362話 決められた選択肢
「瀬里奈、君は本当に戦うというのかね」
「あったりまえや。せやないと、日本人のみんなが……」
矢沢に諭され、瀬里奈は言葉を詰まらせながらも覚悟を語った。
だが、それだけではダメだ。矢沢は士官室の照明を落とし、ホワイトスクリーンにプロジェクターで映像を映し出す。
人間の死体が道路に横たわっていた。脚がもげ、おびただしい量の血が砂だらけの地面に広がっていく。頭にターバンを巻いた白い服の男は、既に息絶えていた。
「うっ……!?」
映し出されているのが何か理解した瀬里奈は、目を見開いて口を塞ぎ、慌ただしく視線をあちこちに向けていた。
次は女の子の映像だった。全身に爆弾の断片を受け、爆圧によって内臓が口や局部から飛び出している。服は燃え、白い肌も煤で汚れているばかりか、一部は炭化してしまっている。傍には拙い字のウクライナ語で「戦争はいや」と書かれたプラカードが落ちていた。
最後に出された映像には、人に見えるものは映し出されていなかった。辛うじて脚は判別できるものの、腰から上は内部からめくり上がるように開かれ、内臓や血液をぶちまけている。事前に動画をチェックした波照間曰く「アジの開きを人間でやろうとして失敗したような感じ」とのことだ。下腹部の内臓と思しき部分から小さな人の頭部が見えている辺り、妊婦だったと推定できる。
もはや見るに堪えないものばかり。瀬里奈は顔を背け、椅子にしがみついて震えていた。
そこを矢沢は容赦なく突いていく。
「何故目を逸らす。君が飛び込もうとしているのは、これが普通に起こり得る戦場だ。いや、君が何の罪もない人間をこのような目に遭わせるかもしれないし、君自身がこうなるかもしれない。目を逸らすな」
「せやけど……」
「我々もこれを覚悟でやっている。拉致被害者を救うという大義名分があるとはいえ、やっていることは人殺しに違いない。君がどれだけ人を殺さないと決めていたとしても、必ず誰かを殺害するという選択肢しか与えられないこともある。実際に私はその決定を下さなければならなかったことがある。敵を何十、何百と殺さなければ、艦が沈められたからだ。そして、私がそうしろと命じれば、君はそれに従わねばならない。戦争にヒーローはいない。いるのは人殺しだ」
「ううっ……」
室内の照明が戻り、瀬里奈がただ困って泣いている姿がより鮮明になる。矢沢だけでなく、その場に居合わせた佳代子や波照間、菅野も彼女を慰めることはなかった。
「前も言った通り、勝手な行動を取られれば味方の命を危険にさらす。前回ヤニングスに敗れた時のように。だからこそ、君は作戦指揮官である私の命令に従わねばならない。これは君を自衛官として認めるものではないが、拉致被害者解放のため戦うと決めてこの艦に乗り込んできた以上、私の命令に従う義務が発生する。この艦から出ていって勝手に戦うのもありだが、その場合は君を妨害する者と見なして捕縛、もしくは排除することになる」
「そな……ほな、おっちゃんがうちに人殺せ言うたら、そうせなあかんの!?」
「当たり前だ。私が君に何の罪もない子供を苦しめた上でバラバラにして殺せと命令すれば、君は子供を惨殺せねばならない。逆に死ねと命令しても、君は命令通り死ななければならない。これが実力組織としての自衛隊の本質だ」
矢沢は目を逸らし続ける瀬里奈に躊躇いもなく冷徹な言葉を浴びせ続ける。瀬里奈が他の者たちに助けを求めるような目を向けても、誰も瀬里奈を助けないどころか、冷たい目を投げかけるだけだった。
もはや逃げ道はないと悟ったのか、瀬里奈は怒りとも侮蔑とも取れる厳しい目を矢沢に向ける。
「それ、ほんまに日本の人らを助けるための命令やねんな!?」
「そうでない可能性もある。何らかの方針転換を行った上で、邦人救助とは関係なく、何の大義名分もなく、1国を崩壊させ、そこに住む人々を根絶やしにする方策を取ることも考えられる。そこで君が辞めたいと思うのは自由だが、1つの作戦が終わるまでは離脱を許さない。作戦中に君がおかしいと思っても、私がいいと言うまでは命令に従って人を殺すマシンにならなければならない」
「アホやん……おかしいわ……」
「おかしくない。武器を持ち、人を殺す権限を国家から与えられるということは、命令者の命令に絶対服従することを意味する。先述の事項を1つでも無視してしまえば、軍隊は軍隊でなくなり、ならず者の集まりと化す。瀬里奈、戦いたいなら理解しろ。戦うということは、生きながらにして地獄に堕ちるということだ。少女アニメのようなキラキラした戦いなどあり得ない」
矢沢は構わず続けたが、もちろん自分で矛盾していることにも気づいていた。
命令を受け取らず行動するのは今更で、今回の件に至っては日本の方針に背いたり、権限を逸脱するような事例もある。この艦は既に海賊船だ。
だが、矢沢が言ったことは全て軍隊の基本であって、自衛隊でもそれは変わらない。瀬里奈には、基礎教育としてこういうことを知っておかねばならないのだ。
でなければ、瀬里奈の命を保障できない。どんな命令にも従ってくれなければ、瀬里奈を守ることはできないのだから。
故に、あえてあり得ないようなシチュエーションまで出し、瀬里奈を試している。瀬里奈が大事だからこそ、厳しく事に当たらなければならないのだ。
そして、矢沢は最後にトドメと見せかけたヒントを与える。
「瀬里奈、君の目的は何だ。画面の向こうのプリキュアになることか、それとも邦人を助ける役に立つことか」
就活における意地悪な質問ではない。選ぶべき選択肢など最初から決まっている。しっかりと己の意思を持っているのなら、間違うはずがない二択問題なのだ。
確かに、瀬里奈の意思を挫くような意地悪な問答はしたが、これに瀬里奈が気づけていれば何も問題はない。ここは瀬里奈と矢沢の信頼の問題だからだ。瀬里奈が矢沢を信じられないのなら、艦を降りてもらうしかない。
言葉や映像の暴力で打ちのめされた瀬里奈は、しばらく黙り込んでいた。俯いて涙を流し、怯えてカタカタと震えていた。
アメリアから聞いたが、銀も同様のことをしたらしい。しかし、これは銀の仕打ちより遥かに残虐だ。それでも、瀬里奈は乗り越えなければならない。
瀬里奈が言葉を失って数分後、ようやく彼女は顔を上げ、手で涙を拭った。
「……おっちゃん、うちな、やっぱり困ってる人らを助けたいねん。けど、そうせなあかんねやったら、うちも従う」
「そうか。例え困っている人々を殺せと命令されてもか」
「ううん、おっちゃんはそんなことせえへんって、うち見てきたもん。やっぱそうやなって考えたら、急におっちゃんが言ってること、変に思えてきて。うちのことメチャクチャ言いながら、ほんまは試してるだけやないのって思ってん」
「わかった。それが君の答えか」
「うん」
瀬里奈はまだ何かに怯えているように震えていたが、それでも矢沢を見上げる目だけは勇気を湛えていた。
最終的に、瀬里奈は答えに辿り着いた。であれば、祝福しないわけにはいかない。
矢沢が称賛の声を送ろうとしたところ、急に佳代子が瀬里奈に泣きながら飛びついた。
「ううっ、瀬里奈ちゃん! いいこいいこですよう!」
「わっ、何やねん!」
「はぁ……」
佳代子は嫌がる瀬里奈の頭を執拗に撫でつづけ、菅野も安堵のため息を漏らす。
一方、波照間は矢沢の隣に来て笑みを作った。
「艦長さん、ほんと意地悪ですね」
「このくらいしなければ、瀬里奈の命は守れない。彼女の望みと我々の目標を両立させるには、この方法しかなかった」
「わかっています。だから、あたしも支持したんですから。艦長さんなら、瀬里奈ちゃんを守ってくれるって」
「期待には絶対に応える」
矢沢は波照間の方を見ず、瀬里奈を見つめながら言った。
子供を戦場に立たせるのは最悪の行為、明確な戦争犯罪だ。それでも、今の自衛隊には瀬里奈の力がいる。苦渋の決断とはいえ、これが正しいことを祈るばかりだった。
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