番外編 雲の波間に身を任せ・その1

「あーあ、つまんな」


 いつものごとく、瀬里奈は完全に暇を持て余していた。


 瀬里奈の師匠を務めるアメリアは洞窟から引き出した船の修復作業にかかりっきりで、ほとんど相手にしてもらえない。


 しょうがなく臨時の師匠をラナーにお願いしようとしたが、彼女も水に長期間潜れるエルフとしての特性を活かして詳細な海図の作成を手伝っているところで、しっかりと断られてしまった。


 そして、最後の頼みの綱である銀もどこかに行ってしまっている。新しい魔法の勉強はできそうにない。


 そういう理由で、瀬里奈はすることがなく、制海艦『クロンヌ』の甲板をぶらぶらと歩きまわるしかなかったのだった。


『クロンヌ』の甲板上では、搭載機であるF-35Bの発進準備が進められている。何やら定期的に行われる飛行訓練が始まるようで、整備員や甲板作業員たちが慌ただしく甲板を行ったり来たりしているのが伺えた。無論、瀬里奈には何をしているのか全く分からなかったが。


 おまけに、機体の傍にはパイロットらしい女性の姿もある。瀬里奈も何度かあの戦闘機を近くで見ていて、あの女性が何度か戦闘機に乗り込むところを目撃していたので、すぐにわかる。


 暇を紛らわせるにはこれしかない。瀬里奈は迷うことなくショートボブの若い女性へと話しかける。


「パイロットのねーちゃん!」

「うん? あー瀬里奈ちゃん! どうしたの?」

「うちも戦闘機に乗りたい! なあ、乗せてーな!」

「乗りたいの? えっとね、この機体って1人乗りだから乗せられないの。ゴメンね?」

「うえーっ、そないな……」


 F-35パイロット、東川奈美はニコニコと屈託のない笑顔で応対するが、瀬里奈が戦闘機に乗せるよう頼み込むと、少しばかり曇った顔でやんわりと断る。


 全てのF-35は単座型、つまり1人乗りで、複座型は存在しない。訓練の際は地上にあるシミュレーターで行うこととなり、教官が後席に乗り込む必要がないからだ。


 だが、そこで東川からとある提案をされる。


「ねえ、それじゃあナミと一緒に飛んでみない!?」

「えっ?」

「一度やってみたかったんだよね。魔法少女とエレメントを組んで、大空を自由に飛び回るの! ああ、ファイターパイロットになってよかった! これこそ役得! これこそ天祐! ああっ神様仏様、ナミは今すごく嬉しくて死んじゃいそうです!!」

「あ、あはは……」


 いつの間にか東川は自分の世界に入り浸ったらしく、瀬里奈のことを完全に無視して空を仰ぎ、大げさに両手を振り上げて叫び声を上げていた。瀬里奈はついて行けず、苦笑いして目を逸らすしかなかった。


  *


 それからしばらくして、『あおば』船務科からの許可も得て、F-35と瀬里奈が編隊飛行を行うことになった。ステルス戦闘機と魔法少女のエレメント、もとい2機編隊など当然ながら初の試みだったが、戦力の統合運用と連携を確認しておくに越したことはない、との副長の考えがあってのことらしい。


 瀬里奈が先に『クロンヌ』から右手に離れたところで空中浮遊し、F-35の発進を待つ。


 F-35Bの離陸方法は滑走が基本だが、武装や燃料を少なくすれば垂直離陸も可能となる。『クロンヌ』での運用は着艦支援を行う船側の装置なしでの垂直離着陸を絶対とするため、パイロットは平均よりずっと高い技量を持つことが前提となる。


『Serina, just a minuts please.(瀬里奈ちゃん、ちょっと待ってね)』


 東川が通信機越しに瀬里奈へ待ってもらうようお願いすると、F-35のリフトファンカバーが開き、エンジンノズルが下方に向けられる。


 エンジン音が十分に高まると、F-35の機体はふわりと空中に浮かび上がる。通常の飛行機とは違う、まるでUFOのような離陸。瀬里奈の目を引くには十分な威容を誇っていた。


「うわ、すっご……」

『OK. Then let’s go. Follow me!(おっけー、じゃあ行きましょ。ついてきて!)』

「わ、わかったで!」


 瀬里奈が『クロンヌ』の上方へ浮き上がったF-35をまじまじと眺めていると、東川は機体を前方に傾けて速度をつけながら瀬里奈を呼んだ。何をすべきか気づいた瀬里奈は、慌ててF-35の後に続く。


 天候は雲量9のやや曇り。近傍に見える島の上空を通過し、F-35と瀬里奈は『天使の梯子』と呼ばれる陽光が降りる海原へと繰り出した。F-35は巡航速度に達し、瀬里奈もその傍について共に飛行する。


 戦闘機のエンジン音は耳をつんざくほどうるさいが、アメリアからお小言をかわす時に使うためと称して教えてもらった音をキャンセルする魔法で、どうにか車のそれと同程度には減らせている。


 今現在、地球の最新技術で構成されるステルス戦闘機と、異世界で花開いた魔法の力を使う少女が並んで空を飛んでいる。全く異なる技術や文化から生まれ出た存在が、共に並んで同じ空を飛んでいる。その超世界的な現象は瀬里奈を高揚させるばかりか、F-35を駆る東川も興奮させたらしい。


『ああ、ほんとステキ……それっ!』


 東川は瀬里奈と通信が繋がっているにも関わらず、通常の飛行無線では使わない日本語で興奮しながら呟くと、機体をロールさせながらやや高度を落とし、エンジンを噴かして速度を上げる。航空管制の指示もなく勝手に空を飛べる今、東川を縛るものは何もなかった。


「あっ、待ってーな!」


 瀬里奈も先に行こうとするF-35を追いかけ、やがて雲の中へと突入する。空気の幕に覆われているため雲の冷たさやまとわりつく水蒸気の影響はなく、雲の中を生身で進むという、ほぼ誰も経験しないような幻想的な光景を楽しんでいた。


 そして、F-35と瀬里奈は雲を突き抜け、雲海の上部へと顔を出す。上空には鱗のように折り重なる巻積雲が連なり、眼下には雲の海が一面に渡って流れている。


「うわぁ……すっご……」

『Welcome to The Sky, Serina.(大空へようこそ、瀬里奈ちゃん)』


 瀬里奈の目の前には、どこまでも続く空と雲の世界が存在するだけだった。何からも自由、航空管制すら必要ない、開放された大空。そこにはそれがあったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る