350話 流刑の乙女

 クーデター以前に確約されていた邦人の全員帰還と遺体の収容が完了し、艦隊は出発準備を全て終えた。


 だが、日の出前の出航直前にマウアが乗艦許可を求めてきたので、予定を30分ほど繰り下げることになっていた。マウアはラナーとは違い追放処分を受けておらず、あおばに便乗する必要はない。それでも国内にいてはラナーには会うことができないので、当然の行動ではあるが。


 木製の小舟からラッタルを登り、あおばの飛行甲板に降り立ったマウアは、そこで待っていたラナーに笑みを向ける。


「やっぱり、この人たちと行くのね」

「うん。あたしの居場所はここって決めたから」

「そう……」


 途中まで笑顔で応対していたマウアも、ラナーの言葉を聞いて目を逸らした。


 自業自得とはいえ、やはり追放という処分には納得いかないのか、それともラナーのことをないがしろにしたアモイが許せないのか。


 いずれにしても、マウアのラナーを想う気持ちは本物だ。傍で見ていた矢沢は、ラナーの横に立ちマウアに1つの提案をする。


「何なら、君もついて来ることもできる。現地協力者はなるべく多い方がいい」

「いえ、遠慮しておくわ」


 即答だった。マウアはかぶりを振ると、一歩下がってあおばの中央構造物を眺める。


 もちろん、ラナーは納得していない。今にも泣きそうな目をマウアに向け、やや強めの語気で問い質す。


「どうして? あたしたち、血のつながりがあるんでしょ? 家族なんだから、一緒に暮らしたって……」

「いえ、そういう話じゃないわ。私はモディラットの再興に心血を注ぐことにしたの。かつてのモディラットを、いえ、もっと素晴らしい国を造り直すの。あなたがいつでも帰って来られるようにね。そして、いつかはアモイから独立してみせるわ」

「復興って言ったって……」


 ラナーは続きを言おうとするも、途中で口を閉じてしまう。


 アモイの領土となった旧モディラット領は、かつての緑豊かな土地を完全に荒廃させてしまっている。水もない乾いた土地には栄養もなく、あるのは土と濃度の高い塩分だけだという。そこに生命の息吹は根付かない。


 そんなの無理だ。できっこない。


 そう思っていただろうと容易に想像できる。


 しかし、ラナーはアモイの改革を成し遂げようと必死に努力し、最終的には自衛隊が求める邦人の解放という、ラナーが目指す国造りへの第一歩を踏み出すことになった。


 それもラナー自身で理解しているからこそ、次の言葉を紡げなかったのだろう。


 マウアは感情が高ぶり火照っていたラナーの頬を撫でると、優しさに満ち溢れた、けれども、どこか不安そうな表情を浮かべる。


「私はね、あなたに教えられたのよ。アモイはただの依代でしかないんだって。モディラットを売り渡した時から、私の根性は腐っていたのかもしれないわね」

「そんなこと……」

「いえ、私はモディラットのティアラどころか、隠された宝だった剣も献上してアモイの王族になったのよ。それはモディラットに対する裏切りだわ。言ってしまえば、あなたと同じ売国奴。それなのに、モディラットがどうのこうのって言い訳して、ラナーを縛り付けるようなことをした。けど、ラナーは自分で居場所を見つけたじゃない。立派になったわね」

「マウアちゃん……」


 ラナーの目から、自然と涙が溢れ出てくる。


 彼女の前にいる女性は、いつか憧れた存在ではなく、対等な関係となってラナーと相対している。


 涙を拭うラナーは、もはやそれ以上の言葉を持たなかった。ただ、マウアの美しい顔に向かい、さようなら、と小さく呟くように言うだけだった。


「ふふ……さようなら、アリゼティの忘れ形見……いえ、私の天使ちゃん」


 マウアがラナーを抱き寄せると、ラナーもマウアの首に腕を回した。2人の抱擁は時を忘れるほどに長く続いた。


 そして、別れの時。マウアはラナーの頬に口づけすると、矢沢に目を合わせる。


「ちょっと言っておきたいことがあったのを忘れてたわ。ラナーの居場所を奪った艦長さん」

「む……そういうつもりでは……」

「わかってるわよ」


 矢沢が先ほどとは打って変わったマウアの厳しい目に困惑していると、マウアは呆れたようにため息をつきながら言う。


「それより、さっき言ってた剣の件よ。モディラットには2つの宝が伝わっていたのよ。全知のティアラこと聖冠イドラに加えて、神殺しの剣こと堕剣ヤウズ。ティアラは今もアモイが持っているけど、剣はどこかに消えてるの。よくない連中に渡ったはずだから、そいつらと戦う時は注意して」

「ああ。わかった。しかし、なぜよくない連中の手に渡ったと推測した?」

「前国王がバベルの宝珠やドラゴンとの取引材料にしてたのよ。ここ数日で調べていてわかったわ。その後の足取りはもちろん不明」

「まさか、冗談だろう……」

「え、それってやばいんじゃないの?」


 矢沢だけでなく、ラナーまでもがマウアを驚愕の目で捉えた。


 矢沢も剣のことは銀を経由して知っている。人の性格さえ歪めてしまうような邪悪な剣を、一体どのような目的で使うのか。あまりにもきな臭い。


「忠告はしたわよ。ジンの連中にも伝えてあげたら?」

「そうさせてもらおう」


 矢沢は神妙な表情を作って頷き、ラッタルを降りていくマウアを見送る。


 既に神器が悪者の手に渡ってしまった以上、どうすることもできない。今はその悪者とやらの情報を集めるのが先決だろう。


 異世界の陽光があおばを照らす中、矢沢は次の一手をしっかり考慮する必要に駆られていた。


  *


 あおばを中心とする艦隊は、ダリアの邦人村ではなく、アモイの南に位置する人族国家ノーリに進路を取っていた。


 現地に残った連絡員からの情報で、ノーリや周辺国にも奴隷化された邦人がいたことが明らかになった他、その複数国家の政府たちが、アモイの弱体化と戦争の終結に間接的な影響を及ぼしてくれたことを感謝し、見返りなしで邦人を解放してくれるとの連絡をよこしてきたので、そちらに移動することになっていたのだ。


 その航海の途上、巡検も終了し隊員たちが自由時間を謳歌している夜中の時間帯。矢沢は幹部たちとのポーカーを切り上げ、艦内の見回りを行っていた。


 すると、後部構造物の02甲板、後部VLS付近の手摺に身を預け、星空を眺めている少女がいた。


 誰かはすぐにわかった。ラナーだ。矢沢は1人で星を見ているだけのラナーに話しかける。


「やあ、どうしたんだ?」

「寝る前にちょっとだけ、風に当たりたくなったのよ」


 ラナーは軽く返答すると、手摺に体をもたれさせたまま矢沢に向き直る。夜空に輝く惑星オースの光で、彼女の表情もよく見えている。


「思えば、いろんなことがあったなって。あたしは帰る場所を失ったけど、それでも好きな祖国をいい方向に変えられた。ネモさんたちだって、目的を果たせた。長かったようで、なんだか短かったかも」

「長命のエルフでも時間の感覚は同じなのだな」

「あったりまえでしょ。同じ時間を生きてるんだから」


 ラナーはわざとらしく大きなため息をつきながら、矢沢に呆れた目をやる。


 彼女はこうやって強がってみせているが、それでも大好きだという国を追われたのは事実だ。


 これまでの生活を全て奪われ、若くして流浪の身となった少女。それが今のラナーだ。


 思えば、ラナーはアモイを変えたいと願い、矢沢の正体を知った上で協力を申し出てきた。彼女の言葉は嘘ではなく、本当にアモイを変えるほどの影響力を発揮した。


 もちろん、ラナーが持つ王族という肩書も作用したが、それだけでは誰も耳を貸さなかっただろう。ラナーの叫びは、いわば国の歪みで発生した軋み音だ。


 ただ、それを軋みというだけで終わらせたりせず、国の形、在り方を正そうと努力した結果が、今のラナーであり、これから変わりゆくアモイという国なのだろう。


 それでも、決してラナーの思い通りというわけではなかった。ラナーは60年の追放処分とされ、アモイの進む道を見るのはお預けとなった。それだけでなく、どこからか入り込んだバベルの宝珠という名の悪意により、父親を失う結果にもなっている。


 だが、完璧な勝利などあり得ない。完勝と思われた戦闘であっても、小さいと思われた地震であっても、死んでしまった者がどこかにいるように。


 そのことを、ラナー自身はどう思っているのか。国をあるべき姿に変えるという願いは達成したが、そこにラナーはいないのだ。


「ラナー、君はよく頑張った。確かに、私からしても君がやっていたことは売国奴の行為だ。それも君はわかっていたはずだ。それでも為そうとしたのは、君がアモイという大切な祖国を守りたいがためだった。私もそれを承知で了承したし、君の決意はジャマルたちにも届いていただろう」

「当然よ。じゃないと、やった意味がないもの」


 えへへ、とにっこり笑うラナー。その笑顔はどこかぎこちなく、無理をして笑って見せているようにしか思えなかった。


 やはり、ラナーは無理をしている。単に愛国心や憐みの心から改革を行おうとしたわけではない。


 国を自分が望む形に変えても、自分自身がそこにいなければ何の意味もないのだ。


 それはすなわち、社会規模の壮大なエゴイズムだろう。しかし、理想の社会に生きたいと願う心は、とても人間らしいとさえ言える。前の体制で奴隷をこき使っていた者たちも、そういう想いを持っていたはずだ。


 もしかすると、大神官はそれを見抜いた上で、ラナーに追放処分を課したのかもしれない。


「やった意味がなかった、か。ラナー、無理はしなくていい。本当は悔しいのだとわかっている」

「何よ、悔しくなんか……」

「ならば、素直になれ」


 いずれはこういう時も来るだろうと思い、矢沢はアモイを離れる直前にラナーが懇意にしていた親父さんの店に赴き、セクタというウイスキーのショットを隠し持っていた。


 こう見えて、ラナーはネガティブな感情を抱えた時に強がろうとするきらいがある。もちろん、艦内は禁酒だが、今は何も見ていないと自分に言い聞かせ、ウイスキーが入ったショットのグラスをラナーに渡す。言ってしまえば、簡易的な自白剤だ。


 ショットグラスを見せられたラナーは、驚きながらも涙をにじませる。そして少し逡巡するが、最終的にそっぽを向きながらグラスを取った。


 度数の高い酒を一気に呷ったラナーは、しばらく真っ暗な海面に目を落としていたが、やがて矢沢に涙でぐしょぐしょに濡れた顔を恥ずかしげもなく見せた。


「ううっ……あたし、悔しいよ……せっかく奴隷を廃止して、誰も嫌な思いをっ、しなくて済むような……アモイを作れたと、思ったのに……っ!」


 ずるずると鼻水を垂らし、大粒の涙で甲板を濡らしていく。ラナーの心に据えられた防水隔壁は、もはや完全に破られていた。


 抱え込むのはよくない。ここで出し切ってしまった方が、ラナーもスッキリできるだろう。矢沢は手で顔を覆うラナーを、そっと胸元に抱き寄せる。夜明けの港でマウアがやったように。


「ラナー、君は私たちの仲間だ。今日からは、ここが君の帰る家だ」

「うん、わかった……うう、うっ、うあああああぁぁぁぁ、あああああぁぁぁぁぁぁ……」


 ラナーは矢沢の抱擁を受け止め、声を上げて泣き叫んだ。


 結果としてラナーの願いは成就しなかったが、こうして仲間はできた。そのことだけでも覚えておいてほしかったのだ。


 しばらく泣いていたラナーは、矢沢の制服で顔を拭うと、首に腕を回したまま顔を見合わせる。


 そして、突如としてラナーが矢沢の唇にキスをした。慌てて離れる矢沢だったが、ラナーは泣きはらした顔のまま破顔する。


「な、何をするんだ……」

「あっはは、そっちの世界だと、好きな人にこうするんでしょ?」

「いや、これは恋人同士で行うキスであってだな……」

「そうなの? まぁ、いいや。ネモさん、大好きだよ。ぶい」


 ラナーは腕を折ったまま、顔の横で小さくVサインを作った。


 彼女の頬にはまだ、夜空の星のようにきらりと光るものが残っていた。

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