358話 大人の責任
瀬里奈の精神は限界に達していた。
戦うということは、死ぬ覚悟を持つこと。銀はそう言っていた。間接的ではあるものの、ルイナも同じようなことを幻覚として見せた。
戦う、ということはどういうことか、死ぬ、ということはどういうことか。
瀬里奈は実際に人が死ぬようなところを見たこともなければ、葬式に参加したこともない。
誰かが悲しむというのは、アクアマリン・プリンセスの乗客たちの中に家族が殺害されてしまった人たちがいたことで知っている。
ただ、直接的に「人が死ぬ」ということはどういうことか、それを理解できていなかった。ましてや、自分が死ぬというような想像などしたこともない。
一体なぜ、このような話になってしまったのだろうか。瀬里奈は俯きながらトボトボと重い足取りで艦内の通路を当てもなく歩いていた。
すると、通路の向こう側から大松補給長が歩いてくる。元気がないのをすぐに見抜いたのか、心配そうに声をかけた。
「あら、瀬里奈ちゃんじゃない。こんな時間まで何してたのかしら?」
「別に、なんでもあらへんよ……」
瀬里奈は大松の凛々しい顔を見ず、俯いたまま答えて通り過ぎようとする。さすがに見ていられないと思ったのか、大松は瀬里奈を引き留めた。
「もし時間があるなら、ちょっとアイスでも食べに行かない?」
「いや、うち甘いもん苦手やし……」
「それじゃあ、苦手は克服しなきゃね。ほら、こっち!」
「もー、勘弁してーな……」
瀬里奈の必死の抵抗も空しく、瀬里奈は大松にか細い腕を引っ張られ、強引に自販機へ連れて行かれてしまう。
結局、瀬里奈は大松の息抜きに付き合わされてしまうのだった。
*
「どうせタダだし、何か出してあげるけど。何がいい?」
「んー……ほな抹茶で」
「オッケー」
大松は自販機の傍にある小銭入れから100円玉を取り出し、自販機に入れていく。アイスが出てきたところで、調理担当の隊員以外誰もいない殺風景な食堂でアイスを堪能する。
「ん、おいしい」
大松はソーダ味のアイスに舌鼓を打っていたが、瀬里奈はなかなか食べずにアイスをぼんやりと眺めているばかりだった。
死んでしまったら、このアイスも食べられなくなってしまうのだろうか。友達にも会えず、楽しいこともできず、ただ消え去るしかないのか。
ただ、それを自分のこととは思えなかった。自分が強い力を持っていると知らされた時から、自分はプリキュアのように活躍できるのだと思っていた。
しかし、それは違った。周りの大人の誰もが、瀬里奈が戦いに出るのを引き留めようとする。
ヤニングスに切り伏せられた時も、ただ負けたのだとしか思えなかった。不思議と恐怖感は浮かんでこなかった上、むしろ悔しいと思うようになっていた。だからこそ更に力をつけて、アモイではドラゴンのビームから『あおば』を守った。
今度こそみんなの役に立てた。そう思っていたが、ジンのルイナ・グローリーには足蹴にされ、銀からは説教を食らうハメになった。
なぜそんなことにならなければならないのか。全くもって瀬里奈にはわからなかったのだ。
溶けかけたアイスを一口かじると、甘みと苦みが混ざったような味が口に広がった。何度か抹茶アイスを食べる機会はあったが、ここまで味気なかったものかと疑問に思う。
すると、既にアイスを食べ終えていた大松が瀬里奈の頭に手を置いた。
「みんな、瀬里奈ちゃんを心配してるの。だって、瀬里奈ちゃんはまだ子供だし、お父さんやお母さんに代わって、アナタを守るのが役目だからね」
「うち、もう子供やないし!」
「そう思ってるうちは子供なのよ。大人っていうのはね、自分が大人だと知ってショックを受けるし、もう大人になっちゃった、って寂しくも思っちゃうものなの」
大松は頬杖をつき、食べ終えたアイスの包み紙を手でいじって遊ぶ。メガネ越しに見える目の下に小さなクマを作った彼女の顔は、瀬里奈からはどこか儚げにも見えた。
「そういうもんなん?」
「そういうもの。大人は責任を負わなきゃいけない。人によって責任は違うけど、最低でも社会では大人として守るべきルールがあるの。必死に働いて、税金を納めて、子供にお勉強を教えてあげないといけない。ううん、それだけじゃない。国際法や国内法令を守って、マナーを守って、地域や会社のルールを守らないといけない。それに、大人としての体面を保つために、マナーだけじゃなくて自分に課すべきルールも守るの」
「そんなん……めんどくさ」
「そう。めんどくさいし、全部を守れてる人は少ないと思う。ま、大人って要は大きな子供みたいなものだけど、それでも大人でいなきゃいけないし、努力は続けていくしかないの」
「うう……なんか、急に大人になりたなくなってきたわ」
「それでも人は大人にはなるもの。瀬里奈ちゃんは確かに子供。大人のことを何もわかってない。でも、大人にはなりかけてる。瀬里奈ちゃんが戦いたいって思う原動力こそ、大人になりかけてる証拠なの」
そう大松は言うと、瀬里奈の胸の真ん中を指で押した。倒れない程度の強さではあったが、瀬里奈は困惑して胸を隠した。
「うちが戦う理由て、そんなんどこで聞いたん?」
「艦長から。なるべく艦のことは共有するよう言われてるからね」
「ああー、そんなん言うてたな……」
瀬里奈は少し昔のことを思い出す。矢沢に戦いたい理由を聞かれ、自分の思いをぶつけたことを。
「ほな、パイプのねーちゃんはどう思ってるん?」
「パイプ……? ああ、うーん……私は子供を危ない目に遭わせるなんて反対。だけど、喧嘩した航海長と砲雷長はそれぞれの意見を持ってた。航海長はみんなのために瀬里奈ちゃんの能力を活用すべきだって思ってたし、砲雷長は子供を自衛隊員の盾にするのを嫌がった。自衛官は国民を守る仕事で、そういう責任を持ってるから。けど、航海長の言う通り、私たち自衛隊がどうにもできないところで瀬里奈ちゃんが盾になってくれれば、邦人たちは死なずに済む。どっちも正しくて、選ぶのが怖い。何だかんだ言って、私は怖いだけなのかも。瀬里奈ちゃんが死ぬのも、瀬里奈ちゃんに守ってもらえば死なずに済むはずの人々が死ぬのも」
大松は目を閉じ、ひときわ大きなため息をついた。
どっちにしても、誰かが死ぬ可能性はあるし、誰も死なない可能性もある。
ただ、どちらかを選べば、どちらかのリスクが大きくなる。それだけではない。どっちにしても、人々の後悔や罪悪感というものは残るはずだ。
大松はどちらも選びたくない。選べない。大人の立場として、選ぶことを拒否してしまおうとしている。たとえ、選ぶしかない選択肢だとしても。
「結局、私も大人じゃなくて、大きな子供なのかも。あはは……」
最後に苦笑いで誤魔化す大松。それに対し、瀬里奈は彼女の話を自分のことのように聞いていた。
大人として、子供を戦場に立たせることがどういうことか。それが少しわかった気がする。
「やっぱり、瀬里奈ちゃんが選ぶべきなのかもね。自分がどうすべきなのか」
「……うん」
その時、瀬里奈は頷くしかなかった。
考えてみよう。そうしないと、大人として頑張る自衛隊の人たちにも迷惑をかけてしまう。それに、自分の気持ちにも整理をつけないといけない。そう思ったからだ。
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