361話 霧が晴れるように

 太陽が昇り、頭上から地上を照らす頃、瀬里奈は港を出て水平線の向こうに消えつつある艦隊を茫然と見つめるばかりだった。


 結局、再び艦に乗り込む勇気を、瀬里奈は持つことができなかった。


 死ぬのが怖いと考えるよりも、周りの大人たちが怖くなってしまったからだ。


 仲間外れにされているわけでもなければ、自分の実力を信じてもらえていないわけでもない。それでも、大人たちは瀬里奈を戦いから遠ざけようとする。


 瀬里奈の内に渦巻く思いを一番底まで掘り下げていけば、結果的に「顔も見たくなかった」という結論に至るのだろう。


「はぁ……」


 だからこそ、瀬里奈は桟橋に近い道路から、ため息をついて涙を流すことしかできない。


 そんな瀬里奈の背後から、誰かが近寄って来るのを僅かな魔力の波動から感知した。どきりとした瀬里奈は思わず振り返る。


「な、何やねん……」

「ああ、子供が道路でずっと突っ立っていると警備の連中が話していたものでな。我が直々に様子を見に来てやったまでだ」


 姿を見せたのは、他でもないロッタだった。呆れたような三白眼を見せるロッタに、瀬里奈は小さな声で反論する。


「別に、なんでもあらへんよ。うちの勝手やんか」

「誤魔化すと辛いだけだ。大人しく白状しろ」

「白状言うて、何もあらへんって!」

「我とて報告は受けている。意思疎通の重要性はしっかり学んでいるものでな。ヤザワだけではない。お前を戦力とするかで、あの艦は揉めに揉めていた」

「……っ」


 ロッタは瀬里奈に顔を近づける。背丈のせいでほんの少し上目遣いになってしまうが、それでもロッタに図星を突かれ、おまけにある種の威圧感を与えられては、瀬里奈とて怯んで黙り込むしかない。


「我は別に構わん。お前がこの村かダリア軍、もしくはフランドル騎士団で活動したいというのなら、村の長に相談すればいい。お前ほどの才能を持つ者がいれば、ダリア軍も安泰だろうからな」

「そんな気はあらへんよ。うち日本人やし」

「そうだろうな。それに、アセシオンが大きく弱体化すると同時に、我らやシュミードが武装中立とジエイタイとの協同歩調を宣言してからは、周辺のきな臭い動きも減った。この大陸に活躍の場はない」

「ほな、なんで言ったん」

「それが望みだったのだろう? 軍に所属して人々の役に立つのなら、それくらい手はある」

「ちゃうわ! うちは……」


 瀬里奈はロッタの的外れな問答に反発しようとしたが、途中で言葉を切った。


 自分が何をしたいのか、というのは既にわかっていたのではないか。


 確かに、論理的に人を守る仕事がしたいのであれば、邦人村にいてもいいはずだ。それを選ばないのは、もっと何かしたいことがあるからだと。


 そうであれば、やりたいことは決まっている。


「……やっぱり、さらわれた人らを助けたいねん。せやのに、みんな危ないとか覚悟がないとか死ぬとか……」

「死ぬなど当たり前だ。人はいつか死ぬ。だが、我ら軍隊は国民や国家を防衛するために命を投げうつ。それが国のため、国民のためだとわかっているからだ。国がなければ国民は暴力と無秩序にさらされ、国民がいなければ国など元から存在しえない。国民は集団の中でこそ生きられ、集団は国を成り立たせ、国は国民が創ることで成り立つ。全て同じものだ。それを分かつなど、肉体を半分に裂くことと同義。そして、お前たちジエイタイ、いや、この世界に流れ着いたニホンの意思は、国民を取り戻すため戦いに打って出ている。お前が真に誰かの助けになりたい、命を投げうってでも助けたい者がいると願うのであれば、今すぐ追いかけるべきだ。今のヤザワであれば、話を聞くだろう」


 そのロッタの言葉に、瀬里奈はしばらく考え込む。


 別に助けたい特定の人がいるわけでもない。ただ、アクアマリン・プリンセスに乗った日本人の中には、今も奴隷にされて苦しんでいる人々がいる。今はしっかり守られている邦人村の人々よりも、今も奴隷として苦しんでいる人々を助けたい。


 瀬里奈はハッキリと自分の意思を思い描けた。今まで何かモヤモヤと霧がかかっていたような思考が、一気にクリアになる気がした。


「うち……っ!」


 瀬里奈はロッタに何か言おうとしたが、その言葉は全く思い浮かばなかった。ありがとうの言葉を言うべきだと頭で考える前に、瀬里奈は魔法で海の方へ飛行していった。


  *


「針路そのまま、両舷前進強速」

「針路そのまま、両舷前進強速!」


 矢沢が速度変更の命令を下すと、航海士たちが命令を復唱。速力管理を行う航海士が速度調節レバーを引いた。スクリューの回転数が上がり、艦は3ノットほど増速していく。


 海は誠に穏やかで、波もほとんどない。海上を飛行する海鳥やドラゴンどころか他の船の姿もない。


 もちろん見張りは必要だが、それにしても平和そのもの。矢沢にしてみれば、常にアセシオン艦隊を警戒していた半年前が嘘のようにも思えてくるし、同じ海だとも思えなかった。


 隊員たちも各々の仕事を普段通りにこなしている。雰囲気は全く違うものの、この海の穏やかさは日本にいた時を思わせる。


 しかし、CICの菅野から突如として連絡が入る。


『艦長、方位290からアンノウンがまっすぐ近づく。速度400ノット、ESM反応なし』

「ふむ……見張り、290より近づく目標を確認せよ」

「了解」


 方位290といえば、ちょうど邦人村の方角だ。グリフォンではありえない高速だが、対艦ミサイルとしては低速となっている。ちょうど旅客機程度の速度だ。


 当然ながら、この世界に旅客機や対艦ミサイルなど存在しない。それでも警戒は怠るわけにはいかず、満を持して警戒状態を維持しながら確認作業を行わせる。


「方位290、近づく目標を肉眼で確認。大橋さんです」

「瀬里奈か。なるほど……」


 近づいてくるのは瀬里奈だと知り、矢沢は安堵のため息を漏らした。確かに問題を運んできたのは間違いないが、とにかく敵ではないことだけはわかったのだから。


 とはいえ、速度を抑えめにしている理由はハッキリしない。もしかすると配慮したのかもしれないが、瀬里奈がそうするということは、何か裏がありそうな気もしていた。


 瀬里奈が追い付く頃の時間になると、艦橋左舷のウィングに立つ見張りたちが急に騒ぎ始める。どういうわけかとそちらに椅子を回してみると、ちょうど瀬里奈が艦橋に飛び込んでくる場面を目撃してしまう。


「おっちゃーん!」

「な、瀬里奈!?」


 艦橋へ侵入してきた瀬里奈は、艦長席に座る矢沢の姿を見るなり、彼の太ももに手をついて顔を近づけてきた。


「おっちゃん、うちも戦いたいねん! なんでも言うこと聞くから、うちも戦わせてな!」

「む……まあ、そうだろうとは思っていたが」


 瀬里奈の目的は、やはり戦いに出ることだった。もちろん、安易に認めるわけにはいかないのは当然だが、方針転換すると決めた以上、話を聞かないわけにもいかない。


 矢沢は席を立つと、瀬里奈を士官室に連れていくことにした。

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