番外編 怨念の足枷・その2

 現在、あおばの乗組員1名が行方不明になっているものの、彼の捜索に邦人を付き合わせるわけにはいかない。あおばはベル・ドワールに指揮を引き継ぎ、アクアマリン・プリンセスにかがの曳航を任せ、艦隊から分離して単独行動を取ることになった。


 捜索範囲は東西に350㎞、南北に200㎞の四角形に当たる広大なエリアで、エリア内をスキャンイーグルや2機のヘリコプター、瀬里奈の摂理の目やあおば本体と、使える索敵装備全てを用いてしらみつぶしに探し回る。


 しかし、半日経っても一向に成果は出なかった。日の入りに伴い、あおばの捜索活動には制限が課されることになる。もちろん、ヘリの赤外線監視装置や魔法を使える者による摂理の目など手が無いわけではないが、ヘリは定期的に点検を行わなければならず、アメリアの魔法防壁を消耗してしまう。同じ理由でラナーや瀬里奈が使う摂理の目もずっと使えるわけではない。陸自の暗視スコープもあるが、日中より捜索距離は短くなってしまう。結局、夜間の捜索は日中よりずっと困難なものとなる。


 食事を終えた矢沢は、航海長から上げられた航海日誌の確認を行いながらも、落水したであろう隊員の心配をしていた。


 赤道に近い温暖な海とはいえ、長時間水に浸かっていれば体力は奪われ続けていく。それに加え、異世界に棲む未知の生物に襲われていないとも限らない。この航海の間にも飛行型のドラゴンや海鳥などを複数確認している上、口腔内に多数の鋭利な牙が並んだ、シャチのような海生哺乳類もどきも目撃されている。そのような生物に襲われれば、誰であろうとひとたまりもない。


 できるのなら、無事に生き残っていてほしい。1人でも多く日本へ帰すのが、異世界に流れ着いた者たちの責任を負う矢沢の使命だからだ。


 本来ならば寝る間も惜しんで捜索を続けたいが、物理的要因が阻害する以上、非番の隊員たちには休息を促すしかない。


 矢沢自身も他の業務が溜まっており、それらをこなしながら捜索指揮を行うことになる。航海日誌の次は補給品目の確認だが、それを遮るように艦長室の部屋がノックされる。


「長嶺です。艦長、西原が行方不明となった理由が判明しました」

「そうか。入れ」

「失礼します」


 矢沢が入室を促すと、声の主である長嶺が非常に重苦しい顔をしながら入室。何があったのかと聞こうとしたが、その前に長嶺が制服のポケットから何かを取り出しながら口を開く。


「先ほど、同室の岸川が持ってきました」

「ん? それは……」


 長嶺が取り出したのは、コピー機でよく使われる感熱紙を何度か折ったもので、所々濡れているのか変色している個所がある。


 これが西原失踪の理由だと長嶺は言った。それだけでも、矢沢の胸中をざわつかせるような悪い予感がする。


 恐る恐る、矢沢はその感熱紙を受け取り、中身を精読する。


 すると、当たってほしくない悪い予感をそのまま文字に書き起こしたような、殴り書きされた手書きの文字列が目に飛び込んでくる。


『もう限界だ。こんな異世界だか何だかわからない世界に放り込まれて、意味の分からない連中と戦ったりするなんて聞いてない。吉井先輩だって死んで、それだけで辛いのに、勝浜や桐生みたいな畜生に毎日のように殴られたり蹴られたりするなんて、もう耐えられない。この前もトイレ掃除を押し付けられたし、賭けマージャンで20万以上巻き上げられて、ひどい時には釣り上げた変な魚のはらわたを食べさせられて、しかも毒に当たって医務室で寝込むことになった。他の人やカウンセラーにチクったら殺すとか脅されて、限界だった。もう嫌だ。生きていたって何も楽しいことなんてない。海の底からあいつらを呪ってやりたい。でも、両親には迷惑をかけたくない。だから、日本に戻れるようになる前に、ここで死のうと思う。お父さん、育ててくれてありがとう。お母さん、そっちに行けずにごめんなさい。由紀、こんなお兄ちゃんでごめん。さようなら』


 どこからどう見ても、遺書そのものだった。


 悲痛な言葉と呪詛の羅列、そして最後に家族への感謝と全てへの諦め。


 この遺書が本物だとすると、西原は艦内で起こっているいじめを苦に自殺した、ということになる。最初に書いてある通り、異世界への漂着と活動でのストレスも溜まっていたのだろうが、主な原因は勝浜や桐生という隊員によるいじめだ。


 矢沢も3人のことは知っている。西原は生真面目な男で、イージス艦勤務ということで配属の際には躍り上がって喜んでいたのを覚えている。


 一方で、勝浜は経験豊かな37歳の3曹で、自信に溢れたガタイのいい技術者といった風貌だ。桐生は勝浜と同い年の2曹で、仕事以外に興味がなさそうな暗い男という印象を持っている。どちらも優秀な隊員であり、いじめを行うようなタイプには見えないが、その第一印象が仇になってしまったのだろうか。


 いずれにしても、とんでもないことになったことはわかった。この責任は、彼ら3名が属していた第3分隊の分隊長である長嶺だけでなく、艦艇の総責任者である矢沢にもかかることになる。この事件を予期できず、1人の海士を自殺に追い込んでしまった事実を考慮すると、矢沢の更迭はまず免れない上、他の幹部たちにも責任の一端が及びかねない。


 いや、それだけならまだいい。遥かに重大なのは、邦人奪還任務の遂行だけでなく、象限儀探しの任務まで支障が出かねないことだ。


 どれだけ膿を出そうとしても、日本に戻れなければ意味がない。しかも、こんな事件を艦内で起こした艦長に指揮されたまま、他の国々と交渉や戦闘を行うことなどできるものか。隊員たちの信頼も大きく損なわれる。


 これからどうすればいいのか。矢沢の脳裏には様々な感情や思考が去来する。


 よりにもよって、無理をし続けた結果の綻びが、艦にとって致命傷になりかねないレベルの事件を発生させてしまった。


 とはいえ、これ以上考え込んでいても仕方ない。普段の切れ味を失い、しおらしい目をしている長嶺に対し、矢沢は短く質問した。


「機関長、このことは知っていたか」

「……いえ、全く知りませんでした。知っていれば、最初から私が厳しく処罰しています」

「そうか、わかった。下がっていい」

「失礼しました。おやすみなさい」


 長嶺は淀んだ声で夜の挨拶をすると、深々と頭を下げて艦長室を後にした。


 鬼とさえ言われる長嶺が、今では困惑する少女のような態度を見せていた。機関科に属する隊員の生活を取り仕切る分隊長である彼女も、どうしていいのかわかっていないといった雰囲気だ。


 もはや綻びは限界を越えてしまった。直ちに原因を究明しなければ、今度こそ艦はおしまいだろう。


 こうしてはいられない。西原の魂が浮かばれるように、せめて再発防止だけでも努めなければならない。矢沢は不安で早鐘を打つ心臓の鼓動を感じながら、業務を放り出して士官室へ急いだ。

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