353話 変革を眺める者
この艦が就役した当時とは、隊員たちのメンタルは大きく様変わりしている。
幹部たちは政治家らしく振舞うようになり、海曹たちは異世界に来る前より厳しくなっている。その影響か、海士たちも自衛官というより軍人にも似た雰囲気をまとってきたように感じていた。
環澄佳1等海士は砲雷科の武器整備員という下っ端の立場ながら、射撃の腕を買われて正式に上陸メンバーに編制されることになっている。このような規則を完全に無視した編制を行うようになっている辺り、少し前に行われた投票とやらは本気で幹部の覚悟を示すものだったようだ。
陸上での戦闘訓練を終えた環は、半舷上陸の合間にアクアマリン・プリンセスへ立ち寄り、2ヶ月以上お預けになっていた寿司にありついていた。
船内のレストランには寿司バーなる施設もある。カウンターと座席というレストランと寿司店を足して2で割ったような店で、あまりに強すぎる洋装の雰囲気を隠すためか、職人が寿司を握るカウンターの壁紙には日本の風景写真が申し訳程度に飾られている。
奇妙な和洋折衷具合といい、それに似合わない美味い寿司といい、ここが異世界であることを完全に忘れさせてくれる。もちろん娯楽に飢えている隊員たちや邦人たちにも人気の店で、今日も人でごった返している。
「マスター、酔鯨ちょうだい」
「承知致しました」
環が日本酒を注文すると、ほとんど待たずにグラスが提供される。人が多いとは言っても、ほとんどが掛け金なしのカジノに飽きた連中が少しばかりの寿司と酒を注文しながら、だらだらとお喋りを続けるだけの溜まり場なので、メニューを注文すればすぐに出てくるのだ。
当たり障りなくキハダマグロの赤身を口に運びつつ、日本酒をちびちびと味わう。まだ成人して間もなく、酒に慣れていない環はアルコールの強さに辟易するが、これも大人の嗜みだと思いながらグラスを空けていく。
すると、誰もいなかった隣の席に誰かが座った。ちらりと横顔を見てみると、艦長が獲得したというエルフ族の協力者、ラナー・キモンドの満ち足りた笑顔があった。
「あぁ、よかった。ここの文字読めないから、知ってる人がいると助かるのよね」
「……あたしに翻訳をしてくれってことなのかい?」
わざとらしく説明口調で独り言を言うラナー。ちらちらとご機嫌に環へ目をやるので、辟易しながらも話しかけることにした。すると、ラナーは上機嫌に環へ向き直る。
「ま、そゆこと。お願い!」
「はいはい……」
環はふてぶてしいラナーを半ば睨みながらも、メニューを逐一教えていく。ラナーはふむふむと何度も頷きながら、甲斐甲斐しく片っ端からメモを取っていった。
「ほんと面白い、この船。めちゃくちゃ大きいだけじゃなくて、食事とかお酒とか出してくれるところばっかりだし」
「元々そういう船だからね。美味しいものを食べながら、ゆったりとクルージングするのさ」
「アモイに籠ってるだけじゃ、こんな発想なんてありえなかったかも。船旅ってきっついのよね。だから、こんなに快適な船旅ができる船なんて、想像だにできなかった」
「きついで済むくらいの船旅ならいいんだけど、あたしらはそうじゃないし。こういった場所を提供してもらえるだけでも嬉しいと思うけどね」
「そりゃ軍人だもの。当たり前じゃない?」
ラナーは特段表情を変えることもなく、環の愚痴に限りなく近い話を否定する。そんな反応が返ってくるとは思わなかった環は、一瞬ばかりキョトンとした表情を見せることになった。
日本では他国における自国軍ほど自衛隊に賞賛されない存在であり、風当たりも強い。度重なる災害派遣などの実績に加えて、ロシアの侵略行為や中朝の脅威が大きく取り沙汰されるようになり、自衛隊も冷戦期よりずっと認められてきてはいるが、まだまだ理解度は低いと言わざるを得ない。
だが、ラナーの言葉は正しい。他国から見れば、自衛隊はただの軍隊でしかない。逆説的に言えば、武器を持つ軍隊だからこそ、他国との交渉の後ろ盾になれる。
日本はアメリカとの安全保障条約の他、複数の国との協定を結んで安全保障を賄っている。米国という軍事的に最強の矛と、韓国という地理的に強力な盾があるからこそ日本は平和を維持できているし、それに加えて自衛隊という組織そのものも抑止力の一助となっている。
ただ、自衛隊は多かれ少なかれ日本軍時代の血脈を受け継いではいるものの、本来は日本に駐留していた米軍の穴埋めを目的とした警察組織として発足している。憲法も改正せず、強引に軍事組織へ改組したために、政治的な制限も含めた自衛隊の能力は、先進国軍としては低い水準にあると言っても過言ではない。
そして、その意識は政治家や隊員たち、国民にも及んでいる。艦長が積極的な行動を拒んでいたのも、自衛隊がクーデターまがいな行動を取るのを嫌がっていたことだけが理由ではあるまい。
別に迷惑な話というわけではない。環自身、自衛隊に入ることは戦うことを意味していると思っていたし、入隊するからには覚悟もできていた。今回はそれが思いもよらない形で直面することになった、というだけの話だろう。
「ねえ、何考えてるの? ねえってば」
「ん? あーはいはい、聞いてますよー」
「絶対聞いてなかったでしょ……」
ラナーの催促に嫌々ながら答える環。さっきから話を全く聞いていなかったので、何を怒っているのかよくわからない。
それをラナーも見透かしているのか、じろりと環に疑いの目を向ける。
「これよこれ。何て書いてあるのかわからないから翻訳してって言ってるのよ」
「はいよ。んー、こりゃ泡盛だね。正直、あまり美味しいとは思えなかった」
「お酒なんて意外とわからないものよ。じゃ、これ頼んじゃおうかなーっと」
ラナーはそう言うと、店の担当者に泡盛を注文した。環は呆れていたが、ラナー自身は頬杖をついてどんな酒が来るのか待ちわびている様子だった。
だが、環の思った通り、泡盛の水割りを一口飲んだラナーは、眉をひそめて首を傾げる。
「うーん、何か違うわね……」
「だと思った。やめといたら?」
「お酒を捨てる? あなた正気なの? まぁいいや。ふふん、ラナーちゃん特製カクテルの出番よ」
冷静に飲むのをやめておけと言った環だったが、ラナーは額に青筋を立てて反論。と思いきや、急に笑い出しながらポーチからフルーツやジュースの類を取り出し、フルーツを絞ったり小さなカップで計量しつつ、泡盛に混ぜていく。
「さてさて、デンゴフルーツにリュトの実、それからレモンピールをちょちょいと。それからエリアスティアをちょいと混ぜて……よし、できあがり! さてさて、お味は……んー、いける! ぶい!」
意味不明な液体を多数混ぜ込まれ、薄紅色のよくわからない飲み物と化した泡盛カクテルを一気に呷ると、ラナーは空になったカップを天に掲げつつ、右手でVサインを作って満足そうな笑みを浮かべていた。
何か思わせぶりな話をしておきながら、結局は酒に興じるのか。環は乾きかけていたえんがわを口に放り込むばかりだった。
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