378話 霧中の敵

 正体不明の敵が奴隷商人の邸宅を襲撃したというニュースが皇帝に届いたのは、状況が終了してから2時間後のことだった。


 つい今しがた陸軍部の幕僚から聞かされた話で顔を青ざめさせたハオは、皇帝が就寝している寝室のドアをドンドンと乱暴に叩く。


「陛下、陛下! 今すぐご起床を!」

「んん、んぁ……全く、何がどうした」


 寝室からのそのそと緩慢な動きで現れた皇帝ヤンは、ハオの顔を見るなりイラついた顔を見せる。ライオン顔の大柄な体格はハオを容易に超すほどで、皇帝の深海にも似たダークブルーの瞳を一目見たハオは竦み上がってしまう。


「あ……っ、その、シェイの屋敷に侵入者が入ったとの情報で……」

「シェイ? ああ、あのクズか。そんなことでわざわざ余を起こすな」

「いえ、攻撃されたのは、この街の屋敷なのです。ウォンタオが警備に当たっておりましたが、彼が言うには別大陸の盗賊とのことです。しかも、この襲撃にはトカゲ共の親衛隊長が関わっているとかで……」

「何、トカゲ野郎だと!?」


 トカゲという単語を聞かされた途端、ぼんやりとしていた皇帝は落雷のごとく突然に激しく怒りを爆発させた。


 山賊による略奪事件はよくあることだ。しかし、そこにドレイクが関わっているとなると、話は全くもって変わってくる。おまけに、襲撃されたのは有力な奴隷商人なのだ。


 皇帝はハオの胸ぐらを引っ掴むと、鼻が擦り合うほど顔を近づけて威圧する。


「もう一度言ってみろ。トカゲ野郎が何だと!?」

「ト、トカゲ共の親衛隊長が、シェイの家を襲撃したと、ウォンタオが話しておりまして……」

「今すぐ見つけ出して殺せ! 今すぐだ! 首をここに持ってこい!」

「も、もちろんなのです! この命に代えても、必ずや!」

「全く、灰色の船とトカゲ共の国境侵入で頭が痛いというのに、襲撃事件だと? ふざけているのか!」


 ハオは何とか姿勢を正しながら事態の解決を約束したが、皇帝の怒りはそれで収まるものでもなかった。


 数日前から灰色の船が入国した。これはパロミデスのお墨付きがある故に許可したものの、アセシオンに加えてアモイに大きな混乱を引き起こした張本人だ。入国させるだけでも高いリスクを負っている。


 それに加え、1年ほど前からドレイクが国境を越えて侵入する事例が多数報告されている。シュトラウスとレンの間にはヨウ川と呼ばれる大河が横たわっているのだが、そこを超えてドレイクが威力偵察や襲撃をかけてくるのだ。


 これは3年ごとに起きることではあるが、彼らはどうやら大人になるための儀式と称してマオレンの部隊と戦い勝利することで、正式に大人として認められるらしい。そのため、3年ごとにマオレンも対応には苦慮しているのだ。


 問題に続く問題に、今度はさらなる問題。悪いことは続くというが、ここまで大ごとが続けば、皇帝の堪忍袋の緒が切れてもおかしくはない。


 皇帝は強い。純粋に己の武力だけで皇帝の座を争う国家体制であることから、戦闘力で言えばこの国で最強だ。彼の怒りが収まらないまま募るばかりになってしまえば、何をしでかすかわからない。


 ハオは「失礼するのです」とだけ言い、皇帝に一礼する。


 すると、皇帝はハオを引き留めた。


「ハオ、お前には期待している。決して裏切るな」

「もちろん、承知しているのです」


 皇帝の念押しに対し、ハオは頭を下げることしかできなかった。ハオ自身も強いとはいえ、皇帝には及ばない。この国は絶対的な弱肉強食で成り立っているのだ。


  *


「はぁ、まだなんですかねえ」

「まだだと思うよ」


 愛崎が携帯ゲーム機をプレイしながらのんびり愚痴を漏らすと、対戦相手の佐藤が気だるげに答える。


 結局、交渉の進展はなかった。艦長は幹部たちと協議に入ることになり、曹士たちは自由時間を謳歌していた。今日予定されていた訓練メニューは消化して夕食を摂り、パロムの雑務を手伝った後、就寝時間の1時間前のことだった。


 今は大宮や環を加えて4人で対戦プレイを行っていて、根っからのゲーマーである佐藤がかなりの勝利数を維持している。


 とはいえ、彼らの本当の関心ごとは交渉やゲームのことではない。今も流行り病で隔離中の衛生科員たちだった。今は佐藤でさえ近づくことができず、パロムが全面的に世話をしている。


 この世界にはどのような病気があって、それが自衛隊員たちにどのような影響を与えるかは未知数だ。だからこそ検疫は絶対に欠かせない要素であり、未知の病気を貰ってきた衛生科員たちは厳重に隔離されている。


 もしも彼らを失うことがあれば、艦はどうなるか。衛生科員が不足していた1ヶ月と少しは、検疫にも時間をかけるハメとなっていた。それが日本への帰還まで長引くとなれば、いつ艦内で未知の病気が流行るかわかったものではない。


 それに、単純に仲間のことが心配でもあった。同じ自衛官として1年を異世界で戦ってきた、紛れもない戦友として。それはここにいる誰もが同じ気持ちだろう。


「……そろそろ終わろうぜ。明日も早いしさ」

「そう、ですね」


 懸案事項が重なっていることに続いて、佐藤が勝ち続けていることで空気が重く沈むようなものに変わり、やがて大宮がゲーム終了を提案した。それに環も同意し、愛崎と佐藤も無言で頷いた。


 4人がゲーム機をしまおうとしたところ、ミルが掃除用具を持って階段から降りてくる。なぜか眉間にしわを寄せており、不機嫌なのは一目瞭然だ。


「はーもう忙しいったら忙しいにゃ。ほらほら、さっさとどいてにゃ」

「なんだよ、わざとらしい……」


 ミルは4人を邪険に扱い、ほうきで追い立てていく。隊員たちは慌てて避難するも、佐藤はほうきで頭を執拗にはたかれる。


「いたたた、やめてよミルちゃん……」

「知ったこっちゃないにゃ。ほら、早くあっち行けにゃ」

「うう、鬼だ……」


 もはや佐藤には何の遠慮もないのか、そもそもただの遊びなのか、傍から見ただけではわからない。それでも大宮はクスクスと声を押し殺して笑っていた。


 すると、玄関のドアが何度かノックされた。既に日も沈んで久しい時間帯で、こんな時間に人が来るとも思えない。ミルは佐藤をいじめる手を止め、隊員たちも玄関へと一様に目を向けた。


「こんな時間に、誰なんだい?」

「アタイが出るにゃ」


 怪訝に思ったらしい環が何気なしに言うと、ミルがいそいそと駆け足で玄関へ向かう。


「はいはい、何ですかにゃ」

「レイリの使いにて参った、ラルドという者だ。パラミティーズという者がいると聞き及んでいる。取り次いで貰いたい」

「ちょっと待っててにゃ」


 ミルは先ほどと同じく不機嫌な顔のまま、ラルドという男に応対する。彼の希望に応じてミルがパロムの部屋に行こうとしたところ、既にパロムが玄関先まで来ていた。


「おっと、やっぱり来たかね」

「貴殿ならわかると思っていた」


 パロムが扉を開けると、玄関先に立っていた人物が姿を現した。


 背中や四肢は緑の鱗に覆われている一方、凄まじく発達した筋肉を浮かび上がらせる胸や腹はクリーム色の皮膚だけとなっている。ミルの2倍近くはある巨大な体躯を誇り、西洋のドラゴンを思わせる厳つい爬虫類の頭部には、爬虫類を思わせる縦長の黄色い瞳がはまっている。頭頂部からは太いコードのように束ねられた長い髪のようなものが伸びていた。


 装身具といえば、褌のように小さめの、黒地に金の装飾が施された前垂れのみ。巨躯を誇る背中を覆うほどの大型リュックを背負い、右手には身長よりやや長い槍を持っている。


 この場にいる自衛官だけで、佐藤だけは彼のような種族の存在を知っている。ドレイクと呼ばれる、人型ドラゴンとも言うべき獣人系種族で、マオレンの不倶戴天の敵。そんな人物が、なぜマオレンの帝都近くにあるパロムの家を訪ねてきたのか。


 佐藤を始め、自衛官たちはその場で固まったまま動けなくなっていた。その彼らを意に介すことなく、パロムは久々に会った友人のようにドレイクを家の中へと引き入れるのだった。

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