356話 少女への思い

 トランスポンダという装置は、航空機の位置や速度、針路を表示する装置であり、民間において航空管制に利用される他、軍用では敵味方識別装置としても用いられる。


 少女が常に携帯できるような小さなトランスポンダなど存在しないが、イージス艦の能力や通信インフラを活用すれば、瀬里奈を常に味方として識別する方法は確立できる。


 だが、問題はそこではない。瀬里奈の能力はアメリアやラナーの能力だけでなく、ジンの能力とも違う特殊なもので、なおかつ極めて強力なものだ。本来ならば利用しない手はないのだが、いかんせん彼女はまだ小学生の子供だ。


 著しい人権侵害な上、瀬里奈自身の命を危険にさらす行為。少女への強姦と大差はない。瀬里奈自身が参戦を望んでいるとしても、ここで瀬里奈の参戦を認めてしまえば、かつて強く糾弾したシュルツにも劣る外道になる、ということだ。あくまでこの世界の住人であるアメリアやロッタとは違う、地球で生まれ育った日本国民なのだから。


 戦争は非道なものだ。その遂行には必ず誰かの死が付きまとう。既に自衛官も4名が殉職し、邦人にも少なくない被害が出てしまっている。


 常に死の危険が伴う戦いの真正面に小学生の女の子を送り込むなど、できるわけがないのだ。


 それでも、瀬里奈の「戦いたい、誰かの役に立ちたい」という思いは止められない。アセシオン最強の剣士ヴァン・ヤニングスとの直接戦闘やゴブリンの襲撃、ドラゴンとの戦い。瀬里奈がいたことで流れが変わった戦いも何度かある。


「どうすればいいのやら……」


 矢沢は副長の任務とは別に行っている定期巡検を行いながらも、ぼんやりとそのことを考えていた。


  *


「菅野さん、どう思います?」

「ん、何がだい?」


 士官室で休憩していた鈴音が、ふと船務長の菅野俊樹3佐へと語り掛ける。対して菅野はコーヒーのカップを置き、鈴音の迷うような目を一瞥する。


「いや、瀬里奈ちゃんのことですよ。あいつ、マンダ野郎のビームからオレたちを守ってくれたりしたじゃないですか。艦の運用をアグレッシブに変えるってなら、瀬里奈ちゃんの力も活用することになるのかなって思いまして」

「そのことか……僕個人の意見だけど、瀬里奈ちゃんには戦ってほしくないな。子供を危険な目に遭わせるなんて、大人のすることじゃない」

「やっぱり、そうですよねー……」


 鈴音は菅野の冷静な答えを聞くと、頬杖をついて天井を眺めた。


 菅野には鈴音の言いたいことがわからなかったが、もしかしたら、という危惧はあった。


 その真偽を確かめるため、今度は菅野が鈴音に質問を投げかけてみることにする。


「それじゃ聞くけど、君は瀬里奈ちゃんが戦うべきだと思ってるのかい?」

「そんなこと……いや、瀬里奈ちゃんがいれば、この艦はどんな攻撃が来たってへっちゃらなんですぜ。自分の身は自分で守れる。だったら、バリアを張ってもらうだけでも協力してもらえないかなって思うんです。あの子自身だって、戦いたいって前々から言ってるし」

「……そう、なんだけどね」

「おい鈴音、どういう意味だ」


 菅野が煮え切らずに鈴音から目を背けるが、そこで同じく休憩していた徳山が怒りの形相を湛えて割り込んでくる。後ろには何か嫌な予感を感じ取っているらしいアメリアの不安そうな表情と、アイスを食べて満足そうにしている副長の姿もある。


 鈴音は徳山の態度が気に食わなかったのか、椅子から立ち上がって徳山にガンを飛ばした。


「どういう意味だって、瀬里奈ちゃんがやりたいって言うなら、オレたちがサポートできる範囲でやりたいことさせたらって言っただけで──」

「お前、わからないのか! 子供が死ぬかもしれないんだぞ!」


 鈴音が不機嫌そうに目を逸らしながら言うと、徳山は突如として怒りを爆発させ、テーブル越しに鈴音の胸ぐらに掴みかかる。机が揺れ、菅野が飲んでいたコーヒーカップが倒れて黒い液体を床下へとぶちまけた。


「この、離せよ!」

「ふざけるな! お前が自分で何を言ってるかわかってないからだろうが! 子供が死ぬところを見たことがあるのか!」

「そんなの、あるわけ……」

「じゃあ何も言うな! お前、子供が死ぬってことがどういうことか。全くわかってないんだろう! 無責任なことをぬけぬけと……お前みたいなバカがいるから戦争は無くならないんだ! 子供を戦争に駆り出すようなクズだって──」


 鈴音が否定的な反応を返すと、徳山は顔を真っ赤に染め、鈴音の頬に右手の拳を打ち込んだ。べき、と何かが潰れるような音と共に鈴音の体が飛び、士官室の机に激突。そのまま彼は床に転がった。


 頬にパンチを食らった鈴音が起き上がる前に、徳山は体の上へ馬乗りになり、幾度となく顔を殴りつけた。目に涙を浮かべ、自身も激しく震えながら。


「お前にはわかってないんだ! どんな理由であれ、子供が死ぬようなことがあっちゃいけないんだぞ! それでも自衛官か! 人間か!」

「徳ちゃん、やめてください!」

「おい徳山! いい加減にやめるんだ!」


 腹の底からひり出される震えた叫び声に半ば押し潰されつつも、副長の松戸佳代子2佐や菅野が徳山を止めにかかる。


 大柄な自衛官といえど2人がかりは振り切れなかったのか、背後から佳代子に脇を抱えられて引っ張られ、菅野からは鈴音の肩と徳山の顔を両腕で押し離すように2人を引きはがした。


 普段の消極的な姿とは違う徳山に驚いているのか、鈴音は鼻や口元から流血しながらも、それを拭くことなく茫然と徳山の姿を見ているだけだった。


 遅れてアメリアも2人の間に割って入り、徳山に向かって心配そうに話しかける。


「トクヤマさん、どうしたんですか一体……」

「あいつには、わからないんだ……子供が死ぬって、どういうことか……ッ」


 徳山は歯を食いしばりながら大粒の涙を流し続ける。真っ青な制服は既に水滴でびっしょり濡れており、一部には鈴音のものと思しき血痕も小さく見えている。


 なぜ、あれほど徳山が暴れるのか、菅野には全く理解できなかった。子供が死ぬのはあまりに悲惨なことだというのは誰でも意見が一致しているだろうが、ただの意見を聞いただけにしては大げさすぎる。


 その答えを聞く前に、佳代子がいつになく剣呑な表情でアメリアに頼みごとをする。


「アメリアちゃん、ちょっと徳ちゃんを部屋まで連れていってください。鈴くんはわたしたちがどうにかしますから」

「は、はい……えっと、スズネさん、トクヤマさん、セリナちゃんには私から相談してみるので、ここは穏便に済ませてくださいね……?」


 アメリアが小さな声で言うと、嗚咽を漏らす徳山に肩を貸して、そのまま彼の部屋へ連れていく。


 2人が士官室を後にしたところで、鈴音がポロリと独り言を漏らした。


「なんだよあいつ……」

「ごめんなさい。徳ちゃんも色々あるんです。許してあげてください」

「だからって、あんなに殴ることないじゃないか。いてて……」


 鈴音は何とか立ち上がろうとするが、顔を殴られて脳震盪を起こしているのか、立つのもやっとでフラフラだ。


 菅野は鈴音に肩を貸すと、ゆっくりとした足取りで医務室まで連れていった。佳代子は艦長に報告するため、目に涙を浮かべながら2人を追い越して艦橋へと向かった。


 結局、徳山のことについては聞けなかったが、それでも何かあるのは間違いない。


 とはいえ、それをあえて聞くことはない。普段は冷静な彼があそこまで動揺するということは、過去に何かがあったことは確かだ。


 他人のトラウマをほじくり返すほど菅野の趣味は悪くない。ここは黙って見守るべきだ。菅野はそう思いながら、医務室に着くまで続いた鈴音の愚痴に耐えることとなった。

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