357話 辛すぎる規範

 瀬里奈を邦人側の戦力として数えるかどうか。日本の国内法だけでなく、地球側の条約や普遍的な道徳にまで踏み込む、極めてセンシティブな問題。それは今や幹部たちの不和まで引き起こす事態までも引き起こしてしまっている。


 アセシオン人のアメリア・フォレスタルは外部の人間ではあるが、今やこの船に乗り組む仲間であり、なくてはならない存在となっている。その意識がある以上、この問題を憂慮しないわけがない。


 もちろん、アメリアの考えは自衛隊とは違う。戦うための力を持っている上で、本人が戦う意思を持っているのだとすれば、その意思を尊重するべきだと思っている。逆に言えば、矢沢らがなぜあそこまで拒否感を示すのかがわからなかった。


 それでも、瀬里奈を戦力として数えてはいけないというのは、自衛隊内の中で支配的な意見となっている。幹部たちだけではなく、少なくない数の曹士たちに聞いても、みな一様に首を振るだけだった。


 そこで、アメリアは瀬里奈を自室に呼び出し、自分がどうしたいのかと聞いてみることにした。


 アメリアのペットである皆川銀と他愛もない話をして時間を潰しつつ、瀬里奈のことを待つ。


 本来の姿であるネズミの姿は真っ白だったが、アメリアの魔力を借りて人間の姿に変身した銀の髪は、飼い主と同じく美しい銀色。ずっと撫でていてもいいと思えるほどサラサラしており、アメリアの気を紛らわせてくれる。


 予定の時間から15分ほど遅れて、瀬里奈がアメリアの部屋のドアを叩いた。金属製故か、ドアを叩く強さの割に音がよく響いた。


「うちやけど、いるー?」

「はい。開いてますので、入ってください」


 瀬里奈が2つのおさげ髪を揺らしながら入室すると、アメリアが笑顔で出迎えた。傍の兵員用ベッドには銀が座り、瀬里奈をじっと睨みつけている。


「遅い。本当にやる気あるの?」

「な、いきなり何やねん……」


 瀬里奈が何かを言うより前に、銀が棘を含んだ威圧的な言葉で糾弾する。それに対し瀬里奈はムッと顔を膨らませたが、アメリアが間に入って諫めようとする。


「い、いきなりはダメですよ、まーくん……」

「アメリア、甘やかしちゃダメよ。何度も言ったわよね? 普段から甘さが出てると、それだけ命取りになるって」

「それは、そうですけど……」


 アメリアは銀に押し込まれ、口を閉じるしかなかった。


 銀の言っていることは正しい。瀬里奈を戦力に加えるのであれば、最低限でも自衛隊の規律に従う必要がある。遅刻など論外なのだ。


 しかし、瀬里奈はそもそもなぜ呼び出されたのかわかっていない。いきなり銀に問い質されたことで、すっかり不機嫌になっている。


「何やねん、いきなりキレんでもええやろ!」

「あんたが一番悪いのよ。せめて遅刻はしないでちょうだい」


 銀は銀色の長髪を手櫛でさらりと整えると、改めて姿勢正しくベッドに座り直す。


「瀬里奈、この艦と一緒に戦いたいって言ってたけど、それがどういうことかわかってる?」

「どういうことやて……いきなり何なん?」

「あんたが戦いたいって言うから、それがどういうことか聞いておかないといけないと思ったのよ」

「えっと、はい……」


 本来ならば自分が言うべきだったことを銀に取られ、アメリアは肩を落とした。すると、瀬里奈はしばらくの間キョトンとした顔を見せていたが、質問の意図を理解したところで真剣な表情を作った。


「そ、そら当たり前や。うちがみんなを助けんねん!」

「確かに、志願兵の応募理由としては普通ね。だけど、思い上がりもいいところよ。自分がみんなを救うだなんて、まるでおとぎ話の勇者じゃない。戦争はおとぎ話じゃないのよ」

「な……自分もそないな言うんかい!」

「そりゃそうよ。みんな考えてることは一緒だもの。あんたが危険人物なのよ」

「何やねん、この!」


 困惑するアメリアをよそに、銀は頭に血が上ってきた瀬里奈に容赦のない言葉を浴びせかけた。瀬里奈も我慢できなくなったのか、腕に魔力を込めて銀に殴りかかろうとする。


 瀬里奈が銀の顔にパンチを打ち込もうとしたところ、アメリアの防御魔法陣が完璧にガードした。収束した魔力同士が狭い部屋の中で弾け、バン、と大きな音を立てた。


「アメリアねーちゃん……」

「セリナちゃん、やめてください。私、こんなことをさせるために魔法を教えたんじゃありません」


 瀬里奈の攻撃を防いだアメリアの表情は、ほんの数秒前まで困惑していた彼女のそれとは全く違っていた。瀬里奈が経験してきたであろう、他の大人たちと同じ厳しいものだったはずだ。


 それを察したのか、瀬里奈は涙目になりながら、その場に崩れ落ちる。


「そな……もう! ほな、うちどないしたらええの!? うちかて役に立ちたいのに!」

「まずは、軍隊がどういうものか知ることね。軍隊はヒーローじゃないわ」


 今にも泣きそうな瀬里奈が震える声で訴えると、銀は瀬里奈の前に立って腕を組む。


「1人はみんなのために、みんなは1つの目的のために。これが軍隊のあるべき姿。1つの目的のためなら、1人でもみんなでも潔く死ぬのよ。あんたにはその気が全く見えないわ。自分が一番で、他を助けてあげるっていう思考。そんなヒーローじみた考えは今すぐ捨てなさい。戦うなら、自分が死ぬ覚悟で戦いなさい。じゃないと迷惑なだけよ」

「死ぬって……言われたって……」


 瀬里奈はますます追い込まれたのか、詰め寄る銀を恐怖の眼差しで見つめていた。


 アメリアが聞いている限りでは、確かに銀の言っていることは正しい。軍隊とは目的のために統制が取れていなければならない。1つの目的のためなら部隊が戦いに赴き、その部隊が目的を達成できたのなら、1人が死んだとしても作戦は成功なのだ。


 だが、自ら誰かのために命を捧げるなど、たった10歳の子供には辛すぎる。


 しまいには、瀬里奈が耐えきれず脱兎のごとく逃げ出していった。全く、と悪態をつく銀を見ると、アメリアは結局自分が言いたいことを何も言えなかったことに気づいてしまうのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る