目を丸くしたがすぐに気付いてにこっと笑った。

「悟くん。彼女、新しくバイトに入ってもらうことになったわ。いろいろ教えてあげてね」

「篠原優と言います。どうぞ宜しくお願いします」

 慌てて頭を下げた目の前に大きな手が差し出された。

「僕は鬼沢悟。こちらこそ、どうぞ宜しく」

 名字は怖いけれど優しいし、とっても仕事熱心な人よ、と店長に言われ、怖いとは何ですか、と笑う悟さんの横顔が優の目には眩しかった。


「あれからどう、学校には慣れた?」

 鉢を移動しながらさりげなく聞いてくる。彼が親身になって話を聞いてくれることが嬉しくて、優は些細なことでも話すようになっていた。

「はい。友達もできたし、先生にも質問できるようになりました」

 学校に行っているうちに、みんながみんなばっちり服装やメイクをきめている子ばかりではないことに気がついた。教室には様々な雰囲気の人がいる。席順は決まっている訳ではないが、いつの間にか自分の定位置の場所ができ、だんだんクラスメイトの顔と名前が一致し始めた頃、いつものように中庭のベンチに腰掛けて一人お弁当を食べていると突然後ろから話しかけられた。

「それ、自分で作っているの? 凄く美味しそうね」

 振り向くと、いつも自分の座っている席の何列か前にいる女の子グループの中にいる子だった。特に会話らしい言葉を交わしたことがなかったので突然のことに驚いた。

「あ、ごめんね、急に話しかけて。私、留美といいます。山戸留美。宜しく」

 このタイミングで宜しくってちょっと変だね、と笑いながら彼女は握手の形で手を伸ばしてきた。肩くらいの長さの癖のない毛がさら、と揺れる。

「わ、私、篠原優です。こちらこそ宜しく」

 何故か敬語になりながら握手に応える。

「篠原さん、いつも美味しそうなお弁当を食べているって噂だったの。確か一人暮らしだよね?」

 くったくなく笑う彼女の笑顔は人好きがして、緊張が和らいだ。彼女はそのまま隣に座ると、自分もお弁当を広げて食べ始めた。ちらっと見ると、卵焼きにウィンナー、炊き込みご飯が所狭しと詰め込まれている。

「山戸さんのお弁当、とっても美味しそう――」

「うちはお母さんのお手製だけどね。良かったらおかず交換、しない?」

「うん。あ、優でいいよ。家では皆、『ゆう』って呼ぶから」

「わかった。じゃ、私のことも留美って呼んで」

 照れくさい自己紹介を交わした後、午後の講義の時間まで他愛ないおしゃべりをした。そして次の日から、何となく一緒にお昼を食べるようになり、自然と休みの日も出掛けるようになった。

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