第二十一話 噂の男はまだ出てこない

「行ってきまーす!」二人は声をそろえて言い、玄関を出た。

浩は。パイライトの制服である白ワイシャツとグレーの薄手のスラックス姿だ。

白いソックスに、白いスニーカー。なぜか横にHの文字が入っている。既製品のようで、浩のHではないらしいが、特に問題はない。


一方アリサは今日もプラチナの制服だ。パイライトの制服より、生地も縫製もいいし、胸に輝くPのエンブレムがまぶしい。Pはあくまでプラチナであり、パイライトではないのだ。 ブラウスには袖にも絵理にも細かい刺繍がしてあり、高級品であることをうかがわせる。

高級なせいか、背中からはあまり仲が透けて見えることはない。

ただ、アリサは胸のボタンを二つはずしているので、角度によっては中が見えそうだ。

ユニオンジャックの付いた、白いソックスと、上品な革靴を履いている。スニーカーの日はスポーティに見えるが、革靴を履いていると完全無欠の女子高生お嬢様だ。 金髪が光に揺れる。



今朝も、玄関を出てすぐに、手をつないだ。

これもルーティンだ。浩が右、アリサが←。路地の左側を歩いている。

「今日も暑いわね。」アリサが言う。

実際、もう九月だというのに暑い。

まあ、暑さ寒さも彼岸まで、というくらいだからあと二週間もあれば収まるだろうが。

蝉の鳴き声が始まった。アブラゼミだ。

これを聞くと、余計に暑く感じるのはなぜだろう。

ヒグラシやツクツクボウシの声を聴くと、なんだかもの悲しさを覚えるのだが、


ちょっと手汗もかいているが、浩は手を握ったままだ。そのほうが心地よいからだ。

実際にアリサと幼馴染だったら、小学校にもこうやって通ったかもしれないな。

浩はふと思った。

そういえば、自分は昔、幼馴染の「たまりちゃん」と手をつないだんだろうか? うちの近所の公園でままごとをやったり砂遊びをやっていた記憶はあるのだらが、手をつないだかどうかはあまり記憶にない。


やはり、小さいときの記憶はだんだん薄れていく。というか、新しい思い出が毎日のように出来上がってくるので、昔の思い出まで記憶するには浩の脳のキャパシティに限界があるのかもしれない。

まあ、なにか重大なことがあれば、自然に思い出すかもしれない。それがない、ということはとくに問題のある思い出はない、ということになる。


パイライトの校門の前で、アリサと同じプラチナの制服を着た、立ち姿の美しいショートカットの少女が待っていた。

昨日も会った、プラチナ学園の生徒会長をしている国立真弓だ。


「あら国立さん、ごきげんよう。どうなさいましたの?」アリサが優雅に挨拶する。

「アリサさん、ごきげんよう。ちょっとご相談があって、お待ちしておりました。」真弓が、ちょっとすまなそうに言う。アリサは、握っていた浩の手を放し、真弓に向き合う。

「どうなさったの。込み入ったお話ならば、場所を替えましょうか?」アリサはちょっと心配そうに言う。


「いえ、それほどのことでも。実は、アリサさんがパイライトに転校した、と聞いて、日野さんが興奮していました。アリサさんに、プラチナで嫌なことがあったのではないか、問題を起こした人間がいないか、とかおっしゃっています。生徒会としても独自の調査をしたうえで、学校当局に証拠をもっていって抗議する。そして原因となる人間を特定し、しかるべき処罰をしたうえでアリサさんに戻ってもらおう、と主張されています。」


アリサはちょっと顔をしかめた。

「あんたが原因よ。自分を処分しなさい、とでも言っておいて。どうせそんなことはありえない、何か事情があるに決まっている、とか頭の悪いことを言って、聞きやしないんだろうけど。」あれ、お嬢様モードが消えている。それくらい嫌な奴なんだろうか。


「日野さんはそういう人ですよね。自分のことを客観視できないという問題はありながらも、妙に行動派ですから、問題を起こさなければいいのですが…」国立真弓はため息をついた。

「まあ、すでに学校を去った私には、本来関係ないのですが。」お嬢様っぽくも冷たくアリサは言い放つ。

「日野さんには、原因は日野さんみたいよ、と軽く伝えてみたらいかがでしょう。」

「いずれにしても、そのお言葉、そのまま伝えてもよいのでしょうか?」

「いいわよ。うざいのからは遠ざかる。それが基本よ。」

お嬢様モードから離れたアリサがちょっと笑う。笑窪がかわいいな、やっぱり。笑うとちょっと垂れ目になるのもチャーミングだ。

「わかりました。日野さんが変に暴走しないといいのですが、保証の限りではないので、お気をつけくださいね。」

いったい、どんな人間なんだろう。その日野ってやつは。

よっぽど嫌われてるんだな。プロジェクトオーエヌはただの言い訳で、逃げるのが目的?逃げるは恥だが役に立つ?

「なんにしても、問題を起こす副会長が横にいると、生徒会長は苦労するわね。せいぜい頑張ってくださいませ。」

あ、その日野って男、生徒会の副会長なんだ。会長も大変だなあ。ちなみに男だよな、きっと。会長が女性だし。

「とりあえずお伝えしましたからね。彼に絡まれないようにお気をつけて。では、失礼いたします。」

そう言うと、真弓は軽く礼をして、プラチナ学園の門のほうに向かって颯爽と歩いて行った。


「日野って男は、とりあえず暑苦しくてうざくて変な奴だ、と覚えておけばいいわよ。まともにとりあえばとりあうほど疲れるから、放置が一番よ。もしヒロくんが彼に会うことがあったら、適当に受け流しておくことね。どうせこっちが何を言っても話は聞いてないから。」

アリサの説明も辛らつだ。ま、俺には関係ない話だし、とりあえず放置だな。


「じゃあヒロくん、行くわよ。」

アリサはそう言うと、再び浩の手を取って、自分たちの靴箱のほうに歩いていく。


いつまで手を握ってるのかなあ。ちょっと学校だと恥ずかしいかな。などと思いつつ、浩はアリサに従う。


靴箱で上履きに履き替え、また手を引かれる。

浩は、「牛に引かれて善光寺参り」ということわざを思い出した。

その意味を最初は知らなくて、トラックに轢かれて異世界に行くように、走ってきた牛に轢かれてしまい、善光寺ってお寺で葬式したり毎年親戚が墓参りに行く、という話だと思っていたが、どうやら違うらしい。牛は異世界直行のトラックではないようだ。まあ、牛に轢かれるってどういう状況だ?闘牛か、それとも暴れ牛か?暴れ馬に、なら聞いたことがあるが、暴れ牛に、なんてのはあまり聞かない。え?あだち充の漫画にある?知らないよ。牛車に轢かれるのもあるか。あ、これ、ぎゅうしゃじゃなくて、ぎっしゃ、って言うの?知らんがな。牛車なんて、どう考えてもゆっくりだから、よっぽどどん臭くないと轢かれることはないだろうな…などと妄想はどんどん下らない方向へと向いていく。

平安時代に、牛車に轢かれて現代世界にタイムスリップする…なんてラノベができそうだな。これの主人公を紫式部にでもしたら面白いかも。それとも安倍晴明かな?でも安倍晴明だと多分牛車に轢かれるようなどん臭さは考えにくいしなあ…。


「ヒロくん、どうしたの?もう教室よ!」アリサに声をかけられ、浩はふと我に返る。

アリサに引かれて教室参りか、それも悪くないかな。浩は小さく笑った。


その時には、すでに日野という男のことは記憶から消えていた。








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