374話 気の抜ける場所

 矢沢らが会談に臨んでいる間、波照間をリーダーとした7名の特殊作戦部隊はタンドゥの地下に広がる下水道を探索していた。真っ暗な水路に小銃のフラッシュライトやピンライトの光が投射され、汚れが目立つ水路が不気味な様相を露わにする。


 マオレンが綺麗好きな種族であることは既に知られている。重要な都市インフラの1つである下水道も当然ながら暗渠となっており、人の接近を拒むかのような異臭を放つ数少ないエリアとなっている。


 地球側の中世ヨーロッパでは「水道」という漠然とした概念しかなく、上下水道の区別が曖昧だったため井戸に生活排水が混ざることも珍しくなかったようだ。一方のマオレンは人族から水道の概念を聞き及んだ際に、その仕様に耐えることができなかったようで、上水道と下水道という異なる用水路を建設したようだ。


 一方で、用水を各家庭で浄水することはなく、そのまま下水道に流して下水処理場に処理を丸投げしている。その下水処理場の労働者もやはり奴隷で、しかも邦人が紛れ込んでいた。


 その下水道へは、マオレンたちの活動がほとんどない昼間に侵入し、その邦人と合流して目的地に向かっていた。


「なるほど、そういうことね」

「そういうこと。潔癖症の下水道開発史ってわけよ」


 波照間の相槌を聞きながら嘲笑していたのは、下水道で働く邦人であるシエラという女性だった。比較的短めの黒髪は耳より高い位置で2つ結いにされていて、そこだけを見れば幼稚園児のようにも見えるが、前髪や顔周りは長めにおろされており、整った鼻梁やはっきりと大きく開かれた目と美麗な顔立ち、そして赤い縁のメガネも相まって、大人の雰囲気を持ちながらも可愛げのある女性らしさを演出している。


 体つきも世間ではモデル体型と呼ばれるそれで、継ぎはぎだらけの麻布の上からでも大ぶりの胸や胴のラインがはっきりと判別できる。髪や肌も抜かりなく手入れされており、本当に奴隷暮らしなのかどうか疑わしくもある。


「何よ、どこ見てるわけ?」

「うん? いえ、なんでもないけど」


 シエラの完成された肉体に見とれていた波照間だったが、当のシエラから侮蔑混じりの冷たい目を向けられたことで、目線を逸らさなければならなかった。


「でも、本当にシエラさんっておっぱい大きいですもんね。私ももっと大きくなれたらって思うんですけど……」

「何それ、贅沢もいいとこ」

「全くよ」


 どうやら、シエラの体に興味を示していたのはアメリアも同じだったようだ。特に胸へ目が行っていたようで、自分の胸に手を添えながらシエラに釘付けとなっていた。その横ではラナーと銀が呆れていたが。


 下水道の成り立ちからあっさりと猥談に移り、話に華を咲かせる女性陣だったが、それ以前に今は作戦行動中だ。波照間も注意しようとしたが、鈴音が先任らしく先手を打ってくれた。


「全く……お前ら、作戦中だぞ。静かにしてろよ」

「あ……はい、すみませんでした」

「っと。ごめんなさいね」


 普段から注意を真面目に聞くアメリアは慌てて謝罪し、シエラも苦笑いする。ラナーと銀は咳払いするだけだったが。


「そうですよね。おっぱいのことなんて聞かされちゃ揉みたくなっちまいます」

「その通りだ。よく言ったぞ青木!」

「……ちょっとでも見直したアタシがバカだったわ」

「銀ちゃん、君の気持もわかる。とりあえず後で揉ませてもらえる?」

「殴られたいわけ?」


 だが、そこに青木の余計な一言が入り、鈴音も引っ張られてしまう。またしても銀は呆れた言動をする青木と鈴音に侮蔑の目を送ったが、本当にそうするべきは緑川だったようだ。


 大して男たちも頼りにならないと感じた波照間は、一度前進をやめて立ち止まる。


「ここ本当に注意すべきなんだけど、未知の場所で奇襲を受けることはよくあること。決して油断はしないでほしいんだけど」

「でも、こんなところには誰もいないんですよね? マオレンって綺麗好きだって言いますし」


 波照間の言葉にそもそもの疑問を持ったのか、アメリアがきょとんとした顔で聞いてくる。軍人ではない彼女にはわかりづらいだろうが、それでも部隊にいる以上は徹底させなくてはならない。


「作戦はいついかなる時でも敵の攻撃を警戒するもの。特にこういう秘密の通路を通っている時にも、敵の襲撃は十分あり得るのよ。大丈夫って言いながら気を抜いてる人は、そういう場面に出くわすと『想定外だった』っていう言葉で逃げようとするしね」

「う……はい、すみませんでした」

「それ以前に、自衛官ならわかるはずだけど?」

「すまん。オレも気を抜いちまってたみたいだ」

「航海長さんは先任なんですから、本当に頼みますよ」


 波照間の軽い注意に、鈴音も真剣な表情を作って応える。陸上で戦闘を前提とした作戦は初めてだからか、彼にも気の緩みというのはあったらしい。


 人の心は簡単に移ろうものだ。それは特殊部隊としての作戦行動中も何ら変わることがない。そして、時にそれは大きな命取りともなる。


 だからこそ、特殊部隊というのは精強な兵士たちで構成されると言えるのだが。


 それから数分後、部隊は目的地の最寄りのマンホールへとたどり着いた。幸いなことに奇襲を仕掛ける部隊はなかったが、ここからはそうも言っていられない。


「じゃ、シエラさんとはここでお別れかな。案内してくれてありがとうございました。後で必ず救出しますから」

「ええ、首を長くして待ってるわ」


 波照間が小声で感謝の言葉を述べると、シエラは微笑みながら小さく手を振る。他の隊員たちも無言で頭を下げたり頷いたりとあいさつを済ませ、マンホールへと集まった。


 まずは波照間がほんの少しフタを開けて周囲の様子を探り、誰もいないことを確認したところで素早く外へ出る。路地裏に配置されたマンホールを選択したので人目につく可能性は低かったが、それでも注意は必要だ。


 路地裏に出た波照間は、身を隠しながら通りの様子を確認する。夜行性の猫に似た種族故か、通りに出ている者はまばらだ。そして、誰も路地裏を気にする者はいない。


 潜入先である屋敷は漆喰で固められた方の壁の向こう側にある。ここならば侵入していても誰も気づきはしないだろう。


 安全を確認したところで、波照間はマンホールのフタを開けて合図を送る。隊員たちが素早く脱出すると、青木がフタを閉め、その間に鈴音が壁にロープをかける。そこに波照間が素早く取り付き、外壁の内側の様子を探った。


 正面には建物があり、外壁と建物の間にある通路も敵の姿はない。今度も安全を確認できたので、波照間はハンドサインを送ると外壁の内側へと侵入。隊員たちがそれに続いて全員侵入を果たし、本格的に作戦行動が開始されることになる。


 標的の屋敷とは、シェイというこの国で一番の奴隷商人の所有物件だった。本人は不在故に、警備も緩い。スキャンイーグルである程度の警備状況は事前に確認されており、今も飛行中の機体からスマホを通じて映像が送られてきている。


 矢沢らが会談を行っている間、波照間らの部隊は奴隷商人シェイの屋敷に侵入、邦人の売買記録を探し出し手に入れること。それが特殊作戦部隊の任務だった。

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