番外編 怨念の足枷・その5

「ネモさん、ニシハラさんを見つけた。水深6200mくらいの海底に横たわってる」

「そうか。ありがとう」


 艦橋でラナーから報告を受けた矢沢は、彼女に軽く頭を下げて感謝の意を示した。


 事が事だからということもあるが、ラナーの元気な姿は鳴りを潜めてしまっている。摂理の目を使って西原を直接確認したとなれば無理もない。


「よし。西原の遺体を回収しよう。ラナー、エルフは長時間海に潜っても平気だと聞いたが、6000m以上の深海でも活動できるのか?」

「冗談。さすがに無理」

「わかった。別の手を考えよう」


 矢沢がエルフの性質について聞くが、ラナーは鼻で笑って返すだけだった。


 とはいえ、今のあおばに深海まで潜れるような装備は一切ない。潜水物といえば短魚雷がせいぜいだ。


 そうなると、手は1つしかない。


「ラナー、我々の装備では6000mまで潜ることはできない。魔法ならどうにかできるか?」

「そこまで深く潜るなら、せめて3人くらい必要よ」

「わかった。すぐにチームを編成させよう」


 矢沢は艦長席を立つと、そのまま士官室へと移動する。


 せめて、西原の遺体だけでも収容したい。地球でさえない異世界の冷たい海の底に亡きがらを放置しておくなど、できるわけがないからだ。


  *


 波照間を回収チームのリーダーに据え、そこに立検隊の大宮とアメリア、銀、ラナー、そしてバックアップ要員のライザを加えてチームは構成された。その6名があおばの7m複合艇に乗り込み、かがの回収でも使った泡を形成する魔法で船体を包んで潜航する。


 深海6000mともなると、やはり一度沈んでから再び浮上するまでの時間は長くなる。海があまりに深すぎてあおばの船体は固定できず漂流し、チームが乗り込んだ複合艇も深海流に巻き込まれて流されたことで複合艇を見失う事態になったが、それでも最終的には合流することに成功した。


 砲雷科の甲板作業員たちが複合艇を揚収し、予め用意されていた白い布で覆われた西原の遺体が艦内に運び込まれる。


 深海の高い圧力にさらされた遺体は、予想通り潰れていた。生前の姿を辛うじて認識できる程度で、特に胴体部分や頭部は損壊が激しい。所々には深海魚か何かの食害跡まで確認できる。


 一体なぜ、西原がこんなことにならなければならなかったのか。遺体安置所となった医務室の一角で、矢沢は思わず顔を覆った。


 すると、ここまで遺体を運んできた銀が、普段とそう変わらない態度で矢沢に声をかける。


「部下が死んで辛いのはわかるけど、今やるべきは悔やむことじゃないんじゃないかしら」

「わかっているが、それでも悔しい。この艦は私の管轄で、そこでいじめ自殺が発生してしまった。これは私の監督不行届きのせいだ」

「起きたことは取り返せないわ。今は再発防止に努めるしかないでしょ」

「それもわかっている。口を出さないでくれ」

「そういうわけにもいかないでしょ。アタシだってこの艦の仲間で、あんたを信じてついて来てるわけよ。他のクルーだってそう思ってるんじゃないかしら」


 銀はじっと矢沢を見定めるような目を向け、静かに語りかける。それでも矢沢は顔を上げようとはしなかった。


「もちろん、再発防止に努めたいが、西原の命がそれで帰ってくるわけではない。それに、周りの者たちにも迷惑をかける。任期が近い私だけならばいいが、他の乗組員には出世のチャンスがある。それをふいにさせてしまうばかりか、艦の名前にも傷をつけることになる。これでは艦長失格だ」

「……あんた、本気で言ってる?」


 矢沢が自身の心情を吐露すると、銀の目が怒りを湛えた厳しいものに変わる。そして、矢沢の胸倉を引っ掴むと、近くの壁に押し付けた。


 最初は何をされているかわからなかったが、すぐに銀が怒っていることに気づく。


「あんたね、人が1人死んでるのよ! それを何、組織の体裁だとか、誰かの出世だとか名誉だとか、そんなことを言い出しちゃうわけ? ありえないわ。本当に大事なのは、ただ死んだ人を悼むことと、今後二度と同じようなことが起こらないようにする努力でしょうが! え、違う!?」

「……っ」


 普段は飄々としている銀が、次々に正論をまくし立ててくる。


 大事なのは自衛隊という組織。それはもちろんだ。護衛艦あおばという組織が機能しなくなれば、日本に戻ることさえ覚束なくなる。


 だが、銀はそう考えてはいない。何より大事なのは、1人の命が失われた、という重大な事件を解決し、再発防止に努めなければならないという、最も大事なことだけを見据えている。これには矢沢もぐうの音も出なかった。


 組織の長と、協力関係にあるだけの部外者。その視点は全くもって違うものになる。そして、部外者である銀には、客観的な意見が出せるのだろう。


「ねえ、そんな思考してたら変な考えが浮かんじゃうわよ。今生きてる人たちの今後が大事だとか、関係ない部下を巻き込んじゃうとかね。それがもっとおかしくなったら、加害者の今後に影響するとか考えてかばったりするとか、自分や周りの出世に影響するから隠蔽するとか、上司がやれと言うからもみ消すとか、そんな腐った根性丸出しになっちゃうわよ。この艦で起きたことはみんなの連帯責任よ。いじめは悪いと認識して、ただ再発防止に努めなさい」

「……わかった。すまない」

「それでいいわ」


 銀は抑揚のない声で返事をすると、矢沢を離して西原の遺体を見やる。


 何を考えているかわからないが、銀は銀なりに今回の事件を重く見ているようだ。


 そう思っていたが、何故か彼女の口元に一筋のよだれが垂れているのを見て、矢沢はえもしれない寒気に襲われる。


「銀、何を考えている? よだれが垂れているぞ」

「うっ……いえ、何でもないわ。とりあえず、火葬するなら早くしなさいよ。じゃないと食べちゃ……いえ、何でもないから」

「少女の体をしていても、所詮はネズミか……」


 銀は慌てて口元を拭うと、足早に医務室から退散していく。


 いいことを言っていたと思いきや、ネズミの本性は食料となりうる死体の魅力に抗えないらしい。まだ問題は残っているのかと思いながら、矢沢も医務室から消えることにした。

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