慟哭

第5話 喪失

四日目 八月十二日


 祟りが始まって四日目の朝、大島支所からメールが届いた。

「八月十五日に予定しておりました追善祭りが中止になりました。理由は、最近起きている高潮、牧場被害の原因が今だ不明であり、島民の方々からも不安の声が数多く寄せられているためです。原因がわかり、対処の結果によっては再び実行される可能性がありますが当面は中止の方向です。今は安全のため、島民の方々もできるだけ外出はお控えください」

 メールの文面を見て、練習に精を出していた子供たちの姿が浮かんだ。

(お祭り中止になっちゃったんだ……子供たちもあんなに一生懸命練習してたのに。これも祟りを起こしちゃった私たちのせいだ)

 再びオチヨに会って祟りを解いてもらわないと、と自らを奮い立たせて顔を洗いに洗面台に向かった。顔に水をかけてこすり、鏡を見上げた。じっと顔を見ながら、昨日良太に告白されたことを思い出していた。

(このまま良太が死んじゃったら……わたし、悔やんでも悔やみきれない)

 パジャマから洋服に着替えて玄関に向かうと、複数人の男の声が聞こえてきた。

「羽刺さん、お願いします。鯨女神社の櫛、確かめさせてもらえませんか? 祟りが起きてるって、親父たちがずっと心配してるので見るだけでかまいませんから」

 みると、良太とヒカルと太一のそれぞれの父親と二人の老人、子供が一人玄関口に立ち、上がり框に立つ勇一郎と話していた。

 ヒカルの父親である頭衆かばちが、

「台風が来てるわけでもないのにあの高潮はおかしいし、なにより遠見さんの息子も刺水主さんの息子さんもなにやら様子が変だって言うじゃないですか。うちの娘が屋上から飛び降りて、それだけでも不思議なのに、あいつ病院でなにかに怯えるようにずっとうなされてるんですよ。祟りなんて嘘だと俺も思ってたけど、なぜこんなことが起きているのか、娘がなにに怯えているのか、それが祟りでもなんでも理由を知りたいんですよ」

 と逼迫ひっぱくした表情で勇一郎に訴えた。

「わしからもお願いします。夜に聞こえるあの声は、六十年前に祟りが起きたときの声ととても似ている、と鯨女いさめ教の人たちと話してるんです。わしら二人は、鯨女教の代表としてここに来たんです」

 と老人の一人がいった。良太の父親である遠見が、

「息子の様子も変だし、親父もこういって聞かないもんですから。櫛を見せてもらえませんか。親父に聞けば、あの櫛がなくなると祟りが起きると聞いています。櫛があれば、私たちたちもひとまずは安心します」

 漁師たちの嘆願の最中、連れられてきた子供はのんきに携帯電話で動画をみているようだった。必死のお願いに、勇一郎は困惑した。

「困ったな。あの櫛は神社の大切なもので、私たち羽刺家の者しか開けてはいけない決まりになっているんです。一か月に一度の清掃のときに本殿を開けるくらいで、あの櫛が入った箱は私でもめったに開けることはないんですよ。三日前に母に言われて一応櫛を確認したらきちんと箱に入っていたので」

 すると、もう一人の老人が、

「お願いです、羽刺さん。無理を言っているのは百も承知だが、俺たち老人は特にオチヨ様信仰が篤い。これが祟りだとしたら大変なことですよ、すぐに治めなければ、この島を津波が襲うことになります。俺たちは自分の目で確かめたいんだ」

「うーん、しかし……まいったな」

 すると、後ろから祖母のキミヨの声がした。

「いいじゃないか。みせてあげなよ、勇一郎」

 一同の視線がキミヨに向けられた。

「たしかに、最近、島に起きていることは尋常じゃない。櫛があったというならお前を信じる。だけど、この島の年寄りたちは確認しておかないと気がすまないんだよ」

 勇一郎は顎を手でさすりながら、

「わかりました、では今回は特別に開けることにしましょう。ただし約束ですが、本当にみるだけで決して触ってはいけません」


 一同は鯨女神社に場所を移すため、境内へ続く階段を上っていた。子供は相変わらず、携帯から目を離さなかった。

「刺水主さん、今日は弟君が一緒なんですね」

 太一の父親である刺(さし)水(か)主(こ)に話しかけたのは、頭衆だった。

「息子の様子がおかしいんで、嫁は家にいるんでさぁ。出かけるんだったら連れてけって言われたもんですから仕方なくね」

 本殿の前に辿り着くと、勇一郎が錆びた鍵を持ち、南京錠を解いた。タオもことの行く末が気になり一緒に扉が開かれるのを待った。

 鈍い音が響いて、古い木の臭いが香った。木製のテーブルの上には化粧箱があり、その後ろの壁掛けには、古い日本人形や玩具が並べられていた。朝の明るい陽射しにみる本殿内は夜とは違った不気味さが際立っていた。

 一同は息をのんで本殿の内部を食い入るように見た。一同のなかで内部まで見たことがある者は羽刺家の人間以外は誰もいなかった。

「ではこれからこの化粧箱を開けます。順番に見せますので並んでください。今回は特別なので、絶対に触らないようにだけ気を付けてください」

 と勇一郎が化粧箱の隣に立ち説明をした。

 タオは列の一番後ろに並んだ。順番に入り、上から覗き込むように櫛を確認していった。確認しては出て、また新しい一人が入った。声を上げないところを見ると櫛はあるようだが、みんな釈然としない顔をしていた。

 タオの順番が来て、本殿に入ると、

「なんだ、タオ、お前も見たいのか?」

 と勇一郎が尋ねた。

 タオは少し焦りを覚えながら、

「うん、めったに見られるものじゃないから」

 と言って化粧箱を覗き込んだ。確かに、褐色で光沢のある、きれいに櫛歯の生えそろった解かし櫛が、漆塗りの化粧箱のなかに据え置かれていた

(確かに櫛はある……だとしたら、どうして祟りは治まらないの?)

 そう不思議に思いながらも外に出ると最後にキミヨが化粧箱の前に立った。

「なんだ、母さんまで見るのか」

 と勇一郎が呆れたように言葉を吐いた。

「いいじゃないか、減るもんじゃなし。あたしも確認ぐらいしておきたいのさ」

 といって中を覗き込んだが、街灯のように首を曲げてしばらくそこから動かなくなった。

「どうしたんだ、母さん。もういいだろ、櫛はあったじゃないか」

 と勇一郎が催促すると、キミヨはなにを思ったのかおもむろに櫛を取りだしてしまった。その場にいた誰もが「あ!」と短い叫び声をあげた。

「なにやってんだ、母さん! 櫛に触ってはいけないことは母さんだって知ってるだろ!」

 勇一郎は慌てふためいて止めさせようとしたが、キミヨは妙に落ち着いた声色で、

「お前の目はふしあなか、勇一郎」

 と言った。その場にいる誰もが息を呑んだ。キミヨは振り返って、みんなに見えるように高々と櫛を持ち上げた。

「この櫛は偽物だ」

 全員がどよめいた。キミヨは矍鑠たる声で、

「いいか? 六十年前、この櫛を盗んだ盗人の証言によれば、この櫛を手に持った瞬間に不気味な鳴き声が天高くから鳴り響いたという。その盗人は、声を聞いて怖くなり、櫛を持ったまま逃げてしまったようだが、どうだ、不気味な鳴き声どころか鳥のさえずりさえ聞こえないじゃないか。この櫛が真っ赤な偽物だという証拠だ」

 と明朗と説いた。その場に居合わせたものは「なんだって」や「そんなことが」とか、それぞれに声を上げ、大驚失色の体をなした。

「そんな……三日前の夜に確認したはずなのに」

 と勇一郎はうろたえた。

「この櫛は確かに、古いものにみせるようにわざと暗い漆を塗っているし、鯨の骨でできているようだが、模様が全然違う。なにより本物の櫛は歯が数本かけているんだ」

 勇一郎はキミヨから櫛を手に取って、まじまじと眺めると、

「本当だ、よく見たら元々あるものじゃない……それに気が付かないだなんてなんてことだ」

 と落胆した。

「だとしたら本物の櫛はどこに?」「では、今起きていることは本当に祟りだということか?」「なんてことだ、祟りの最後にはこの島を津波が襲うぞ」とざわめきが起こったが、一人だけ、太一の弟だけは動画に夢中だった。太一の弟は、隣で驚愕している父親をものともせず、そのズボンを引っ張り、

「ねぇ、父ちゃん、ここの神社ってさ、この兄ちゃんの動画に映ってる場所だろう? 夜と昼間だと全然ちげぇんだな」

 と無垢な声を上げた。

「なんだって?」

 と太一の父親が尋ねると、

「兄ちゃんがここで肝試ししてる動画、ユーチューブにあげてんだよ」

 と悪気もなくいうと、父親は携帯を取り上げてその画面に見入った。

「おい、ちょっと観てくれ」

 と叫ぶと、全員の視線が集まった。

「この鯨女神社で肝試ししてる動画だ! その子も映ってる!」

 と刺水主はタオを指さした。

 タオは全身が青ざめた。血の気がひいて、立っているのがやっとで、その場所から逃げ出したい気持ちになったが、全員の元凶を見るような目にすでに捕らえられていた。


 鯨女神社の境内の隣には、安室地区の公民館が建てられている。戦後に建てられたプレハブ小屋で、畳敷きの古い建物だ。住民たちの会議の場に時々使われた。

 タオを囲うように一同が座した。大人たちは誰もが業を煮やした表情でタオを睨みつけて黙っていた。一方のタオは正座をしながら萎縮して固まっていた。

 沈黙を破ったのは、父親である勇一郎だった。

「タオ、この動画はいったいどういうことなんだ、説明してくれ」

 申し訳なさで、一つ一つの言葉が刺となって胸に降り注ぐようだった。もう観念して、白状することにした。

「あの……ごめんなさい! 私と、良太と太一君とヒカルとで島のみんなには内緒で動画を作って、それをユーチューブに投稿していました。四日前に太一くんから、動画の企画で鯨女神社で肝試しをやろうという話しになって……私は羽刺家の人間なので最初止めたんですが、みんなが乗り気だったので結局は参加してしまって」

「鯨女神社のお世話をしなければならないはずの羽刺家の人間が、こともあろうに鯨女神社で肝試しをして、島に祟りを起こしてしまうなんて、いったいなにを考えているんだ!」

 そうタオの背中越しに怒号を上げたのは、刺水主さしかこだった。突然の怒鳴り声に、タオは体をびくっと弾ませて、

「……ごめんなさい。祟りなんて昔の話しで、本当に起きるだなんて誰も思ってなかったので」

 すると頭衆かばちが、

「実際に起きてるじゃないか! 祟りが鎮まらないと、荒れた海は治まらず、俺たち漁師は仕事に出られないんだ! うちの娘も参加したのなら、タオちゃん一人に責任を負わせることはできないけど、このまま娘が死んじまったらと思うと……いったい、羽刺家の人間はどう責任を取ってくれるんだ」

 と涙交じりに話し掛けた。タオは言葉に詰まり、誰とも目を合わせられず、じっと畳表の網目を見つめるばかりだった。

 祖母もうろたえながら、

「嘘だろう、タオ? 嘘だといっておくれ! 羽刺家の人間がそんな遊び半分でオチヨ様を怒らせることをするなんて。あの古文書を読みたいといったのもこのためだったのかい」

 祖母の声にひしがれそうになりながら、

「おばあちゃん、ごめんなさい……私、ずっと言えなくて。島の人たちがパニックになると思って言えなかったの」

「もし祟りを治めることができなかったらわしらはもうお終いだ! 祟りの最後にはこの島を津波が襲うことになるぞ! ご先祖様が残してくださったものがすべて海にさらわれちまうんだ!」

 と刺水主の老人が悲嘆した。

「ごめんなさい、私、必ず櫛を探してオチヨ様の祟りを鎮めてみせますから、どうか許してください」

 タオは今にも泣き出しそうだったが、この状況で泣けばさらに火に油を注ぐことになるのは明らかだった。

「許してくれだなんて、都合のいいことを! 他の三人が苦しんでいるのもお前が原因だ」

 頭衆の老人がそう言い放つと、それに火をつけられたように刺水主が激情の勢いで立ち上がり、

「俺はもうこんな状況我慢ならねぇ! オチヨ様の怒りの原因はこのガキがオチヨ様を怒らせたからだ! だったらこのガキ痛めつけて鯨女神社に奉納するんだ! 縄で縛って、三日三晩、境内にほっとくんだ、自分を怒らせた人間が苦しむさまをみればオチヨ様だって怒りを鎮めてくださるだろう!」

 遠見と勇一郎、祖母を除いた人間が、そうだそうだ、と賛同をし、刺水主がタオに掴みかかろうとしたその時だった。


――タオに手を出すな。タオは悪くない。


 と小さな女の子の声が聞こえてきた。それは室内に響く声ではなく、直接脳内に響いてくるような声だった。

 その場にいた全員が声を失った。

「……なんだ、今の声は……。みんな聞いたか?」

刺水主が目を丸くして、あたりを見渡すと、全員が息を呑んでその場から動かなくなった。


――タオに手を出すな。タオを傷つけるな。タオに手を出したら、お前たちを許さない。


「オチヨ様の声だ」

 タオが思わずそう呟くと、一同の視線が集まった。

「そんな……まさか」と頭衆がつぶやくと、

「本当です。わたしはオチヨ様と神浦に向かう途中の道で会いました。そこで、私だけ祟りを解かれたんです」

 全員がその言葉に驚愕の表情を隠しきれなかった。

「じゃあ、オチヨ様がお目を覚ましたというのは本当だったんだ……」

「本当です。それも私たちの誰かが鯨女神社の櫛を盗ったことが原因です。でも、もし今ある櫛が偽物だとして、本物とすり替えられているのだとしたら、きっと犯人は太一君です……」

 その言葉にいち早く反応したのは、他ならぬ刺水主だった。

「なんだと! うちの息子が! いい加減なことをぬかすと承知しねぇぞ!」

「……でも、きっとそうだと思います。嘘だと思うなら、太一くんが載せたユーチューブの動画を最後まで観てください。あの箱に触ったのは太一くん以外いないんです。あの櫛が偽物だとわかっていたら、私もそのことにいち早く気が付いたんですが……皆様にご迷惑をおかけして、本当にごめんなさい!」

 また、沈黙が広がった。誰かが一声を放つのを待っているようだった。

 すると、良太の父親である遠見が、

「刺水主さん、この子のいうことが本当なら、まずあなたの息子さんを問いただすべきです。本物の櫛をまた鯨女神社に納めることができるかもしれない。あと、タオちゃんを責める資格は誰にもない。鯨女神社の祟りをこの中で、ご年配の方以外で本当に信じていた方はいますか? 正直、僕も迷信だと思っていました。だとしたら、それをちゃんと若い人に伝えられなかった私たちの責任でもあるんじゃないでしょうか?」

 全員が言葉を失った。沈黙の後、

「たしかに、俺も祟りの話しは聞いたことはあるが、信じてはいなかった。これはタオちゃんや羽刺家の方たちのせいではなく、この島全体の責任だ。タオちゃん、怒鳴るようなことをして悪かった」

 と頭衆が深々と頭を下げた。

 すると、遠見が場をまとめた。

「刺水主さん、太一くんは今、病気のようになって部屋にひきこもってるんですよね。うちの息子もそうなので状況はわかります。……その状態で聞き出すことは難しいかもしれませんが、父親であるあなたが息子さんに聞いてみてもらえませんか」

 すると刺水主は、

「わかった、息子に聞いてみる……盗んだのが本当だとしたらえらいことだ」

 すると頭衆が、恐る恐る手をあげて、

「……すみません、一つだけ聞いてもいいでしょうか? ヒカルがもし祟られているのだとしたら、祟られた人間はこれからどうなるのでしょう?」

 と尋ねた。これにはキミヨが答えた。

「祟りが始まってから今日が四日目。古文書によると、一日目から小さな女の子の声が四六時中聞こえ、三日目には周りの音が聞こえないほど大きな笑い声になる。四日目からオチヨ様が父親から受けていた暴力を自分も受ける夢を見るようになり、だんだんと気がおかしくなっていくのだとか。それがもう一日続き、祟りが始まってからの六日目、鯨様の声に誘われて海へ行くと溺死させられるらしい」

「ということは、今日が四日目だから六日目まであと二日しか残されていないということですか? どうしたらヒカルは……三人は助かるんですか?」

「祟りを治めるには奪われた櫛を再び鯨女神社に奉納するしかない。もしくは、祟りの最後にはオチヨ様がその姿を島民に現したと聞く。世にいう現形げきょうだ。オチヨ様がお姿を現されるように祈るか、どちらかしかないだろうな。それから、念のため、六日目には祟られた者たちを縛り付けておいたほうがいい。鯨様のもとにいったら殺されてしまう」

 父親たちは、暗く沈んだ影を落とした。

「あとは……」

 とタオがおもむろに話し出した。

「オチヨ様に直接祟りを解いてもらうか、オチヨ様にはその力があります。だけど、オチヨ様がどこにいるのかわからないんです……私にはもともと神様の存在を感じることができるんですが、祟りを解かれてから神様のニオイも感じられなくなってしまって。だけど、他の人には見えないみたいなんですが、夜になると鯨様が神浦の海から飛び上がって海面に身体を叩きつけてるんです。そのとき、鯨様の背中にはオチヨ様が張り付いているから、神浦の海にはいると思うんですが……」

 すると遠見が、

「鯨様が夜、神浦の海に現れる? だとしたら、あの爆発音のような音は鯨様が起こしている音ということか。とにかく、早く櫛をみつけましょう。祟りが収めれば良太も、ヒカルちゃんも太一くんも助かるはずです」

 と采配をとった。

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