430話 白骨死体は語らない
「っ、これは……!」
船室を探索していた矢沢が発見したのは、凄まじい腐敗臭を伴った白骨死体だった。死後長期間経っているのは確実で、この船が異世界に飛ばされたことで帰る港を失ったことによるのは確実だろう。
何かが違っていれば、我々も同じ目に遭っていたかもしれない。そう思うと、日本に災厄ばかり撒き散らす国の人間とはいえ、手を合わさずにはいられなかった。
すると、やはり異臭を嗅ぎ付けたらしい佐藤が部屋へ入ってくる。ベルトで肩に89式小銃を片手で持ちながら、鼻をつまんで息苦しそうな声を上げた。
「うっぷ、なんですかこれ……」
「人が死んでいる。おそらく船員だろう」
「ああ、そうなんですね……」
佐藤は一瞬ばかり見るのを躊躇ったが、意を決したようで死体に目をやる。肉がほんの少し残った死体は、今もなお異臭を発し続けている。
だが、看護師資格を持つ佐藤は、仕事柄か一度見ただけで恐れることなく死体を検分し始める。矢沢は大した胆力だと感心しながら見ていたが、すぐに佐藤は首を横に振ることになる。
「白骨化しているんじゃ、死因はまるっきりわかりません。骨折の跡はありますが、普通の骨折跡ではなく、弱っている痕跡がありますね」
「ということは、攻撃によるものではないと?」
「それも判断しかねます。なんにせよ、司法解剖に回して判断してもらうしかないと思います」
「だが、客船の乗客には法医学医などいない。どうすれば……」
「パロムに回してみましょう。元々医学には強いので、何かわかるかもしれません」
「よし、そうしよう。では、ここから早急に引き上げよう。臭くてかなわん」
「そうですね。ああ、ひどい……」
矢沢と佐藤は互いに頷くと、耐えきれないほどの悪臭にまみれた部屋を後にするのだった。
すると、船室の出入口でラナーと愛崎に鉢合わせする。矢沢は突如現れた2人にビックリして一歩引いたが、ラナーと愛崎はそれどころではない慌て方で後ずさりしていた。
「うえっ、何よこのニオイ! くっさいんだけど!」
「佐藤さん、これは一体……」
「ああ、すまない。この部屋に死体があったものでな。死臭がこびりついている」
「はぁ、通りでこんなに臭いわけね……」
ラナーは露骨に顔をしかめると、三白眼で矢沢をじろじろ見ながらさらに距離を置く。これはあんまりな対応ではないかと矢沢は不満に思っていたが、ラナーのような子供ではない。普段通りの穏やかな表情を維持しつつ、船橋がある船尾へと向かいながら愛崎に報告を要求する。
「愛崎、何か見つかったか?」
「いえ、特に何も。水も食料もスッカラカン、浄水器も破損していました。海水を煮沸させていた跡はあったので、飲み水の確保はできていたんじゃないかなと思います」
「こっちも船の中は調べてみたけど、特段争った形跡はなかった感じね」
愛崎は難しい顔をしながら報告する横で、ラナーも普段と変わりなく軽めの態度で説明。それを聞いた矢沢は、内心ほっとしながらも腕を組んで考え込む。
「そうか。では、やはり戦闘で全滅したわけではないか。船員は外に出ていったのだろうか?」
「船員の行方ねぇ……そうそう、ほんのわずかにだけど、アモイ沖で戦った海竜がいたでしょ?」
「ああ、あの黒いやつか」
「そうそう。あれが発してたオーラよりも邪悪な感じの、だいぶ嫌な魔力が甲板に残ってたのよ。誰かが来たのは間違いないんじゃないかしら?」
「む……!」
「ちょっと待って、それって……」
「待て待て、さっき何も言ってなかったじゃないか!」
矢沢と佐藤は思ってもみなかったラナーの言葉に戦慄する一方で、愛崎は冷や汗を流しながらラナーに迫る。もちろん、威圧されたラナーにしてみれば慌てて説明するほかなかった。
「いや、ここで直接言った方がいいかなって、そう思っただけよ!」
「愛崎、あまり責めないでやってくれ」
「っ、すみません……」
これはまずいと感じた矢沢は、愛崎の肩に手を置いてなだめることにする。ここで言い争いなどをされては調査に支障が出かねない。ただでさえ、あの船室が発していた死臭は精神的に有害だったせいで誰もがイライラしているだろうに。
だが、それでもラナーが報告してきた事柄は気になる。
「ラナー、何を感じた? 詳しく教えてくれ」
「えーっと、一番上の甲板だったかしら、さっき言ったドス黒い魔力をほんの少し感じたのよ。間違いない、あれはバベルの宝珠で汚染された海竜よりやばい類のやつよ」
「そうか……」
矢沢は何度か頷いて納得した。
バベルの宝珠とは、ダイモンが作り出したと言われる魔力が封じられた宝石で、この世界では持っているだけで重い処罰が下される禁制品となっている。人に使えば肉体と精神が崩壊して異形と化し、ドラゴンに与えれば凶暴化を引き起こす、まさに悪魔の宝石だ。
それよりもドス黒い魔力となれば、考えられるのはバベルの宝珠を作り出したダイモンしかありえないだろう。
「ラナー、私たちはアセシオンとの戦いの最中にダイモンと遭遇している。もしかすると、ここにもダイモンが現れていたのかもしれないな」
「ちょっと、冗談でしょ……?」
その話こそ初耳だったのか、ラナーは目を見開いて驚いていた。さすがにこの世界での絶対的な敵であるダイモンと遭遇したという話を聞けば、このような大げさにも見える反応になるのはしょうがないのだろうか。
「とにかく、初動調査はこれで終わりだ。後はパロムの家まで曳航してから調べよう」
「それが妥当よね。じゃ、行きましょ。こんな辛気臭いところ、もういたくないし」
「はぁ、ラナーの言う通りだよ」
ラナーは電気もついていない薄暗い廊下に文句を言いながら、外へ続く階段を探して辺りを見回す。愛崎も同じ気持ちらしく、ラナーについて行く。
出てくるのは都合の悪い真実ばかり。どうやら、まだまだ一息つくのは無理そうだ。
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