354話 魔法と鋼鉄の翼で

『これより、装備運用試験を開始する。関係者は直ちに配置へつけ』


 護衛艦『かが』の飛行甲板に、『あおば』の艦長である矢沢1佐の声が響く。


 すると、予備自衛官やダリアの兵士たちが一斉に動き出した。ある者は見張りにつき、ある者は飛行甲板の端に陣取り、魔法陣を展開し始める。


 その様子を飛行甲板の隅から眺めていた東川は、なるべく心を落ち着けようと努力をしていた。


 あおばがアモイに旅立つことになった際、アクアマリン・プリンセスと共に邦人村を守ってきた戦力がある。航空自衛隊が導入した最新鋭戦闘機、F-35Bだった。


 ダリア周辺は外交努力によって安定したとロッタから報告を受けていたので、矢沢はこのF-35をどうにかして連れ出せないかと考えていた。そこで思い至ったのが、ダリアからもう1隻の大型艦を借り受ける、ということだった。


 邦人村の警備はダリア海軍も協力しているが、その海軍は船が余っている状態だという。そこで、持て余している大型艦1隻を追加で借り受けることで、F-35の母艦にしてしまう、というのがプランだった。人員はダリアが持つ邦人村の防衛戦力を一部回すことになるものの、現在の安全保障環境では問題ないとされた。


 そして、今日はそのダリアから借り受け、戦闘機の離着艦ができるよう改造された制海艦『クロンヌ』への着艦訓練が実施される日だった。


 既に人員は配置についている。F-35Bのパイロットである東川もパイロットスーツを身にまとい、ヘッドマウントディスプレイを兼ねるヘルメットを被って愛機に乗り込んだ。


 東側は慣れた手つきでエンジンに点火し、アビオニクスを起動して機体を離陸モードに設定する。座席後方のリフトファンカバーが開き、後部エンジンノズルが斜め下方へと向けられ、F-35Bは離陸時の形態へと変形した。その次に動翼のチェックを行い、正常に動作することを確認。後は所定の位置につき、甲板要員が発艦許可を出せば出発できる。


 ここまでは何もかも訓練通り。何度もシミュレーターや実際の『いずも』や『かが』で訓練しており、既に馴れたものだった。


 だが、ここからは全くもって訓練とは違う。GPSなど衛星を使った航法装置は機能せず、着艦するのは広大な飛行甲板ではなく、箱庭のように小さな木造船の耐熱処理甲板なのだ。普段は細かいことを気にしない東川も、今回はあまりに異常な環境に戸惑いを感じていた。否が応にも心臓が早鐘を打ち、汗も普段以上に出てくる。


 すると、ヘルメットからノイズ混じりの音が聞こえてくる。普段聞いている護衛艦や基地の航空管制官ではなく、鈴が鳴るような可愛らしい声の少女だった。


『ヒガシガワさん、準備はいいですか? こっちはもう大丈夫です』

「オーケー、発艦ポジションに着いた」

『わかりました。それでは、いきます!』


 少女の声が凛としたものに変わると、機体が小刻みに振動し始める。声の主はセーラという神殿付きの魔法使いらしく、F-35が発進できるよう強い向かい風を吹かせている。


 通常、空母は艦載機を発進させる際、艦首を風上に向けて向かい風を受けるように航行する。それは発進する航空機の対気速度を稼ぐためで、いずも型のようなF-35Bが自身のリフトファンで発進する方式も、米空母のようなカタパルトで航空機を打ち出す方式も変わらずそうする。


 しかし、今の『かが』は停泊中で、しかも風は追い風寄りのそよ風。これでは発艦に支障が出るので、セーラが使う風魔法の補助が欠かせないのだ。


「うわ、すごい……」


 対気速度計を見て、東川は思わず息を呑んだ。


 対気速度は85kt、秒速にして44m/s。強烈な台風並の風を吹かせているに等しい。ちょっとした追い風だった『かが』の飛行甲板を、一瞬で向かい風の暴風にしてしまう。これを1人の少女が魔法という得体の知れない力で為しているのだから、驚かないわけがなかった。


 しかも、すぐ脇に控えている甲板要員には全く影響が出ておらず、むしろ追い風気味の風を受けているかのように服がはためいている。F-35の機体だけに強風を吹かせる凄まじいコントロール技術に関しても、東川の想像を遥かに超えていた。


 やがて、甲板要員からゴーサインが出されると、東川は気を取り直してエンジンの出力レバーに手をかけた。ここまで素晴らしい技術力を見せてくれたのだから、今度はこちらが最高の瞬間を見せつけてやるんだ。そう思いつつ、東川はスロットルを目いっぱい押し込み、最大出力を発揮する。


 低い音を奏でていたエンジン音が甲高いものに変わり、機体が前に押し出される。飛行甲板をある程度滑走したところで離陸決心速度に達し、操縦桿を手前に引いた。すると、車輪が甲板から離れ、体が後ろに引かれるような感覚が襲ってくる。


 対気速度がどんどん上がり、機体も問題なく安全に上昇していく。無事に発艦できたところで、リフトファンカバーを閉じてノズルを後方へ戻す。こうして発進は無事に完了だ。


「あーすご、ほんとすごいっ……!」


 東川は胸の内から湧きあがる興奮を抑えられずにいた。思わず胸の前で手を組み、体中に力を込める。


 昔から漫画やアニメが好きで、特に魔法を扱うようなファンタジックな話が大好きだった。自分も魔法を使えるようになったらいいのに、とさえ思うことも幾度となくあった。


 もちろん、そんな夢のような出来事など起こるはずもなく高校を卒業し、防衛大に入ってパイロットへの道を歩み、そして戦闘機パイロットとして九州の基地に配備された。


 それが、今では魔法で生み出した風を使って、自身が操る空母艦載機を発進させるという、ある意味では夢より凄いことを体験してしまった。もはや東川のテンションは最高値に達し、高度を十分に取ったところで機体を横にロールさせて遊んでみる。


 本当に自分は魔法の世界にいて、魔法の力を借りていた。東川の興奮は覚めることなく、しばらくは船に向かうことも忘れて自由な大空を飛び回っていた。

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