番外編 怨念の足枷・その3

「西原が海に飛び込む映像です。時刻は0212、右舷17式発射機の直下です」

「うむ……」


 矢沢ら幹部たちは、士官室にてノートPCで西原が海に飛び込む瞬間の映像を見せられていた。艦外に設置されたカメラにはっきりと映っており、その映像解析をしていた砲雷科の隊員によれば、失踪が発覚する4時間半前には海に飛び込んでいたことになる。


 誰もいない甲板に飛び出した西原は、真っ暗な海面を数分間眺め続け、やがて海へと飛び込んだ。足には重りに使うものと思しき発電機の部品をジャラジャラとくっつけており、少なくとも死ぬ前提で自分の意思で飛び降りたことは確定となった。


 それに加えて、彼の遺体が沈んでいるであろう海域もほぼ特定できたことになる。よっぽど強い深層海流などに捕まっていない限りは、飛び込んだ箇所のすぐ近くに沈んでいるはずだ。


 部下が自ら命を絶つ場面を見せられ、矢沢の気も滅入っている。とはいえ、ここで逃げ出し艦長室に閉じこもってしまうようなことをすれば、自分の使命を投げ出すことになってしまう。例え辛くとも、彼の遺体を回収することが責務だ。


 矢沢は艦内電話を使用し、艦橋の当直士官に指示を出す。


「当直、まずは想定海域の中心に急行せよ。到着後は両舷停止」

『こちら艦橋、針路102、第1戦速で航行します。許可を』

「許可する」


 矢沢は艦橋とのやり取りを終えると、電話を戻して幹部たちに目をやる。


 いつもの幹部会議のメンバーに加え、飛行科の人員で構成される第5分隊の分隊長、有田茂1等海尉、そして、西原のメンタルケアを担当していた民間人の心理カウンセラー、青野みゆきが出席していた。


 艦内でのいじめ自殺事件という、極めて重い問題に直面してしまった幹部たちは、厳しい顔を前に向けていたり、俯いて考え込んだりと態度は様々だが、誰もがポジティブな反応をしていない。


 しばらく沈黙が続いた後、ボブカットの可愛らしい髪が特徴の青野が立ち上がり、幹部たちに頭を下げ、かすれた声で謝罪の言葉を口にする。


「すみません……私のせいです」

「青野さん、顔を上げてください」

「いえ、私が西原さんの異変に気付いてあげられなかったから……」


 矢沢は青野を気遣うが、彼女は顔を上げようとはしなかった。それどころか、机に涙を落とし、体を震えさせる。


 誰か1人が悪い、というわけではない。これは艦の問題で、彼女が謝っても、何も解決しないというのに。


 それを見かねてか、続いて長嶺も頭を下げる。


「私のせいです。青野さんは何も悪くありません。分隊長として部下を監督できなかった私の責任です」

「長嶺さん……」


 大松が長嶺に何か声をかけようとしていたが、途中で口を閉ざしてしまう。


 青野とは違い、長嶺は矢沢の部下だが、その長嶺が謝罪したとしても、やはり何も解決しない。部下が死んで心が痛いのは矢沢も全く同じではあるが、何もわかっていない中で謝るなど何の解決にもならない。


 粘つくような重苦しい空気がさらに嫌なものに変わる前に、矢沢が口を挟む。


「最終的に頭を下げ、責任を取るのは私だ。この艦の艦長である以前に、彼のことも見ていた私にも責任は大いにある。今は原因究明と再発防止に努めるしかない。2人とも、顔を上げろ」

「……っ」

「はい……」


 矢沢がきつい言葉で叱責すると、2人はようやく頭を上げた。


 青野は顔を真っ赤に泣きはらし、大粒の涙を零してしまっていた。長嶺は泣いてこそいないものの、口元を歪ませ、目を伏せてしまっており、怒りと悲しみが混ぜこぜになったような悔し顔を浮かべていた。


 もちろん、長嶺や青野が意図的に西原への暴力行為や恐喝まがいの行為、陰惨な仕打ちを黙認していたというのなら話は別だが、士官室にいる関係者たちが直接原因として非難されるいわれはないはずだ。


「まず、艦が取るべき行動として、西原の遺体を発見することが最優先だ。同時並行で遺書に書かれていた2名の事情聴取と、他の隊員たちへの聞き取り調査を行う。機関長、君は私と2名の事情聴取を行う。他は西原の遺体発見に全力を注げ。副長、摂理の目はラナーだけに使わせるんだ。アメリアや瀬里奈では心的負担が大きい」

「……了解」

「はい、わかりましたぁ……」


 長嶺は矢沢の目を見ながら返事をするものの、普段の真面目な顔を見せることはなかった。一方の佳代子に至っては、矢沢の顔さえ見ることなく、その場で小さく頷くだけだった。


 もはや、この場で話せることはない。幹部会議はそこでお開きとなり、隊員たちも士官室を退室していく。


 矢沢は長嶺と共に今後の方針について話そうかと部屋に残っていたが、士官室の外から何かが壁を叩くような音が響き、そちらに目を奪われた。


「くそっ、何でこんなことに……!」


 鈴音の声だった。彼は廊下で壁に当たり散らしているらしい。


 直接の部下ではないにしろ、鈴音は兵科や分隊関係なく、上司や部下とも関係を築こうとする、人間と付き合うのが好きな男だ。その彼が、全く別の分隊である西原の死に強いストレスを感じてしまうのも無理はない。


 すると、誰かが廊下を駆け出す音と共に、菅野の声も聞こえてくる。


「おい鈴音、やるなら外でやれよ」

「菅野さんは悔しくないんですか、オレたちの仲間が自殺しちまったんですよ!」

「悔しいに決まってるさ。けど、僕たちにできることは何もない。長嶺たちに任せよう」

「……ッ、はい」


 士官室からは何が起こっているのかわからなかったが、少なくとも鈴音もこの事件に耐え切れない何かを抱えてしまっているのはわかった。そして、菅野はただ解決を望んでいることもわかる。


 西原のためというのは一番に来るが、それ以外にも艦の秩序維持という側面から見ても、この事件は早く解決しなければならない。士官室のドアから顔を背け、縮こまってしまう長嶺に対し、矢沢は今後の話を始めるのだった。

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