第9話 決意

 バイクを西光寺で拾ってから、安室診療所へと向かった。時刻は十八時を回っていて、あたりは暗くなっていた。携帯を開くと母親からの着信が何度もあったが、画面を消した。心配をして掛けてくれていることはわかるが、今はとにかくヒカルの母親に謝りたかった。

 診療所のドアは鍵がかかっており、ノックをすると医者が現れた。

「君は……」

「先日来ました頭衆ヒカルの友人です」

 医者は、ため息をついて、

「まだヒカルさんは面談謝絶だよ。ずっとうなされててね、痛みと悪夢で一睡もあまり眠れてないんだ」

「あの……ヒカルのお母さんと話がしたいんですが……」

「お母様も看病で疲れていてね。娘さんがあの状態だから、ろくに眠れてないみたいなんだ。僕もあまり眠れてなくて疲れているから、悪いが帰ってもらえないか?」

 確かに医師の声と表情には疲労が見て取れた。先日のヒカルの様子からすると、母親の状況も理解できた。

「わかりました、では……」

 そういって帰ろうとしたとき、医師の後ろからヒカルの母親の声がした。

「タオちゃん?」

 タオは、振り返って、

「ヒカルのお母さんですか?」

 と尋ねると、ヒカルの母親が医師の陰から姿を現して、

「……先生、少しだけいいですか? 私も聞きたいことがあるので」

 と許可を求めると、医師は渋々了承をして、入ってすぐにある待合室のソファーに二人を促し、奥の部屋へと入っていった。

 タオは、母親と横並びに座ったが、その顔には明らかに疲労が浮かんでいてやつれていた。

「あの……おばさん、この前なにも知らないと嘘をついて本当に申し訳ありませんでした」

 とタオが切り出すと、

「どうして知らないと言ったの?」

 と母親は語気を強めて尋ねてきた。

「……あの祟りのことについて、島の人たちに話すかどうか、肝試しにいったメンバーで話し合ったことがあるんです。祟りのことについて知れば島の人たちがパニックを起こすんじゃないかという話しになって、それで黙っておくことにしたんです……でも、ヒカルがこういうことになってしまって、おばさんには話すべきだったって後悔しています。本当にごめんなさい」

 タオが頭を下げると、少しの沈黙があってから、母親が少しずつ話し出した。

「ヒカルはね、あの事件の後からあまり眠れていないの。麻酔もないから、ケガの痛みが全身に走ってるみたいで……それから、幻覚もあって、天井をみながら、殺さないで、殴らないで、ってずっと言ってるのよ。それも恐いみたいで眠れないみたい」

 言葉が出てこなかった。ヒカルは自分の身代わりで、大怪我をしたようなものなのだ。

「肝試しのことについては、私は怒ってないわ。祟りのことなんて、島の年配者しか信じてないことだったし……友達が行くといったら、まだ若いから行くのもわかる。でも……娘のことについてなにが起きているのか、それをただ知りたかっただけなの」

「ごめんなさい……私」

「ねぇ、タオちゃん。あれが本当に祟りだとしたらヒカルはどうしたら助かるの? これからあの子にはなにが起きるの?」

 母親には不安の表情が浮かんでいた。祟りという今までにない奇怪な現象にうろたえているようにも見えた。

「あの祟りを掛けたオチヨ様に会って、それで、私だけ祟りが解かれたんです。私、オチヨ様の母親に顔が似てるみたいで……他の三人の祟りを解くには鯨様の怒りも解かなくちゃいけないって言われました……でも、鯨様のことは詳しいことがなにもわからなくて」

「……じゃあ、祟りを解く方法はまだわからないのね?」

「はい、私も三人を救いたいので今、調べているところです」

「それで、このまま祟りが続いたらあの子はどうなるの?」

「祟りのことについて書かれた古文書によると、祟りが起きた六日目、つまり明日なんですが、鯨に海に呼ばれて行ってしまうと死んでしまうと書かれていました」

「じゃあ、ヒカルは……」

 母親の顔によりいっそう濃い不安の色が浮かんだ。

「ヒカルは怪我をしていて歩けないから、大丈夫だとは思いますが、万が一のことを考えて動けないように縛っておいたほうがいいかもしれません……痛々しいし、心苦しいですが」

「そうすれば、ヒカルは助かるのね?」

「でも、それで例え六日目を乗り越えられたとして、その後のことは誰にもわからないんです。もしかしたら、毎日鯨に呼ばれて、悪夢を見続けるだけかもしれないし」

 その言葉を聞くと、ヒカルの母親の目に急に怒気が表れ、身体が震えだした。

「なによそれ!」

 抑えていた感情が爆発したように、母親は激昂し、立ち上がった。

「あの子が苦しむ姿をこれ以上見ろっていうの? 食事もまともにとれないし、このままだとあの子はどっちにしろ死んじゃうわ……あの子ね、あの事件からまるで赤ん坊に戻ったみたいに、世話してあげないといけないのよ……こんなこといつまで続ければいいの? ねぇ、お願い! 助けて! あの子、まだ十七歳なのよ、まだまだ楽しいことがたくさんあるのに……」

 そういってその場に泣き崩れた。タオはしゃがんで寄り添った。

「私も、私だってみんなのことを助けたいんです……私だけ助かって、三人が死んじゃうなんて耐えられない。だから、三人の祟りは必ず私が解きます、絶対に助けますから」

 声が震えているのが自分でもわかった。

 母親はその言葉に、真っ赤にさせた泣き顔を上げて、

「ごめんね、タオちゃん、急に怒鳴ったりして……眠れなくって、私も体力の限界だから、ついいらだっちゃって」

 と手で口元を隠しながら、涙で声を震わせた。


 ヒカルに会うことはせず、病院を出た。

家に帰ると食卓には夕飯が並べられ、母親のリョウコが手を付けずに座って待っていた。おかずにはラップが掛けられている。時計をみると十九時を回っていた。タオはテーブルにつくこともせず、部屋の入り口に立っていた。重苦しい沈黙が流れた。

「ただいまぐらい言いなさい」

 リョウコは目を合わせることもなく言った。

「ただいま……ご飯食べないで待ってたの?」

「一人で食べる気が起きなくてね……お義母さんはまだ寝込んでるし、お父さんは漁師の人たちと櫛を探し回ってるし、娘は帰りが遅いのに連絡もよこさない」

「ごめんなさい……なんか責任感じちゃって、祟り解く方法、聞いて回ってたの」

 リョウコは深いため息をついた。

「祟り、祟り、ね……友達が心配なのはわかるけど、私にあまり心配かけさせないで。ご飯まだでしょ? 一緒に食べよう」

「うん……でも、いらない。食欲ないの」

 リョウコはきっとタオを睨みつけた。

「いいから座って、ご飯ぐらい食べなさい! あなたが倒れちゃったら、それこそ友達助けるどころじゃないでしょ!」

 有無を言わさぬ迫力に負けて、タオは食卓の席に着いた。リョウコがレンジで温めている間、時計の針の音がやけに目立った。

 リョウコがご飯をよそって、再びおかずをテーブルに並べた。タオの好きな豚の角煮が湯気を立てて、皿に盛られていた。

 おかずや白米を、無言のまま口に運んでいるとリョウコが話し掛けてきた。

「それで……オチヨっていう子とは会えたの?」

「……うん、いろいろとお話しできたけど、祟りの解き方まではわからなかった」

 リョウコは箸をとめた。

「本当に会えたの? 祟りを起こすんでしょ、危なくないの?」

「オチヨは普通の女の子だよ。それに、今祟りを起こしているのはオチヨじゃなくて鯨様の方みたい」

「そう……でも、オチヨっていう子も可哀そうよね。父親の暴力が原因で死んでしまったなんて……記録に残されていないだけで、虐待死っていうのは昔からあったのよね」

 そういって、味噌汁をすすった。虐待死、という言葉を耳にして、今度はタオが箸をとめた。

「ねぇ、お母さん。虐待を受けてる子って保護することはできないの?」

「オチヨ様を? さすがに死んだ子は無理よ」

「違うの……オチヨを一緒に探してくれた男の子がいるんだけど、その子、母親から虐待を受けてるみたいで全身がアザだらけなのよ」

 リョウコの顔が急に険しくなった。

「そんな子がいるの? どこに住んでいる子なのよ?」

「神浦港の裏のアパート。近所でも、虐待なんじゃないかって噂になってるんだって。でも本人も暴力を受けてるって言ってたから間違いないと思う。お母さんは、夜の仕事してるっていってた」

「女性で夜の仕事っていったら、神浦にあるスナックしかないわね。この島に一件だけある」

「その子のこと、助けてあげることできないかな。助けてあげないと、ニュースに出てくる子供たちみたいに殺されちゃうかも」

 リョウコは考え込んでから話した。

「そうね……この島には児童養護施設なんてないから、連絡するとしたら本島の施設になると思うけど、今は高波でこっちに来れないからね……でも、世の中には子供に暴力を振るうことに悩んでいる母親がたくさんいるから、私がその人の話しを聞いてあげることぐらいならできるかもしれない」

「うちで預かれないのかな? 私、その子になにもしてあげられないから、児童養護施設で働いていたお母さんならなにかできるかもと思って」

「特別な許可を持たないで子供を勝手に預かると誘拐罪になってしまうのよ……でも、明日そのスナックに行ってみるわ。なにか助けられるかも」

 母親の協力が得られたことに安堵を覚えて、

「ありがとう、お母さん」

 と笑った。ここ最近、祟りのことなどで笑うことが少なくなっていたことにふと気が付いた。

 入浴を済ませ、部屋のベッドの上で膝を抱えて座っていた。

(明日が祟りの最後の日……古文書の通りだと、鯨様が三人を呼んで殺そうとするはず。でも祟りの解き方がまだわからないのにどうしたら)

 祟りを鎮める方法がない今、不安で胸が押し潰されそうだった。明日になって、鯨に呼ばれて三人が死んでしまうことや、明日殺されなかったとしても、三人の苦しみが一生続くような気がして、とても眠れる気がしなかった。

ドアをノックする音が聞こえ、返事をすると入ってきたのは祖母だった。意外な訪問者にタオは驚いた。

「おばあちゃん」

「タオ、隣り座ってもいいかい?」

「うん、座って」とタオは答えて、隣に座ってもらった。久しぶりにみた祖母の顔は少しやつれたようにみえた。

「おばあちゃん、ごめんなさい。私がみんなを止めていればこんなことにはならなかったのに。おばあちゃんの体調、悪くしちゃって、本当にごめんなさい」

 キミヨはタオの目をじっと見据えると、その手を取り、

「タオ、確かに起こしてしまったことは許されることではないかもしれないが、自分だけを責めてはいけないよ、今は祟りをとめることだけを考えるんだ」

 と慰めた。

「おばあちゃん……」

「なぁに、祟りさえ止まればあとはみんなもとに戻るさ。タオのことだから、みんなに迷惑をかけて眠れないんじゃないかと思ってな。だけど、オチヨ様に唯一会えるのはタオだけなんだ。他の大人たちが櫛を探すのに躍起になっているかもしれないが、タオだけにしかできないことがあるのだから、今はゆっくりと休むことだ。そして明日になったらまた動くんだ」

「ありがとう……ごめんなさい、私のせいでみんなに迷惑をかけてるのに」

「いいんだよ、大切な孫が悩んでるんだ。あたしもいつまでも寝込んでるわけにはいかないだろ。それで、祟りは解けそうなのかい」

 タオは祖母から視線を外した。

「まだわからないの。でも、明日オチヨ様とまた会えるかもしれないの。なにか祟りを解く方法を聞き出すことができれば、みんなを助けることができるはず」

「またオチヨ様と? タオはすごいよ、羽刺家の人間だって、神様であるオチヨ様に会えた人間なんて誰もいないのに、それを二度も会ってしまうだなんて。オチヨ様と会うのだったら、なおさらだ。今日はもうお休み。疲れてる顔をみせたら神様に失礼だからね」

 そのキミヨの言葉に、心配や不安が少し溶けたような気がした。

「ありがとう、おばあちゃん。おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ」

 と言ってキミヨは部屋を出た。タオはベッドのふちに腰かけて、しばらく呆然としていたが、電気を消して布団に入った。

(明日で終わらせる……三人を絶対に助ける)

 そう考えながら、いつの間にか眠りについてしまった。


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