第6話  諫早諾人《いさはやだくと》

 キミヨは、タオの悪事がショックで寝込んでしまい、二人の年寄は鯨女教の信者たちに事実を伝えに西光寺へと向かった。三人の父親たちとタオは太一の家へと向かった。刺水主とタオの二人が聞き出す役になった。

 太一の部屋の前に行き、刺水主がまずノックをした。返答はなかった。二人は顔を見合わせて頷き合うと、ドアを開けた。

 カーテンから漏れ出た明かりだけが部屋を映していた。パソコンなどの電子機器が勉強机に並び、カメラやマイクアームなど、動画撮影に必要な機材が雑然としていた。どれも、太一がお小遣いを貯めて買ったと自慢していたものばかりだった。

 太一は部屋のベッドに横になって、壁を見つめながらぶつぶつと呟いていた。

「太一……」

 と刺水主が沈痛な面持ちで息子に近づいて行った。

「お前が本当に、オチヨ様の櫛を盗んだのか?」

 太一は独り言をやめて、恐る恐る父親を視線だけで確かめると、「うわぁぁ」と絶叫して、壁沿いに背中をつけて座り、膝の間に顔を埋めてガタガタと震えだした。

「助けて! ごめんなさい、ごめんなさい! もう悪いことはしませんから! 俺のことをぶたないで! 殺さないでください!」

 刺水主は豹変してしまった息子に言葉を失いながらも、その両肩をつかんで、

「なにを言っているんだ、太一! 俺だ、よくみろ! お前のこと殴ったりなんかしないから本当のことを言うんだ! お前が櫛を盗ったのか」

 だが太一は震えた声で、

「ごめんなさい、ごめんなさい! 俺を殺さないで!」

 と謝り続けた。

 刺水主はなす術のない息子を見て、悲嘆に暮れた。

 タオが、

「私に任せてもらえませんか? 太一くん、耳の中の笑い声で外の声が聞こえないはずなんです」

 と説くと、刺水主はタオの顔を見て、立ち上がると二歩ほど下がった。太一と向かい合うようにタオもベッドに正座すると、太一の頬にそっと手をあてた。太一は一瞬びくっと体を震わせたが、ゆっくりと恐怖で歪んだ顔を上げた・

「あなたは……もしかして……オチヨ様のお母さん?」

 太一がタオの目をみて尋ねた。タオは少し戸惑いながらも、携帯電話に文字を打ち込んだ。

――どうして、私がオチヨ様のお母さんだと思ったの?

 太一はその文字をみて、震えながらとつとつと話し出した。

「夢をみるんだ……同じ夢を。俺が身体の大きい男の人に何度も何度も殴られる夢。夢のはずなのに、本当に痛くて、殺されそうで恐くて。何度助けてといっても、謝っても、その男の人は俺を殴ってくるんだ。目が覚めても体に痛みが残っていて……。男の暴力が終わると、女の人が現れて心配そうな顔をして駆け付けて、俺のことオチヨって呼びながら優しく抱きしめてくれるんだ……その人とあなたの顔がそっくりだから……」

 太一は、目の前の女性がタオだということに気が付いていない様子だった。

――夢で私のことを見たのね?

「そうなんです、本当にごめんなさい……悪いことをした俺のことをあなたも殺しに来たの?」

 タオはかぶりを振って、

――私はそんなことしないわ。ただ、本物の櫛をオチヨ様のもとに返してあげたいのよ。

「……ごめんなさい、実は、俺が盗んだんです。偽物の櫛と入れ替えて」

――本物の櫛は今どうしてるの?

「あの櫛は違う誰かに拾われちゃったんです……恵比寿屋の牧場で、鯨の化け物に追いかけられているときに落としちゃったみたいで」

――どうして拾われたってわかるの?

「そのとき、カメラも一緒に落としてしまって……でも鯨の化け物が恐くてすぐに取りに行けなかったんだ。だから、次の日の昼間にカメラを取りにいったら櫛だけがなくなってて……落としたカメラを見返したら櫛を拾う腕が映ってるんです。あぁ! 俺、殺されちゃうのかなぁ!」

 太一が取り乱して頭をかきむしったが、タオがまたその頬に触れると、すると再び落ち着きを取り戻した。

――大丈夫、太一くん。あなたを殺させはしないから。私は……絶対にあの櫛をみつけてあなたたちを助けるから。

 太一は震えながらタオを見定めているようだった。

――それから、もう一つ教えてほしいんだけど、太一くんは今、なにに怯えているの? 暴力を振るわれるのは、夢の中だけではないの?

「みえないんですか? あの黒い影です」

 太一はタオの背後の壁を指さした。タオは振り返ったが、そこには薄暗い壁があるばかりで、黒い影などなかった。

「大きな男の黒い影があるでしょう? その影が俺に暴力を振るおうとする。それが恐くて恐くて仕方がないんです……それで、眠ると、男の人に暴力を振るわれる夢を見る……あの黒い影は、多分、オチヨ様の父親の影だ、俺を殺そうとしてる」

 と震える声で話した。


 一階のロビーに降りて、刺水主が事情を説明し謝罪した。

「バカな息子が本当に申し訳ない。タオちゃんも、さっきは乱暴なことを言ってすまなかった。気が立ってどうかしてたんだ」

 それから太一が話していた映像を全員で確認した。牧場の草原に血の跡のようなものがあり、それを追って森の中に入ると、巨大な鯨の化け物に出会い、そこから逃げ出す。自転車に乗る手前で、カメラが落ちた。画面には一緒に落とされた櫛が映っていた。

「……これが鯨女神社に奉納されていた櫛か」

 と頭衆が誰に言うともなく呟いた。

「いつ拾われるんだろうな。倍速にしてみましょうか」

 刺水主がカメラを操作し、十倍速になった。草木が揺れる以外は、特に変わった様子もなく時間だけが過ぎた。

「車が一台も通らないですね」

 と頭衆がいった。

「島から外に出ないようにという通知メールが来てから、外出する人が減りましたから」

 と勇一郎が返事をした。

 画面はついに夜になってしまった。カメラの自動ナイトモードが機能し、明るい緑色の映像に切り替わった。それから間もなくして、一瞬、腕が映り、櫛が消えた。

「そこだ! 今の場面に戻れますか?」

 と遠見がいった。刺水主が捜査して、櫛を拾う瞬間で一時停止をした。

「この腕……子供の腕じゃないですか?」と刺水主が言うと遠見が、

「本当だ……子供の腕にみえる。子供がいる家々を回って、聞き取りをしてみませんか。恐らく、小学生くらいの子供に思えますが、幸いこの島には小さな子供は少ないから、ターゲットを絞れば探しやすいと思うんです」

 と指針を出すと、全員が賛同し、さっそく行動に移すことにした。


 時間はとっくに正午を回っていた。どの地区を誰が回るのか役割分担を決めると、一旦それぞれの家に戻り、昼食をとってから動き出すことにした。ライングループを作成し、受け取った情報を共有できるようにした。

 安室方面をタオと勇一郎、神浦を刺水主と遠見、その中間の前平地区を頭衆で聞き込みをすることになった。

 プリントアウトした櫛の写真を持ち歩きながら一軒一軒のインターフォンを押して回った。

「鯨女神社に祀っていた櫛がなくなってしまったんです。恵比寿屋さんの牧場で、子供が拾ったような映像があるんですが、心当たりはないですか? 探してるんです」

 相手の反応はまちまちで、比較的若い年齢の住民はいまひとつ心に響かないのか他人事のようだったが、年配の住民は一大事だというようにことの重大さを理解してくれた。子供も呼び出してもらって、一人一人に尋ねてみたが有力な情報は特にはなかった。

 二時間ほど経過したとき、遠見からライングループにメッセージが来た。

「神浦の家にはあらかた聞き込みを行いましたが、特にこれといった情報はありませんでした。他の地区はどうですか?」

 すると、他の人からもそれぞれ結果が送られてきたが、全員が芳しい成果を得られていなかった。

「やり方を変えて恵比寿屋さんの牧場の近くを捜索してみませんか? もしかしたら落ちている可能性もある」

 遠見の呼びかけに、賛同の声が集まり、恵比寿屋の牧場に集まることになった。


 安室から恵比寿屋の牧場に向かう途中だった。タオがバイクで上り坂を走っていると、遠くから白い着物を来た集団がなにか声を上げながら行列をなして歩いてきた。

(なにあれ?)

 バイクを停め、陽炎によってぼやけた行列が段々近づいてくる様を注意深く眺めた。白衣と衣笠を身に着けた七十代から八十代の老人が中心に、手を合わせてお経を唱えながらタオの横を通り過ぎていった。

 奇怪なものを見ているようだった。


「それ、俺もみたよ。お遍路さんみたいな格好で、お経唱えながら歩いてたな」

 牧場でタオが先ほど見た一団のことを話すと、頭衆が反応した。

「あれは、鯨女教のご信者さんだよ。祟りのことを知ったから、島を、お経を唱えながら練り歩いてるみたいだ」

 遠見が冷静に答えた。

「……私、初めて見ました。なんのためにあんなことをしてるんですか」

 とタオが尋ねると、刺水主が、

「羽刺さんのお嬢さんは、オチヨ様信仰でも神社系列だから知らねぇかもな。あれは、現形げきょうといって、オチヨ様が姿を現してくださるようにお祈りをしているんだ。オチヨ様が姿を現したとき、祟りが治まると言われているからな。年に一度、島の平穏を祈って西光寺の敷地内で行うものなんだけど、祟りが起きている今は特別みたいだ。俺も島を練り歩く形があるのは知らなかったよ。よっぽど鯨女教の人たちは危機感があるみたいだ」

 それから牧場に沿う道端や、森の中の捜索が始められた。

 捜索が始まってから、三十分ほどが経過して、遠見がタオに話しかけた。

「タオちゃんは、オチヨ様が見つかれば祟りが解けるかもしれないと言ってたね」

 急に話しかけられ、どぎまぎしながら、

「はい、だけど、みつかって願いをしたところで本当に三人の祟りが解かれるかどうかはわからないんです。お前だけは助けてやるって言われたので」

「どうして、タオちゃんだけをオチヨ様は助けたんだろう」

「……わかりません。ただ、お前は母ちゃんそっくりだ、ってオチヨ様は私にそう言いました」

「お母さんに?」

 遠見は考えるように顎をさすりながら、

「オチヨ様は羽刺家のご先祖様だったよね?」

「はい」

「もしかして、タオちゃんはオチヨ様のお母さんにそっくりなんじゃないかな。だから、タオちゃんだけは祟り殺すことができなくて、特別に祟りを解除してくれたのかも」

 タオは視線を落として考えてから、

「……どうなんでしょう、オチヨ様のお母さんの絵は、家に伝わる古文書にも載ってなかったのでわかりませんが。でも、太一くん、オチヨ様の父親に殴られる夢をみて、そこにオチヨ様のお母さんが現れるって言ってました。それで、私のこと、オチヨ様のお母さんだと勘違いしちゃって」

「だとしたら、オチヨ様を見つけてタオちゃんからお願いをすれば、もしかしたら三人を助けてくれるかもしれないよ」

「……私もそれは考えたんですが、オチヨ様がどこにいるのだか皆目見当がつかなくて……羽刺家の血を引く女は、もともとオチヨ様の存在を感じることができるみたいなんですが、祟りを解かれてからわからなくなってしまって」

「……でも、この祟りを終わらせるには櫛を見つけるかオチヨ様に祟りを解いてもらうしかないんだ。櫛が見つかればそれですむけど、見つからない状況だって考えられる。六日目の夜に、鯨様のもとに行けないように三人を縛って行かないようにしたとしても、七日目からどうなるかはわからない。もしかしたらずっと続くかもしれない。だから、ここからはタオちゃんと僕たちとで分かれて行動しないか? 僕たちが櫛を探して、タオちゃんはオチヨ様を探す。今のタオちゃんの話しを聞く限りだと、オチヨ様はタオちゃんに危害を加えることはないと思うよ」

 タオは背中を押されたような気がして、

「わかりました。私きっとオチヨ様に会ってみんなの祟りを解いてもらいます」

 とはっきり答えた。


 父親たちに別れを告げると、タオはまず神浦の海へと歩き出した。三十分ほどの道のりである。バイクで向かってしまうと、途中でオチヨがいても気が付かない恐れがあった。昼間の熱波はいくらか薄らいだが、それでも、タオの体力をじわじわと奪っていった。時折、風が吹いて草木が騒いだ。

 陽が暮れかけていると思ってから、沈むのはあっという間だった。辺りはすっかり夜に包まれた。

(着くころにはちょうど、鯨様が海から現れる時間かもしれない)

 鯨が姿を現しても、そこからオチヨと会う算段は特になかったが、今は神浦に向かうしか手掛かりはなかった。少なくとも、鯨とともにオチヨは現れる。

 オチヨの姿を探すので、周囲を見渡しながら歩いた。この島の道は、ほとんどが木々に囲まれている、全体が山のようだった。暗くなってくると街灯がほとんどないこの島では、夜空と木々の見分けは暗闇の濃淡だけになる、タオは自分までもが夜の暗闇の一部に化したような気がした。

 神浦まであと十五分というところで、例の鳴き声が島全体に響きだした。

(鯨様の鳴き声だ……、もう姿を現すころだ)

 それから数分して、爆発音のような音が轟き、草木が風に騒いだ。これからまた巨大なものに向かっていく恐ろしさがわいたが、逃げ出すわけにはいかなかった。


 神浦の街は、島からの外出自粛を促すメールにより外に出ているものは誰一人いなかった。木造建ての家々が立ち並ぶノスタルジックな街並みを街灯だけが所々を照らしていた。海は昼と比べて荒さを増していた。

 防波堤を抜けて、浜辺が見渡せる場所まで辿り着くと、その浜辺の中ほどに小さな人影が見えた。

(子供のようだけどもしかして)

 人影は立ち尽くしながら呆然と荒れた海と対峙していた。タオは少しの希望を抱きながら近づいていると、海から大きな鯨が水しぶきとともに飛び上がった。それは瞬く間に天上へと上り詰めた。鯨の背中には人影があった。

(鯨様の背中にしがみついてるの……オチヨ様だ。じゃあ、浜辺にいる子供の人影は島の子供なんだ!)

 タオは全速力で駆けだした。地面を蹴る度にズックのなかに砂が入り込んで、痛みが走ったがそれどころではなかった。浜辺の人影は男の子のようだった。男の子は海から飛び上がった鯨の姿を目で追いかけていた。

「危ないよ! そこから逃げて! もうすぐ大きな波が来る!」

 大声を上げると、やっと少年はタオの存在に気が付き、こちらを振り向いたがそこから微動だにしなかった。高々天上と飛び上がった鯨が、海面へと背中を叩きつけると、耳をつんざくほどの轟音が鳴り渡り、やがて大きな波が壁のように押し寄せてきた。

 タオは、少年を抱きかかえると、海とは反対側の町の方へと駆け出した。重さが増した分、足裏の痛みは強くなったが走るしかなかった。ブロック塀まで辿り着くと倒れ込んだ。昨日、良太がタオを避難させてくれた場所だった。

 高波は足元を少し濡らす程度でひくと、砂浜を黒く濡らしていった。磯の香りが鼻をついた。

「大丈夫だった? 外に出たらいけないって家の人にいわれてないの? どうしてあんなところにいたの?」

 少年はなにも答えない代わりに、警戒心をむき出しにするように眼光を光らせると、タオの腕のなかで暴れてそこから逃げ出そうとした。だが、その痩せっぽちの身体からは逃げ出せる力もなく、もがくだけもがいて、ついにはタオの髪を引っ張りだした。

「痛い痛い! やめて! あなたあそこでなにをみてたの? ……もしかして、あなた、あの鯨様の姿がみえるの?」

 そう尋ねると、少年は大人しくなり、目を丸くして初めてタオと目を合わせた。

「神浦の海から鯨が飛び出すのがみえたの? あなたそれをみてたんでしょう?」

「お前、あの鯨の姿が見えるのか? あの鯨はなんなんだ? 鯨の背中に乗ってる女の子は誰だ?」

 少年は鯨とオチヨのことについて知りたがっているようだった。

「信じられない……私の他に鯨様とオチヨ様の姿がみえる人間がいるなんて……」

「オチヨ様?」

 タオの力が弱まると、少年は腕から逃れタオと向かい合った。

「そうよ、あの女の子の名前。この島の神様なの」

「神様? あの女の子が?」

「あなた、どうしてあんなところにいたの? 鯨様の姿がみえるなら、なおのこと危険だってわかるじゃない?」

 少年はあぐらをかいてその場に座り込んだ。

「海に違和感があったんだ」

「違和感?」

「お前、あの鯨と女の子のことなにか知ってるのか?」

 少年は見定めるようにタオの目を見た。ぼさぼさの髪に、薄汚れた顔と服、明らかに普通の家庭で育っているとは思えなかった。

「鯨様とオチヨ様のことについて知りたいの? どうして?」」

 とタオは尋ねると、少年は目を伏せて、ぽつぽつと語りだした。

「時々あるんだ。草むらとか、水場とか、いたるところに違和感があって、でも見てもなにもないんだ……でも確かになにかがいる気配を感じるんだよ。あのオチヨって女の子からも感じる。昼間の感覚はきっとあの子なんだ」

「それって……もしかして、神社にいったときにも感じたりしない?」

「……神社ってあまり行ったことがないからよくわからないけど……だけど、前に一度、初詣で近くの神社に連れて行ってもらったことがある。まだ本島にいたときだ。そのとき、みんながお参りをしていく建物のなかから強い違和感があってすごく怖くて、近づきたくなかった。でも母さんや父さんに話しても誰も信じてくれなくて、家に帰ってから怒られて、すごくぶたれたんだ。変なこと言うな気味が悪いって、母さんは怒るんだよ。父親が怒るからやめろって」

 タオは、それはきっと神様の存在を感じる力だと思った。でも、本人がそれを神様だとわかっていなかった。

「……私も神社に行くと神様の存在を感じたり、甘い匂いを感じたりするの。でもおばあちゃん以外はわかってくれなくて」

「……そうだ、だから俺も人に話したのはこれが初めてだ。お前は、この感覚がわかる人みたいだから……。でも、あの鯨と女の子からは甘い香りがしない、食べ物が腐ったような変な臭いがする。俺は神様なんて信じないけど、あれが神様だとしたらどうしてこんな臭いがするんだ」

 街灯に映る少年の顔にはところどころアザがあって、ゴムの伸びたTシャツの襟首からみえる肩や鎖骨のあたりにもアザがあった。よくみると、手首からは斑点のような腫物が随所に見られた。タオは、追善祭りの練習の時に聞いた男の子の名前を思い出した。

「あなた、諫早いさはや諾人だくとくんじゃない?」

 少年は驚いた顔をした。

「どうして俺の名前を知ってるの?」

「追善踊りの練習に来てた男の子が教えてくれたの。諾人くん、学校でケンカばっかりしてるって言ってたわよ」

「……そんなの、俺が悪いんじゃねぇよ」

 タオは笑みをたたえた。

「わかってる。からかってくる子が悪いに決まってるもん。ねぇ、私に協力してほしいことがあるの」

 モノを頼まれるのが珍しいのか、諾人は困惑している様子だった。


 並んで座ると、タオはこれまでのことをすべて打ち明けた。鯨女神社の祟りの言い伝えのこと、肝試しをしたら祟りにあってしまったこと、櫛を神社に戻せば祟りが終わるが櫛がみつからないこと。

「祟りが終わらないとどうなるんだ?」

「古文書によると、巨大な津波がこの島を襲って、神浦と安室の町が波にさらわれてしまうらしいわ」

「島が? この島が波で壊されちゃうのか?」

 諾人は興奮しているようで、身を乗り出して聞いてきた。

「そう。だからそうなる前に祟りを治めたいんだけど、オチヨ様がどこにいるのかわからなくて。夜、オチヨ様は鯨様の背中にいるから話すことが出来ないし。でも、昼間のオチヨ様ならこの前みたいに話すことができるはず」

「それで、俺はどうしたらいいの?」

「諾人君の神様の気配を感じる力で、一緒にオチヨ様を探してほしいの。オチヨ様に直接お願いをして、この祟りを解いてもらう」

「俺の力が必要ってこと?」

「そう、お願い! 祟りが治まらないと友達が死んじゃうの! 助けて!」

 諾人は真剣な眼差しで、タオのことをじっと見つめてきた。信用していいのかどうか疑いの目でもあったが、タオはそこから目を離さなかった。祟りにあった三人のことを頭に思い浮かべた。

「……わかった。俺もそのオチヨっていう子に会ってみたい。江戸時代に父親の暴力で死んでしまった女の子に興味があるし。だけど、母さんが家にいる間に外に出たことがバレると殴られるから……。それに、あのオチヨっていう子の気配、昼間はいろいろなところを移動しているみたいだ」

「オチヨ様が?」

「そう。しかも、南の方にいるかと思えば、次の瞬間には北にいたり……けっこう早く移動するんだ」

「でも、探すしかないわ。位置さえわかれば、追いかけてればそのうち会えると思う。だけど、お母さんはどうするの? 知られたら怒られちゃうんでしょう?」

「母さんは夜の仕事だから、朝起きるのが遅いんだよ。だいたい昼間ぐらいに起きる。だから、それまでの間だったら一緒に探すこともできるかもしれない」

「ホントに? じゃあ一緒に探してくれるのね?」

「うん、だけど俺が母さんから殴られているのは誰にも内緒だ。誰かに話したことがわかったら、絶対に協力しないからな」

 とにらみつけながら言い放った。

 タオはたじろぎながらも約束した。

「わかった……じゃあ、そのことは話さないでおく。お母さんには知られないようになるべく早く探して帰れるようにするから」

 諾人はまたタオの目をじっと見据えた。タオは別れを切り出して立ち上がった時に、また巨大な鯨が海から飛び上がり、長い咆哮をあげた。その姿を見て、タオは決意を再び強くし、鯨の背中にしがみつくオチヨに絶対に会おうと心のなかで誓った。


 諾人をアパートまで送って、部屋に入るところまでを見届けると、夜道を歩いて帰ろうとした。すると、携帯に通知がきて、みると母親のリョウコからラインが届いていた。

――今どこにいるの? もう暗いから帰ってきなさい、迎えにいくから。

 だが、タオは一人で帰る気でいた。三人と諾人の不遇を考えると気が沈んでしまうし、明日のことについて思いを巡らせたかった。

――今、神浦。ごめん、一人で歩きたいから迎えは大丈夫だよ。暗い道なんて慣れっこだから平気だし。

 歩いていると、返信があった。

――なにいってるの? 親の気も知らないで。今は変なことばかり起きてるんだから、いうこと聞きなさい。

 怒りの感情が文面から伝わってきた。

――わかった、ごめんなさい。

――神浦の町にいるのね。今迎えに行くから、神浦の郵便局のあたりで待ってて。

 「わかった、ありがとう」と返信をして郵便局に向かった。


しばらくすると車が来た。乗り込むと、母親は無言で車を走らせた。たぶん、怒っているのだと思い、タオは思わず、ごめん、と呟いた。

「どうして怒ってるかわかる?」

 とリョウコは投げかけた。タオは思わず黙ってしまった。

「こんな遅くまで女の子が。連絡ぐらいよこしなさい。それに櫛を探すのが大事なことなのはわかるけど、これは本当に祟りなの? なにかの間違いなんじゃないの?」

 母親からそう問い詰められると、タオもやっきになってしまって、

「祟りじゃないとしたらなんなの? わたしも肝試しの次の日から女の子の笑い声がして、オチヨ様に祟りを解かれていなかったら今頃、他の三人と同じように普通に話すこともできなくなってるんだよ? 連絡しなかったのは悪かったけど、三人を助けるためにも櫛とオチヨ様は探させて」

 すると、リョウコはため息をついて、

「ヒカルちゃんがあんなことになって、焦っているのはわかるけど、あまり心配をかけさせないで。それに、そのオチヨっていう女の子がもし本当にいるとして、祟りを起こすような子に近づいていいの? あなたに危険はないの?」

「オチヨ様は本当にいるよ。私、会ったんだもん。それに、オチヨ様は無闇に人に危害を与える子じゃない。だから、ちゃんと話せばわかってくれると思うの」

「……わかった。友達のこと助けたいんでしょ? なら好きにしたらいいけど、遅くなるんだったら連絡をして。あと無理はしないで。できるだけ大人の人と一緒にいなさい」

(もう私だって大人なのに)

 と口にこそしなかったが、タオはそれを不満に思った。それから、はっと思い出して、

「そうだ。恵比寿屋さんの牧場にバイク置きっぱなしだった。ごめん、恵比寿屋さんの牧場寄ってもらえる?」

 リョウコは、わかった、と返事をして牧場へと向かった。

 車はバイクの後ろに停まった。車を降り、ふと牧場をみてみると、懐中電灯の明かりが三つ、牧場に点在していた。

「遠見さんたちだ……」

 とタオは呟いて、柵の傍に寄っていった。車に気づいた一人がこちらに近づいてきていた。

「タオちゃんか」

 暗がりで姿がみえないが、その声は遠見だった。

「どうだった? オチヨ様とは会えたかい?」

「昨日と同じで、鯨様の背中にいたんですが、話しはできなくて……でも、もしかしたら明日の午前中会えるかもしれません。私と同じ、神様の気配がわかる子にさっき会ったんです」

「そうなのか……そんな子がこの島にいたなんて知らなかったよ」

「遠見さんたちはずっと櫛を探していたんですか?」

「……そうなんだ。牧場だけじゃなくて、島を歩きながら、道を端から端まで探すんだけど見つからなくてね。刺水主さんと頭衆さんとタオちゃんのお父さんもまだ探してるよ。明後日までだと思うと気が気じゃなくてね」

 声に疲れの色が現れていた。自分も協力したい気持ちがわいてきて、

「あの、私にも探させてください」

 と申し出たが、

「いや、タオちゃんは帰ったほうがいい。もうすっかり暗くなってしまったから。それにリョウコさんにも心配をかけてしまったろうし、悪いことをしたよ。明日、オチヨ様に会うのだとしたら、今日はゆっくり寝て明日に備えなきゃ。タオちゃんにはタオちゃんにしかできないことがあるんだよ?」

 と断られた。タオは肩を落として、

「わかりました。すみません、力になれなくて……」

 と謝ったが、遠見は「気にしないで」といって櫛の捜索に戻った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る