邂逅

第15話 少年と暴挙

 祭りの当日、開始時間の十一時になると、呼びかけのかいもあって、鯨女神社の境内にちらほらと人が集まってきた。フリーマーケットに目を通す大人の姿や、魚のつかみ取りにはしゃぐ子供たちの声が、時間が進むにつれて増し、追善踊りが始まる十一時半になると安室に住むほとんどの住民が集まった。ライングループの情報によると、他の二会場でも住民が多く集まっているとのことだった。その情報を見て、タオは胸を撫でおろしたが、会場に来ていない住民がいないか、一軒一軒回っている信者たちもまだいる。完全に息を抜くことはできなかった。

 十一時半になって、追善踊りがいよいよ始められた。

 島の一年に一度行われる、はるか昔から受け継がれてきた重要な行事であった。

 本当なら家々を回って、路肩で行われる踊りなのだが、今年ばかりは意図もあってそれぞれの会場で行われた。

 追善踊りを継承している男性の大人と子供たちが、帷子かたびらを角帯で巻いて、頭には丸い菅笠すげがさ、足袋と草履を履いた伝統的な衣装を身にまとい、笛、太鼓、かねから奏でられる静かな演奏に合わせて、死者を弔うための歌声があたりに響き渡った。

 

あわずばかえれ

かえれきみ

このほどにさだめことばをまちれども

もふはさかりのしをすぎる


くれないの

ひしおのいろはかれるとも

きみかわるなよ

ちぎりそめしにあるにある


 人々はその静かな音色と歌声に魅了され、携帯やハンディカメラで映像に収める者がいるなか、踊りは厳かに進められていった。

 タオはその様子を見ながら、

(今なら抜け出しても平気かも。お父さんと一緒に諾人くんのもとまで行かなくちゃあ)

 と思い、遠くで踊りを見ていた勇一郎に近づこうとした時だった。

「おい! お前たち何をしているんだ!」

 と本殿の方角から男の怒鳴り声が聞こえてきた。その激しい怒声に、歌声と演奏は止み、あたりは少し騒がしくなった。

 本殿の方をみてみると、高齢の男性と六人の若い男たちが向かい合って、なにかもめているようだった。タオは胸騒ぎがして、本殿の方へと駆けていくと、タオよりも勇一郎が先に着いた。

「どうしました?」

 と勇一郎が高齢の男性に尋ねると、

「この若い兄ちゃんたちが、本殿の鍵壊そうとしてたんだ! まったくけしからんガキどもだ!」

 と興奮を抑えられないように答えた。

「君ら、いったいなんなんだ? どうして本殿の鍵を開けようとした」

 三人の男は、いかにも若者と言ったような恰好をしていた。原色の帽子、だぶだぶのティーシャツにズボン。三人とも同じような格好をして、一人はビデオカメラを手にしていた。他の二人は勇一郎を威嚇するように眉間にシワを寄せて、

「なんだよ、おっさん。俺たちに文句でもあるのか?」

 と挑発してきた。

「この神社は俺が管理している。勝手なことをするな。ここの神社はな、この島にとってとても神聖な場所なんだ。荒らすようなことをするなら帰ってくれ」

 すると、一人が勇一郎に近づくと、下から見上げるように睨みつけてきた。

「こんな田舎の神社が大切かどうかなんて俺たちの知ったことじゃねぇんだよ。俺たちはな、これからユーチューバーとして超有名になるんだ。ここで起きた怪奇現象の映像が今バズっててよ。同じ映像撮って、俺たちも有名になりにきたんだ。それでわざわざフェリーに乗ってこんな田舎までやってきてやったんだよ」

 若者の言葉を聞いて、タオははっとした。

(私たちが肝試しをした映像が、今頃になって話題になっていたんだ……太一くんもパソコン没収されてたし、私たちもそれどころじゃなかったから気づかなかったんだ)

 勇一郎はまるで押さえつけるように若者を睨みつけた。

「ふざけるな。そんなことでここが荒らされてたまるか。早くここから出てってくれ。漁師の力をなめるなよ。出ないのなら力づくで追い出してやるぞ」

 言葉には凄味があった。若者が一瞬たじろいだ。

 若いグループの一人が、

「おいおい、この子超可愛いじゃん!」

 とはしゃいだ声を出すと、タオのもとまでぐいぐい来てその腕をつかんだ。

 その男の下卑た表情に悪寒が走った。

「あの、やめてください」

 するとそこへ良太が現れて、

「やめろ、なんだお前ら」

 と掴まれた手を離した。男と良太がにらみ合うように向き合う形になった。騒ぎを聞きつけて、島の漁師たちが勇一郎の背後に並ぶと、

「お前ら、この島を荒らしに来たんだったら容赦しねぇぞ、馬鹿野郎」

 と一人が言い放った。

 一触即発な雰囲気が漂っているところへ、ついに若者の一人が、

「そんなめんどくせぇことしないで、こうすりゃいいんだよぉ!」

 と叫んで、本殿の木の扉を思いきり蹴り込むと、扉が割れてしまった。すると勇一郎が、

「お前ら! ついにやりやがったな! ふざけるな!」

 と怒号を張り上げると、その太い腕っぷしで目の前の若者を拳骨で殴り飛ばした。

「このおっさんやりやがったな! おい! やっちまうぞお前ら!」

 と若者の一人が言うと、勇一郎と良太、それから漁師たちと本島から来た若者たちの殴り合いの場になった。それまで祭りを楽しんでいた小学生たちや観客は混乱を極め、右往左往したが、

「公民館の中に入れ! そこなら巻き込まれることもない!」

 と誰か先導する声が聞こえた。声のする方角を見ると指田が立っていた。人々は、ケンカでもみ合う男たちを尻目に、公民館に逃げ込んでいった。


 諾人は、激しい運動をしたわけでもないのに息が上がっていた。包丁を手にシャツの中に隠しながら、緊張と恐怖と高揚感で心臓が口から飛び出そうだった。

 森に身を隠しながら、アパートの住民たちが祭りに出かけるのを見届けて、母親がいるであろうドアの前に立った。母親はお祭りなどに興味はないだろうし、予言を信じるわけもないから、部屋にいるだろうと踏んでいた。

 インターフォンを押した。ドア越しに足音が聞こえた後、「誰?」と母親であるカオリの声が聞こえたので、「僕だよ」と諾人は答えた。扉が開かれた。

 カオリの目元には青あざが広がっていた。諾人は驚きを隠せなかった。

「母さん、あの男に殴られたの?」

 と諾人が尋ねると、カオリは目を伏せて、

「うるさいね、あんたには関係ないじゃないか」

 と突っぱねた。その母親の顔を見て、諾人に強い殺意が急に湧いてきて、扉を引き開けると母親とドアとの隙間を通って、部屋の中へと突き進んだ。

「諾人、ダメ、その人を怒らせないで」

 と震えるカオリの声を耳にしながら、布団に横になっている男の側で立ち止まった。筋骨隆々の身体の全体に入れ墨を入れたその男は、パンツ一枚の姿で諾人を睨みつけた。

「なんだ、この間のガキじゃねぇか。なんだその目は? はは、本当に殺しに来たのか?」

 諾人が答えないでいると、男は舌打ちをしてから立ち上がった。諾人は自分の倍ほどは体の大きい男を前にして、身体を強張らせた。

 男は、下卑た笑みを浮かべて、

「おら、どうした? 立ってるだけじゃ俺は殺せねぇぞ? ほら、かかってこい。かかって来いよ、クソガキ!」

 と挑発すると、諾人は腹から包丁を取り出し、突き刺すような形で男にとびかかった。瞬間、顔に雷撃のような衝撃が走ったかと思うと、諾人の身体は吹っ飛ばされた。激しい痛みと共に一瞬意識を失った。

 男の嘲笑する笑い声が聞こえた。

「よわっちぃなぁ。おい、それで終わりか。俺がケンカのやり方教えてやるよ。かかってこい、ほら、かかってこいよ」

 諾人はテーブルの上に置いてあるガラス製の灰皿を男に投げつけた。男はそれを手ではらいのけたが、灰が目に入ったようで、短い叫び声をあげると目を手で覆った。

 諾人はその瞬間を見逃さなかった。彼はすばやく立ち上がると、再び包丁を手にして今度は本当に男の浅黒い腹を刺しぬいた。

 男は諾人を突き飛ばしたが、うめき声を上げながら、

「いてぇ、ちくしょう、いてぇよ。このガキやりやがったな」

 とまだ開ききっていない目で諾人を睨んだ。布団が鮮血で真っ赤に染まっていった。カオリの理性をなくした叫び声が部屋を満たした。

 男の腹から血がだくだくと流れるのを目にするとたかが外れ、諾人はまた男に立ち向かっていった。男はまだ視界が戻らないのか、諾人を突き飛ばそうとしたけれど当たらず、刃が男の右胸に突き刺さった。諾人が包丁を引き抜くと、男はうずくまって動かなくなった。

 諾人は床に手をつきながら、呆然自失として動かなくなった男を眺めていたが、

カオリに目を向けた。カオリは腰を抜かして、玄関のドアに背中をあずけてへたれこんでいた。

 諾人はむくっと立ち上がると、包丁を手にして母親の側まで歩いた。カオリは身体を震わせていた。

「立ってよ、母さん」

 と諾人は催促した。カオリは言葉が出ないようで、口をぱくぱくと動かすだけだった。


 それから二人は、歩いて神浦の海へと向かっていた。だがそれは並んで歩く親子の姿ではなく、母親が背中に包丁を突き付けられながら歩くという異様なものだった。眩しい陽射しが二人を射貫いていた。

「諾人……あんた、私のことが心から憎いんだね。そりゃそうだ、私が悪いんだ。全部私が……」

 諾人は母の背中を見ながらその言葉を聞いたが、何も答えなかった。ただ黙々と神浦の海を目指した。

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