再会
第10話 落ちた花冠
六日目 八月十四日
約束をしていたシロツメグサの原っぱに行くと、真っ白な花の絨毯の中ほどに、花を眺めているオチヨがいた。
(オチヨだ)
オチヨと再び会えたことが単純に嬉しかった。タオは跳ねるようにオチヨの元へと駆け寄った。
「オチヨ!」
オチヨもタオの姿に気が付くと、
「タオ!」
しゃがんだまま叫んだ。オチヨの傍にしゃがみこみ、
「島の神様、私と会うことを許してくれたんだね。なにをしていたの?」
と尋ねた。
「うん、短い時間だったらって……今ね、シロツメクサを見つめてたの。母ちゃんと一緒によくお花を摘みに来てたから」
「じゃあ、ここにはよくお母さんと来てたんだ」
「うん! 母ちゃん、花を摘むのがすごく好きだったから、よくオラをいろいろな花が咲いている場所に連れて行ってくれたよ。ここはその中でも母ちゃんのお気に入りの場所だったんだ。目が覚めてから、母ちゃんがいるかと思って島を巡ってみるんだけど、どこにも母ちゃんはいなくて……」
オチヨは、迷子のような不安と寂しさが押し寄せたような顔をした。
「そうだったんだ、それでここに?」
「だけど、オラ死んじゃってるから、もう花にも触れないみたいだ。柔らかい花の感触も、風の臭いも、わからなくなっちまった……」
寂しそうなオチヨの声を聞いて、タオはあることを思いついた。
「ねぇ、花冠作ってあげようか?」
「ハナカンムリ? なんだそれ?」
「お花で作った冠だよ。ほら、こうして……」
タオは何本かのシロツメクサを手折ると、編み込んでいった。輪っかが出来上がっていく様をオチヨは目を丸くしながら見つめていた。
「できた」
といって、一本の花冠を自分の頭に載せた。オチヨの目がさらに輝いた。
「すごい、すごい! なんだそれ! オラも欲しい!」
「じゃあ、オチヨの分も作ってあげるね」
と言って、また何本か花を手折り、編み込んでいるとオチヨが尋ねてきた。
「タオは、そんなに優しいのに……どうしてオラと鯨の眠りを覚ますようなことをしたの?」
手が思わず止まってしまった。オチヨはじっとこちらを見つめていた。
「それは……ごめんね、オチヨ。わたしたち、その……遊び半分で、あの化粧箱を開けちゃって……それで、友達の一人が櫛を盗っちゃったの」
オチヨは顔に暗い影を落とした。
「櫛がなくなって、目が覚めたときに、知らない大人たちがいたから、オラすごい恐かった。大きな体の人間がいるとどうしても恐くなっちまうんだ。父ちゃんに殴られたときのことを思い出して……」
(そうか、オチヨからしたら高校生の私たちでも大人に見えるんだ)
その時のオチヨの怯えた声が耳に残っている。
「そうだよね、恐かったよね。本当にごめんなさい」
と謝罪すると、オチヨはある思いを静かに語り始めた。
「あの櫛はね、母ちゃんがオラにくれた大切な櫛なの。あの櫛で毎晩、母ちゃんは髪をといてくれた。母ちゃんとお花を摘んだ楽しい日も、父ちゃんに殴られて恐かった日も……だから、あの櫛にはオラと母ちゃんの感情がいっぱい詰まってるんだ。だから、あの櫛が近くにあるうちはオラも安心して眠ることが出来る。あの櫛はオラと母ちゃんの唯一のキズナなんだよ」
オチヨの櫛への感情にタオは揺さぶられた。
「そうだよね、大切な櫛を私たち……必ず見つけてまた返すから。それまで待っててくれない?」
「うん、オラもあの櫛を見つけるまではまた眠ることはできないから……タオ、手が止まってるよ?」
オチヨに急かされて、再び花冠を編み出したが、ふと湧いた疑問をオチヨに尋ねてみた。
「そういえば、この島のもともといた神様ってどんな神様なの? 天隆神社の神様でしょう?」
「そうだ。天隆神社の神様はな、曲がりなりにも神様として祀られているオラにいろいろなことを教えてくれた。教えるといっても言葉じゃなくて、頭にすっと入ってくるように教えてくれるんだ。オラは自分のことを神様だなんてまったく思わないけど、島の人々の信仰がある限りは神様なんだって。でも、祟りを起こした神様だから、お前は祟り神なんだよって。櫛がある間はきちんと眠って、島の人たちを見守らなきゃいけないって教えてくれた」
「眠っている間はどんな感じだったの?」
「眠っている間は、音だけが聞こえてきた。音だけじゃなくて、島の人々の感情も流れてくるようだった。島の人々の喜怒哀楽を何百年間という歳月ずっと感じてきたよ。ときどき、オラの神社にやってきてお願いごとをしていく者もいた。良太と結婚したいっていうタオみたいにな」
と囃すように言われると、タオはまた顔を赤らめ頬を膨らませた。
「もう! いいじゃん、その話は!」
オチヨはその顔を見ると高らかに笑った。
「でもオラには願い事を叶える力なんて持ってないんだ。ただ話しを聞くだけだ。だけど天隆神社の神様は、本当にときどき人々の願いを叶えてやったりしていた」
「願いが叶えられることもあったの?」
「本当に時々。でもなにが理由で叶えられているのかはオラにはわからない。神様の気まぐれかもしれない。母ちゃんが教えてくれたんだけど、天竜神社の神様は、生きているものの世界と死んでいるものの世界を繋げる力があるんだって。天隆神社に死んでしまった人間の遺したものを供えて、それから祈るんだ。すると霊魂とその者を会わせたりした」
「天隆神社の神様にそんな力があるだなんて知らなかった……」
思えば、鯨女神社よりはるか前からこの島に祀られている神様なのに、どんな神様がいるのか知ろうともしなかった。
「なんだ、知らなかったのか? 今の人間には伝えられてないみたいだな。オラの時代に神様といえば天隆神社の神様だ。みんな大事にしたものさ。オラも鯨女神社に祀られるようになってから、何度も母ちゃんと会わせてください、って神様にお願いをしたけどいつもなんの反応もなくて叶ったことはないよ。母ちゃんのものを供えてないから、神様も誰とオラを会わせたらいいのかわからないんだろうな」
霊魂を引き合わせる神様……そのことがタオに強く印象づいた。
「さぁ、できたよ、オチヨ!」
編み終わった花冠を思わずオチヨの頭に載せようとしたが、花冠はオチヨの身体をすりぬけて、草原にぼてっと落ちてしまった。
「あっ」
落ちた花冠を寂しそうにオチヨが見下ろしていた。
「ごめんね、オチヨ。つけられないの忘れてたよ」
タオはいたたまれない気持ちになった。
「いいんだ、タオ。オラは死んでしまって物に触れられないから、こんなにきれいな花冠を頭につけることももうできないんだ。でもな、見てるだけでいい。こうしてタオがオラのために作ってくれたものを見てるだけで幸せなんだ」
オチヨは笑ってそう答えた。それが無理に作っている笑顔のように思えて、タオはなおさら物悲しさを感じた。
オチヨの姿が透明度を増して、薄らいでいった。
「オチヨ……身体が……」
すると、オチヨは寂しそうに笑顔を浮かべると、
「もうお別れみたいだ……タオ、また会いたいよ。また会ってオラとお話ししてくれ」
「うん、また会おうね。私もオチヨともっとお話しがしたい」
「うん、きっとだよ、タオ……きっとね」
オチヨはタオに手を伸ばしたが、届く前にすっと消えてしまった。花冠だけが後に残って、シロツメクサの群生が小さく風に揺れていた。タオは花冠を持って、子鯨の墓まで歩くと、墓標の前にそっと置いた。簡素なその墓を眺めながら、鯨の怒りを納めるある方法を思いついていたが、それが正しいことなのかどうかわかりかねた。
(でも、やるしかないよね……今日で六日目だし……終わらせられなかったらみんな死んじゃう)
生唾を呑み込んでから森に入って、できるだけ平らな木片を拾って再びお墓まで戻ると、それで墓の土を掘りだした。途中、大きな石があり木片が折れることもあったが、そのたびに新しいものを持ってきて掘り続けた。
直射日光に肌は焼けるようだった。大粒の汗が滝のように流れたが、一心不乱に土をうがち続けた。
(三人を救うには、もうこの方法しかわからない……)
指田の老人の話しだと、ヨネはクワを使って掘ったとのことだから、その深さまで掘るのはそうとう時間がかかるかもしれない、そう思いながら三十分ほど掘り続けると、なにか柔らかい感触が木片の先に当たった気がした。
(なにかに当たった、これがもしかして……)
それから、木片を捨てて手で土を払うように少しずつ掘っていった。傷つけないように、注意を払いながら。
すると、土で真っ黒に汚れた生地の一部がみえた。
(これだ……これがヨネさんが埋めた子鯨の……)
全貌がみえるように、また木片でその周囲も掘り続け、生地の近くまで掘ると、また手で少しずつ崩していった。そうして、始めてから一時間ほどたち、ようやく全貌が姿を現した。タオはその黒い液体が染み込んだ生地を両方の手の平で掬うように持ち上げ、土の上に置いた。
四百年前に埋められたであろうものが本当に目の前にあることが不思議だった。今までは古文書や言い伝えだけだったのに、実物が目の前にあるのだ。
恐る恐るその生地を開いてみた。さすがになかに入っていた心臓は溶けてなくなっていたが、数本の骨がまだ形を成していた。複雑な思いを寄せながら、その骨をしげしげと眺めてまた生地で優しく包み込むと、両方の手の平で抱えながら森へと進んでいった。
(……待っててね、お母さんに会えるようにわたしが神様にお願いしてあげる)
生地は長く土に埋まっていたから、雨水のためかしっとりと水分を含んでいた。そのぐにゃりとした柔らかさの中に、たしかに鯨の骨の固い感触があった。
タオはその生地をバイクのリアボックスにしまうと、天隆神社を目指した。
天竜神社に来たのはこれが二回目だった。五十段ほどの階段を見上げると、その先には荘厳な石で作られた鳥居が立てられていた。石段を上がりながらこれから神様にお願いをすることを考えると、緊張感が増してきた。
(このお願いが叶えられなかったらどうしよう……)
石段を上がり切ると本殿へと続く石畳が敷かれ、その途中にまた十段ほどの短い石段と二つ目の鳥居があった。
(どうして鳥居が二つもあるんだろう?)
と疑問に思った。神社の鳥居は境内に一つというのが当然だが、この神社には最初の長い石段と、本殿へ続く短い石段と二つある。しかも二つとも石でできた立派なものだった。
二つ目の鳥居を見上げてから、本殿へと歩を進めていった。子鯨と一緒に神様の前に進んでいるような気がした。
権現造りの本殿は、物々しい雰囲気が漂っていた。二本の柱に張られた太い注連縄が特徴的だった。
賽銭箱の裏に回って、本殿の引き戸の前に子鯨の遺骨を包んだ生地を供えると、鈴緒の前に戻った。
鈴緒を振ると、涼しげな音が響き、二礼二拍手の後、子鯨の素性について心の中で神様に説明をしてから、
(今日の夜、この子鯨のお母さんと神浦の海で会うんです。そのときに、この子鯨と母鯨を会わせてあげていただけませんか。どうか、どうかお願いします)
と手を合わせた。すると、それまで風も吹いてなかったのに、急に強い風が吹いて、森をぐるりと騒がせた。その風は十秒ほど吹くとすぐに止んでしまい、それから強い風は吹かなかった。
タオが不思議に思いながら周囲を見渡していると、
「きゅぅぅぅぅぅぅぅ……きゅぅぅぅぅぅぅぅ……きゅぅぅぅぅぅぅぅ」
と鯨の鳴き声が聞こえてきた。
(まだ明るい時間なのに、どうして?)
長く錆び着いたような声は、いつにも増して寂しさをはらんでいるように響いた。
(古文書の通り今日鯨様は三人を呼ぶつもりだ……)
ラインの通知が来て、みてみると勇一郎からだった。今日は、また分散して櫛探しをしているはずだった。
――今の鯨様の鳴き声聞きましたか? まだ昼間なのに……。六日目だからでしょうか、今晩三人を呼ぶためにもう鳴き出したのかもしれません。
すると刺水主が、
――俺も聞いた。鯨様の元に行ってしまったら三人は死んでしまう。うちはもう、太一を縄で縛って動けないようにしたけど、他の二人は?
頭衆がそれに反応した。
――うちは怪我をしているからまだでしたが、これから戻ります。心苦しいですが……。
すると遠見が最後に、
――うちはまだ良太を動けないようにしてませんでした。夜になるだろうと思って油断していた。これから戻ります。
と返信をした。
(良太、大丈夫かな……)
胸騒ぎがした。落ち着いていられず、境内にある岩に座ってじっと携帯を眺めていた。数分して、また遠見からメッセージが来た。
――妻から連絡があって、良太が家から飛び出して行ってしまったようです。昨日まで、ほとんど飲まず食わずなのにどこにそんな体力があるのか……。すみませんが、私はこれから良太のことを探します。櫛探しをみなさんお願いします。時間が限られてきました。祟りが終わることを祈るしかありません。
タオはその文章を食い入るように見つめ、手が震えた。
(良太が……あの良太がいなくなっちゃった……)
冷静沈着で頼れる良太が、鯨の鳴き声に呼ばれて行ってしまうなんて、もう正気は残っていないのかもと考えると心配になった。
――私にも良太を探させてください。
そうタオが打ち込むと、
――いや、やめたほうがいい。良太が家から出るのを止めようとした妻が突き飛ばされてケガをしたようだ。タオちゃん一人だと危ないから、タオちゃんは祟りを止める方法を探して欲しい。今日は六日目だから、なんとしてでも祟りを止めないと三人が危ないんだ。
と遠見から返信が来た。だが、良太のことを考えると、タオはじっとしてはいられなかった。良太を捜すことを決めて立ち上がった。
――。
夕方の五時になって、リョウコは神浦にある「スナック まみ」の店の前に立っていた。この島唯一のスナックで、いつもなら漁師たちが集まって酒を酌み交わしている時間だが、最近の不漁で中から音はしなかった。
前々から目にしたことはあったが中に入ったことがないので、恐る恐るドアを引いてみた。店内は薄暗かった。入って左側にソファーのボックス席があり、右側はカウンターになっていた。
「あら、いらっしゃい。女の人が一人でなんて珍しい」
そう話したのは、カウンターの内側にいる初老の女性だった。この店のママらしく、花柄のキレイなワンピースを着て、怪訝そうな顔をしていた。
「あの……諫早さんという女性はここで働いているのでしょうか?」
諫早という名前を出すと、女性は眉をひそめて、
「諫早? あぁ、カオリのことね。働いてたけど、昨日から来ないのよ。あなたカオリのお友達?」
「……いえ、ちょっと諫早さんのことについて聞きたくて」
すると、女性は急に不機嫌そうに、
「そう。本島の人間はダメね、恩知らずで。母子家庭って言うもんだから同情して雇ったら黙って男といなくなっちゃったわよ」
と愚痴を漏らした。
「男の人と? 男の人がいるんですか?」
「一週間ぐらい前かな。本島から出稼ぎでやってきた男が毎日飲みに来るようになったんだけど、ずっとカオリのことを口説くのよね。それでカオリもその気になっちゃって、わたしあなたと一緒にいられるなら子供なんていらないわ、なんて言い出すのよ。でも、その男もカタギには見えないから止めたんだけど、心配した通り昨日から顔を出さなくなっちゃった」
「それで、カオリさんの居場所はわからないんですか?」
「わからないわね。まぁ、同情で雇ってただけだから来ないなら来ないでいいんだけどね」
リョウコはお礼をいうと、店を出てタオに電話をかけた。
「タオ? 昨日聞いたスナックに来て今話しを聞いたんだけど、諾人君のお母さん、もしかしたら客の男の人と駆け落ちしちゃったかもしれないわよ」
「え? じゃあ諾人君は?」
「それがね、子供なんていらない、なんて言ってお店に来なくなっちゃったみたいなの。もしかしたら諾人くんだけ、部屋に取り残されてるかもしれない。男と一緒に逃げて子供を放置しちゃう母親がたまにいるのよ」
「……わかった、私、諾人くんの部屋知ってるから様子見に行ってみる」
タオの声が慌てていた。気を付けて、と言おうとしたら電話が切れてしまった。そそっかしいところは幼いころから一緒だ。
(無事でいてくれればいいけど……)
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