番外編 怨念の足枷・その1

 護衛艦というのは、戦術的に見れば1つのユニットとして機能する、いわば『個』であると言える。


 一方で、護衛艦は200名以上もの乗員を擁する『組織』でもある。その誰もが与えられた職務を全うしてこそ、艦は最高の能力を発揮しうる。


 つまり、乗員の体調管理やメンタルケアは絶対に欠かすことのできない業務であり、そのカウンセリング業務は、アセシオンとの決着がつくまでは衛生科と副長、CPO室が担っていたのだが、現在ではアセシオンで救出した心理カウンセラーの協力も得ている。


 艦内では1日15~20名程度のカウンセリングを持ち回りで行っている。全員分のローテーションは2週間かかるが、その程度の間隔であれば何も問題もないと矢沢ら幹部たちも考えていた。


 しかし、それはあっさりと裏切られることとなった。


  *


「なんだと!?」

『はい、私室や共用スペースにもおらず……』


 矢沢は機関科員からの報告を受け、愕然としていた。


 アモイ南部の人族国家にいた拉致被害者を迎えにノーリへ立ち寄り、ダリアの邦人村へ帰る際の出来事だった。


 どういうわけか、機関科に属する電気員の1人、男性1等海士の西原が忽然と姿を消していたのだ。


 艦内放送で呼び出しても反応なし、それどころか艦内のどこを探しても見当たらない。


 そこで、最悪の展開が矢沢の脳裏をよぎった。


 もしかすると、落水したのかもしれない。GPSもなく、正確な海図さえ入手できていない大西洋並の広さを誇る異世界の大洋に放り出されれば、救助の望みも薄い。


 しかし、可能性があるのならやらない手はない。矢沢は直ちに航海科へと指示を出す。


「機関停止! 緊急要員を除く全乗員は速やかに飛行甲板へ集合せよ!」

「機関停止、機関停止。緊急要員を除く全乗員は速やかに飛行甲板へ集合せよ」


 艦橋に詰めている者の中で矢沢に次ぐ上位である鈴音が、艦内放送であおばに乗る全ての人員を飛行甲板へ集めるよう通達した。それに伴い、あおばは機関を完全に停止し、スクリューのプロペラピッチを0度に設定、艦を動かないようにした上で、ほぼ全ての乗組員が飛行甲板へと集合していく。


 これが、あおばにとって長い1週間の始まりだった。


  *


「第1分隊、全員集合。欠員なし」

「第5分隊、欠員なし」

「第2分隊、全員集合です」

「第4分隊、欠員ありません」

「第3分隊、西原1士以外は欠員なし」

「艦内公開部署、乗艦者に欠員なし」

「ヤザワさん、摂理の目を使いましたけど、どこにも見当たりません」

「こっちもよ。影も形もない」

「……よし、ご苦労」


 次々に渡される報告を聞き、矢沢は帽子を深くかぶり直しながら分隊長たちと客員の管理担当者、そしてアメリアとラナーに軽く頭を下げた。


 警衛や非番の者たちによる艦内の捜索、艦内放送での呼び出し、飛行甲板への乗組員集合、そしてアメリアとラナーの、かがを含めた摂理の目での二重の捜索。いずれの手段でも、消えた西原1士を確認することはできなかった。


 つまり、西原は既に艦内にはいない、ということになる。


 ノーリのリペラティオ軍港を出発してから、あおばとかが、アクアマリン・プリンセス、ベル・ドワール、リウカの5隻の間では、人員の往来はほぼなかった。せいぜい、アクアマリン・プリンセスの医者が人のいないかがを除いた3隻の見回りをするか、瀬里奈がお遊びで5隻の間を飛び交っていた程度だ。


 そして、昨日の交代時間までに西原は仕事をしていた。これは矢沢自身も承知している。あおばの電気推進用発電機の整備をする西原を自らの目で確認しているのだ。


 結論として、西原が業務を終了した2015から、彼の不在が発覚した0830までの間にどこかへ消えた、ということになる。


 あおばは常に12ノット、つまり時速22キロメートルで航行しているが、それが12時間となると270キロメートル以上もの距離を移動していることになり、捜索範囲は極めて広くなってしまう。おまけに海流も正確に把握できておらず、もはや生存は絶望的だろう。


 とはいえ、最初から捜索を諦めるわけにもいかなかった。


「総員、直ちに持ち場に戻れ。これより行方不明となった乗組員の捜索に当たる」


 矢沢はその場で飛行甲板に集まった乗組員に指示を出すと、足早に艦橋へと戻っていった。


 西原は自衛隊に入ってから数年とはいえ、あおばは2隻目の乗艦だったはず。それに加え、この9ヶ月間を乗り越えてきた立派な船乗りに成長していたはずだ。


 もちろん、落水事故というのはありえないわけではないが、状況が状況だ。普段から落水には警戒するよう幹部や下士官たちも口酸っぱく言っている上、海士たちも気を遣っている事柄に違いない。


 とはいえ、今となってはどうしようもない。矢沢はただ、西原が生きているように願うばかりだった。

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