352話 女王の休日

『あおば』が邦人村の桟橋に接岸して1週間後、次の作戦地域に向かうための準備が着々と整いつつあった。


 できる限りアメリアの魔法に頼らずに済むよう、弾薬はなるべく最大限まで搭載し、食料や日用品といった必要物資もできる限り補充する。


 あおば型護衛艦は、そもそも単独での作戦行動を主任務として建造された艦船で、大きな物資搭載量に裏打ちされた行動日数は他の護衛艦を凌駕する他、乗員の交代や対潜警戒の充実も念頭に入れてヘリ格納庫も2機分が用意されている。物資搭載を優先するため燃料は搭載量を減らされる結果となったが、それでもダリアの裏側にある目的地、ライカ大陸までは余裕で航行できる。


 塗装を終え、物資の搬入作業を行っている艦を見ながら、矢沢はため息をついていた。


 これから向かうのは、マオレンと呼ばれる直立歩行する猫型の獣人種族が築いている、レンと呼ばれる国家だった。こちらにはジンたちに連れられて衛生科の隊員たちがドラゴンの死骸の研究に赴いている他、これまで得た資料から解放すべき邦人たちも200名前後存在すると見られる。


 いずれにせよ、戦いは望まない。邦人や隊員たちに、可能な限りリスクを冒させたくないのだ。


 これまで溜まりに溜まっている書類整理を終わらせようと、艦内へ戻ろうとしたところ、背後から聞き知った声をかけられる。


「久しいな。3ヶ月ぶりか」

「ふむ、ロッタか──ッ」

「いい加減にしつこいぞ」


 矢沢が振り返ってロッタの顔を見た途端、彼の視界は暗転することになった。股間を蹴られるのも3ヶ月ぶりくらいだろうか。


 痛みに耐えきれず、その場に座り込みながらも、矢沢はこの国の女王、シャルロット・ド・ノルマンディーの顔を仰ぎ見る。普段の不機嫌気味な顔は相変わらずで、身につけている幼児のコスプレのような騎士服も健在だ。


「いつつ……全く、一国の女王が何をしに来たんだ」

「監視業務、という名の視察だ。お前たちには大恩があるが、それでも外国勢力であることに変わりはない。他国への抑止力の関係もあって、たまに我がこうして視察に来ている」


 ロッタは腕を組んで不機嫌そうに鼻を鳴らすと、『あおば』の船体をじっと見つめる。


 ダリアにとっては、国土回復を成し遂げる大きな力となった艦であることに変わりはない。それでも、潜在的な脅威になりえることは否定できない。ロッタやフランドル騎士団が仲間だと思っていても、他の貴族はそうではないかもしれない。ロッタはそこに気を揉んでいるのだろう。


「そういうことか。もてなすことはできないが、そこは勘弁してほしい」

「また出かけるのか。せわしないな」

「暇になるとすれば、この世界から出ていって家に帰った後だ。この世界にいる限り、我々は活動せざるを得ない」

「そういえばそうだったな。ところで、目的地は決まっているのか?」

「レン帝国という国だ。ダリアと国交はあるか?」

「無いな。奴らはエルフのカス共より強い差別思想を持っている。マオレン以外は対等に交渉をしたがらない故に、国交を持っている国は極めて少ない。奴隷の扱いもエルフよりひどいぞ」

「エルフよりひどいとなると、一体何が行われているんだ……想像もつかん」


 ただ国交のことを聞いただけだというのに、矢沢はロッタの口から吐き出される絶望的な言葉を聞いて気を落としてしまう。


 エルフの喜捨制度は、人を使い捨てのゴミのように扱う残虐極まりない制度だった。それを上回るとなれば、どういうことが行われているのか全くわからない。


 だが、邦人たちが恐ろしい目に遭っているのは、ロッタの言葉からもわかる。


 いずれにせよ、早く助け出さねばならない。日本と連絡がつくまでは、独自に彼らと話をつける以外に手はないからだ。


「いずれにせよ、我らが口を挟めるような奴らではない。心してかかれ」

「ああ、わかった」


 矢沢が立ち上がり、ロッタに真面目な顔で頷くと、彼女はふっと小さく笑う。


「この世界にやって来て、戸惑うことも多かっただろう。制限の多い軍隊という組織に所属しておきながら、よくやっている方だと我は思うぞ」

「何を急に言い出すんだ」

「自殺の件は聞き及んでいる。その他にも思うところはあるだろうと思ってな」

「気を遣ってもらわなくてもいい。これは私たちの問題だ」

「せっかく同盟を組んだというのに、その言い方はないだろう。我らもできることがあれば力を貸す。それだけの話だ」

「……まさか、君からその口が出るとはな」


 矢沢はロッタの笑みにつられ、思わず口元を緩めることになる。


 やはり、彼女は彼女なりに矢沢たちの身を案じている。それが国土奪還の大恩から来るものではなく、純粋に仲間としての思考であることに、矢沢は気づいていた。


 というより、そもそもロッタは仲間を重んじる義士だ。そのくらいの考えは読める。


「ありがとう。この邦人村のことも含めて感謝している」

「気にするな。これも恩だ」

「恩と言えば、フロランスはどうしている? まだ目覚めないか」

「何も変わりないな。今頃、夢の中で花でも摘みながら気楽に過ごしているのだろう」

「そうか……」


 ロッタの取り繕った軽口に、矢沢は返す言葉を失った。


 フロランス・ジョエル・ド・フリードランド。かつては崩壊したダリア王国の意思を継ぐ「フランドル騎士団」という反政府軍の旗頭となっていた、この世界の神セーランの神器を継ぐ巫女。ダイモンが仕掛けた奇襲攻撃で気を失ってから4ヶ月以上、今もまだ眠り続けている。復興しつつある祖国を未だ見ることなく。


 彼女も何とかしなければ。やることは思ったより多い。


 そうだ、と前置きした上で、ロッタは再び矢沢に向き直る。


「今日は話せてよかった。また何かあれば呼んでいいぞ。この周辺も安定している、しばらくは外出しても影響はないだろう」

「承知した。また会おう」


 ロッタは別れ際に手を振り、珍しく女の子らしい可愛げのある笑顔を見せてくれた。


 理由をつけてはいたが、結局は話がしたかっただけではないのか。矢沢はそう思いながらも、艦内へ戻っていった。

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