363話 合流前の問題

「ふんふふ~ん♪」

「ミルちゃん、妙にご機嫌じゃないか。何かあったのかい?」


 人でごった返している商店街の中、深くフードを被った衛生科の佐藤2曹は一緒に連れている少女に声をかける。


「だって、もうすぐサトーの船が来るんでしょ? たのしみなのは当然にゃにゃー」


 佐藤と共に歩くミルと呼ばれた少女は、食料品が詰め込まれた紙袋をぎゅっと抱きしめながら小さな花のような可愛らしい笑顔を浮かべる。


 瀬里奈と同程度の身長に、ウェーブがかった桃色のセミロングヘア。その頭頂部付近には、人の耳とは別に猫耳が生えている。まだ幼い丸顔と大きな垂れ目は素朴な田舎娘を思わせるが、その赤い目に入っている瞳孔は猫のように縦長だった。


 落ち着いた雰囲気ながらも豪奢な印象を残す深紅のチェック柄エプロンドレスを身にまとい、ローブの下に自衛隊の作業服を着た佐藤と共に歩く姿は、さながら妹のようにも佐藤は思えていた。


 護衛艦『あおば』を発ってから2ヶ月、ようやく連絡が来たと思えば、このレン帝国の首都であるタンドゥまで残り3日の距離に来ているとのことだった。そのことをミルに話すと、いつにも増して嬉しそうにしていた。


 一体あの艦にどのような期待を抱いているのかは全くわからないし聞いても答えてくれないが、何かしら楽しみにしていることはあるのだろうと佐藤は根拠なく納得して歩き始めるのだった。


 レン帝国の首都『タンドゥ』は、人口100万人を数える世界最大級の都市となっている。地球で言えばアジア圏のように一極集中の様相が強い。


 建物は古い中国大陸風の建物、もっと正確に言ってしまえば古代日本風の建物が連なる。各所には何重にも重なった瓦葺きの塔型櫓や商業施設が散見され、レン帝国最大都市としての機能を十二分に果たしている。


 一方で、各所の広場には防空陣地と思しき土塁や塹壕に置き換えられる小規模な運河も存在し、軍事都市としての機能も垣間見れる。


 ここの住民はマオレンと呼ばれる猫に似た顔を持つ獣人が大半を占める。体もフサフサの毛で覆われており、その上から日本風の狩衣や古代中国風の漢服を身に着けている。


 姿かたちはもろに直立二足歩行をするネコ科動物といった雰囲気で、手は人間のものに近いが、脚は猫のそれに類似している。顔立ちも完全に猫であり、ミルのように猫の痕跡が耳や尻尾、目といった一部だけで、他は人間の姿をしている者は見当たらない。


 2ヶ月暮らした感想としては、早く邦人を救助して帰りたい、というのが佐藤の正直な感想だった。マオレン以外の種族は例外なく奴隷であり、誰も彼もが鞭打ちの跡を体のどこかしらにつけている。そして、マオレンの奴隷というのは一切見当たらない。


 ここの支配民族にとっては天国のような環境だろうが、奴隷にされる人々は悲惨の一言に尽きる。偵察任務も仰せつかっているため邦人の存在も確認したが、現状では救助できないのが実情だ。


 今は『あおば』が倒したドラゴンの死体の調査を終え、レンの偵察と分析にリソースを割いている。この情報を活かすには、どうしても『あおば』が来なくてはならない。


「それじゃ、帰ろっか」

「あいにゃっ!」


 嫌なことを考えていても仕方ない。佐藤が買い物を切り上げて帰ることを提案すると、ミルは佐藤に笑いかけた。


  *


「佐藤、ただいま戻りました……!?」

「にゃにゃ~っ!?」


 タンドゥ郊外の丘に建つ二階建ての家屋に戻った佐藤とミルだったが、ドアを開けた途端に気を失うほどの凄まじい臭気にさらされることとなってしまい、慌てて屋外へと避難する。


 加齢臭にドブの臭いを混ぜ、糞で強化したような凄まじい有機的な臭い。もはや殺人的でさえある刺激臭に、2人は全くもって耐えることができなかった。


「うっぷ……何だったんだ今の」

「あーもう……にゃ!? う~ん、たぶんご主人様がお料理してるんだと思うにゃ」


 ミルは冷や汗のようなものを流しながら、引きつった笑みを見せる。それに対し、佐藤は疑問に思うことを聞くだけに留めた。


「料理って、今日は南野さんがやるんじゃなかったっけ?」

「それと、アタイもお手伝いすることになってたにゃ」

「だよね。それじゃどうして……」

「ごめんねー、それはうちから説明するね」


 2人が疑問に思っていたところ、家の中から1人の少女が現れる。


 手入れがほどほどに行き届いた金色の長髪に、同族であるエリアガルドよりほんの少しだけ低い背丈、そして元気な印象を与えるすっきりとした顔立ちの少女。この家の主、パラミティーズ・プリンストン、通称パロムだった。


「あ、ご主人様……うげ!」

「ちょっと、臭いがきついんだけど……」

「ちょっと失敗しちゃってね。でも大丈夫、ちゃんと美味しく食べられる物を作るからね!」

「も、もうやめてくださいにゃ、ご主人様ぁ……」


 ニコニコと朗らかな笑顔を浮かべるパロムに辟易したのか、ミルは物腰低い猫なで声でやんわりと制止する。


 だが、パロムの意思は曲げられることなく、彼女は何度もかぶりを振る。効率主義者のくせに料理が下手だと認識していないせいで、たまに料理を悪臭塗れの物体や食べられたものではない何かに変えてしまう。それを治さないのも問題だった。


「いいやダメだね。ミルだけじゃ手間がかかるし、佐藤くんは料理が下手なんだから、うちが作るしかないよね?」

「ああもう……それより、どうしてこうなったか説明してくれるかな?」


 パロムの頑固さに辟易した佐藤は、ひとまず状況説明を要求することにした。料理当番がいるはずだが、なぜ南野ではなくパロムが作っているのかがまず気になった。


 すると、パロムは一転して困り顔を作ることになる。


「あーそれね。菱川くんが貰ってきたジュセロー風邪が南野ちゃんにも伝染った可能性があってね。研究室で隔離してるんだよね」

「そんな……」


 あり得たはずのことだが、実際に起こってしまうと辛い。佐藤は頭を抱えるしかなかった。


 数日前、偵察活動中に医官の菱川雄二郎2佐がジュセロー風邪という流行り病にかかってしまい、一時的に彼は隔離措置を受けることとなった。同じく医官の村沢1尉が看病に当たっているが、そのサポートをしていた南野亜子2曹まで感染してしまったらしい。


 症状は完全に風邪のそれだ。適切な対処を行えば重症化することはないとパロムは説明するが、それでも地球には存在しない病気を広げるわけにはいかなかったのだ。


 今日の食事当番である南野が感染して隔離措置に入り、手伝いのミルは買い物。1人残されたパロムが予定の時間を守るため食事を作ることにした、というところだろう。


『あおば』の到着まで時間が無いというのに、隊員の3人は病気に感染してしまっている。このまま接触していいものかと佐藤は考えたが、拉致被害者のことを考えれば早急に救出作戦を行いたい。仕方のないことなのかと割り切りつつ、佐藤はこれ以上何かを言うことをやめた。

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