431話 平和丸

『艦長、曳航準備完了です』

「よし、引き出そう。両舷前進最微速」

「両舷前進最微速! ようそろ!」


 どうやら『アン・サン1号』と『あおば』を曳航索で接続できたらしく、引き船引かれ船部署を所掌していた掌帆長が矢沢に報告を入れた。


 それを確認すると、矢沢は航海士に前進の号令を発する。艦は発電用機関を駆動させて海を滑り、曳航索に繋がれた古いタンカーを洞窟から引き出していく。


 もちろん、タグボートもなしに護衛艦1隻だけで洞窟から引き出すなど、危険性の高い行為ではあるが、この世界にはそもそもタグボートが存在しない。艦隊に属する他の船では能力不足であるがゆえに、タンカーを引っ張れるのは『あおば』だけなのだ。


 この世界基準では、どちらも大型船の部類に入る。精緻な作業を要求される状況に、艦橋で様子を見守っていたラナーは震えた声で矢沢を呼ぶ。


「ねえネモさん、本当に大丈夫なの?」

「問題ない。舵長、君ならば大丈夫だと信じている」

「は、はいっ……!」


 舵長と呼ばれた短髪の女性、明堂院穂希1曹は、やや震え声ながらも矢沢に返答。手にした舵輪を少しずつ切りながら、艦を着実に進めていく。


 舵長は戦闘時や出入港時など、主要部署が発令されている際、つまり重要な時に舵を握る主力の操舵手のことを言う。明堂院は37歳と自衛隊でも長期の勤務に就いており、艦艇勤務も長く腕も確かなのだが、いかんせん自分に自信がないのか、分厚いメガネの奥に見える瞳はうるんでいる時ばかりで、いつも挙動がおかしい。


 とはいえ、彼女も術科学校を卒業し、長年舵を握ってきたプロだ。数十分という長い時間をかけながらも、徐々に北朝鮮タンカーを引き出していく。


 そして1時間後、艦橋や艦尾飛行甲板からの情報提供の下で、ようやくタンカーのやや小ぶりな船体が白日の下にさらされた。今や錆だらけで白い塗装がわかりづらくなった船橋構造物や、かなり傷んでいる黒い船体が時間の経過を思わせる。


 ラナーも艦橋の見張り台に立ち、改めて船の姿を一目見る。


「ほんと、ボロボロよね……」

「北朝鮮船は整備が行き届いていないのか、ボロボロの外見をしているものも多い。あの船も、元はああではなかったはずだが……」

「でも、あれをうちの戦力として使うんでしょ?」

「その通りだ。修復はアメリアや隊員たちに任せる」

「ほんっと、ネモさんて人使い荒いんだから」


 ラナーはクスクス笑いながらも、矢沢にちらりと目だけを向けた。ラナーが何を考えているのか矢沢には詳しいことはわからないが、自身のことを好意的に見ているのだと考えることにした。


  *


 北朝鮮タンカーを引き出してから5日後、タンカーは詳細な調査を終えた上で、アメリアによる神器の魔法での修復作業と、予め決めておいた砲雷科員たちによる塗装、ヘリ発着に利用するための一部甲板の補強、そして『あおば』からの燃料や食糧品などの移送が完了し、船は完全な状態へと改装されることとなった。


 タンカーの燃料タンクは軽油で満たされ、汚れや破損がひどかった船室は神器の力で建造当時の状態にまで復元された上で、主要箇所に書かれた朝鮮語の注意書きなどは日本語に修正、家具や航海用具等も『あおば』のものを取り付けて一新された。


 鎧の神器の力による修復能力で建造時の状態に戻り、洋上でできる小改装を施されたに留まるが、運用上に問題はない。船を万全の状態に仕上げたことで、アメリアの魔法を一度使うだけで今の完全な状態に戻せるようにもなっている。


 この船はもはや国連安保理の制裁も無視して違法行為を行う船ではなく、助けを待つ人々のために戦う船の補佐役として生まれ変わったのだ。


 錨を降ろし、『あおば』と同じ灰色に塗装された船体を休めるタンカーを眺めながら、矢沢は感慨深くため息をついた。


「ふぅ……こうして見ると、あれも悪い船ではないな」

「はいっ、これからはわたしたちの仲間ですっ!」

「そうだな。もう我々の頼もしい仲間だ」


 矢沢は隣で休憩を取っていた佳代子に頷く。


 別に人だけが仲間として認められるわけではない。この護衛艦『あおば』や、艦隊を構成するダリア王国の艦艇たち、そして、加わったばかりのタンカーも、例外なく仲間の一部だ。


 船は20人程度で運航できる。人的負担は増えるだろうが、『あおば』や艦隊の各艦から乗員を集め、常に艦隊運用を行うことで最小限には抑えられるはずだ。


「とはいえ、古い名前で呼ぶのも抵抗があるな。士気に影響しないよう、できれば名前を変えたい」

「あ、いいアイデアですっ! じゃあ、ぽんぽんふにふに丸で!」

「却下だ」

「うえーっ、ひどいですよう……」


 矢沢が新たに名前をつけようと提案したところ、佳代子は妙な名前を提案。あまりにも子供じみている上に長いので、矢沢は即時却下せざるを得なかった。自衛隊が運用する名前にしては、お粗末に過ぎる。


 となれば、他の名前にするしかない。


「であれば……」

「はいにゃ! アタイにいい案がありますにゃ!」

「む、ミルか。いつの間に」


 矢沢が名前を考えようとしていたところ、横からミルが割り込んでくる。神出鬼没具合は瀬里奈とそう変わらないが、ミルの場合はベタベタと身を寄せてくるせいで気が散る。


 とはいえ、ミルの意見も聞かない理由はなかった。矢沢は勝手に艦橋へ上がり込んだことも目を瞑り、意見を求めることにする。


「では、ミルのアイデアも聞こう」

「はいですにゃ! それなら……まりえ号がいいですにゃ!」

「まりえ……?」


 ミルが提案してきた名前は、彼女の文化圏であるマオレンの船と呼ぶにはやや違和感のあるものだった。


 彼女の言い方では『号』とは名前の一部ではなく、船の名前につく接尾辞のことだろう。マオレンの文化にそのようなものはなく、マオレンの命名基準で提案してきたのなら、翻訳などされるわけがない。


 信じられないことに、ミルは日本語で提案してきているのだ。


「ミル、その名前、なぜ浮かんだ?」

「なんでって言われても、わかんないですにゃ。とっさに頭に浮かんできましたにゃ」

「……そうか」


 もしかすると、ミルに接尾辞のことを教えた者がいたのかもしれない。そうであれば納得できる。


 結局、ミルの提案もなかったことになり、結局は艦隊内での投票で『平和丸』という名前になることが決まった。


 北朝鮮タンカーのこともそうだが、ミルもたいがい謎に包まれている。いずれはミルのことも調べる必要があるのかと思いつつ、矢沢は業務へと戻るのだった。

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