326話 聖職者の思想

 ヘリを経てダーリャに入った銀に与えられた任務は、神殿との接触だった。


 何を提案すれば落としどころにできるか。そのヒントを少しでも掴むためには、政府へ食い込む必要がある。


 新たな国王に即位したジャマルからの情報はマウアが集めるにしても、統治機構の大きな一角を占める神殿が許可するかどうかは別問題。そこで、銀が秘密裡に神殿へ潜入し、大神官と再度接触を試みることになった。


 銀は砂漠の道中で見かけたキャラバンの荷車に紛れ込み、ダーリャへの侵入を果たす。そこからは水道や運河を伝って神殿に侵入すればいいだけの話だった。本来の姿であるネズミの姿であれば、退治される危険性はあるものの怪しまれることはない。


 いくつかのネズミ避けのトラップを掻い潜った銀は、やがて神殿の頂上にある大神官の私室へと侵入を果たした。


 外見は石造りの鐘楼にも似た雰囲気だったが、内部は高級品の白い壁紙を張り付けた大きな部屋が複数あり、台所や風呂場、広い寝室などを備えた本格的なスイートルームとなっていた。家具もほとんどがアセシオンやシュトラウスなど外国からの輸入品となっていて、壺や掛け軸など置かれている美術品も輸入物が中心で、中にはアモイで採れる金をふんだんに使用した食器も見受けられる。アクアマリン・プリンセスのスイートルームも、この設備には顔負けだろう。


 おおよそ、住民が丸ごと飢餓に苦しむスラムがある都市の居住区とは思えないほどに贅沢の粋を尽くした豪奢な部屋だ。


 銀もすべからくルイナの幻を見せられている。あの異世界人の子供が飢餓地獄の末にリンチで殺された原因を作っている者が、このようなペントハウスに住んでいるという事実は、否応なしに銀を苛立たせる。


 決して正義感から出てきた感情ではなかった。長い間ずっと近くで見守ってきたアメリアも、あの異世界人の子供と似たような目に遭わされている。それを考えると、どうしても他人ごとには思えなかったのだ。


「気になるか?」

「ちゅ!?」


 不意に湧いてきた怒りの感情に身を焦がしていると、背後から声をかけられた。慌てて振り向くと、風呂から上がったらしく体から湯気を立てている大神官の姿があった。私室だからと油断していたのか、何も身に着けていない素っ裸の状態だ。


 裸を見られても、大神官は慌てるそぶりもなく、以前見たような神妙な顔を向けてくる。


「用があるのはわかっている。居間で話そう」


 大神官はそれだけ言うと、タオルを洗濯物用カゴに投げ捨て、代わりにバスローブを手にして奥の部屋へと消えていく。


「ちゅちゅ……やっぱりお見通しだったのね」


 銀は人間の姿に変身すると、大神官の背中を追って居間へ入った。


 決して油断していたわけではない。ネズミの姿に戻る際は魔力をなるべく抑えている故に矢沢が捕まっている基地では一切バレることなく往復できた。今回の侵入でもネズミ番に追いかけられたこと以外は誰も侵入に気づいていない。


 しかし、大神官は銀が来ることをお見通しだったかのように、侵入していたネズミを銀だと断定し、話があることさえも知って奥へ招き寄せている。


 これも全てを知るという神器の力なのか。銀は不気味に思いながらも、大神官の着替えをどこか冷めた目で眺めていた。


「他人の着替えを見るのが趣味なのかね」

「興味が無いと言えば嘘になるわね。ご立派な物も堪能させてもらったわ」

「元はネズミであろうとも、少女の姿を取れば興味が湧いてくるものなのかね」

「確かに、この姿を取る前は全く興味を持てなかったわ。もしかすると、アメリアのメンタルも少し受け継いだのかもね」

「ならば、君も動物性愛者なのだろうか」

「いや、さすがに人とネズミ以外は御免だわ……」


 銀は途中までくだらない会話に興じていたが、大神官の最後の発言には本気で嫌気が差していた。大神官の言葉そのものよりも、アメリアの嗜好に辟易していると言った方が正しい。


 だが、世間話をしに来たわけではない。銀は本題に入ることにする。


「でも、アタシは別に他人がどう思おうとも自由だと思ってるわ。それが迷惑でなければ何の害もないし。あんただって、他人が苦しむところを見るのは本望じゃないはずよ」

「そこは同意する。俺とて喜捨奴隷の末路には心を痛めておる。それはジャマルとて同じことだろう」

「じゃあ、あんたから提案すればいいじゃない。せめて喜捨って制度だけでもやめさせたらって」

「それができれば、お前たちが余計な不快感を得ることもなかっただろうな。神殿や教会の関係者は自ずと支配層であるアモイ民族のエルフ、つまり浅黒い肌のエルフでな。ネイト教に留まらず悪質な選民思想に染まっている。喜捨というのは資金集めのためではない。巡検と称し、スラムに行っては暴行やレイプを働く、ある種の下劣な娯楽所ともなっている。金も要らず、どのような行為をしようともお咎めなしの慰安所だ。何の策もなしに俺が提案したとしても、下の者たちが暴れ出すのがオチだろう」

「それで続けているってわけね。全く、反吐が出る話だわ」


 銀は腕を組み、軽蔑の目を大神官へと送るが、当の本人は自嘲するかのような笑みを返してくる。


「前に話した、全ての種族の調和という話があっただろう。それはネイト教や俺の思想ではない。元はジンたち、いや、セーランが唱えておったことだ。ダイモンという敵を排除し、この世に楽園を作り出す。それがセーランの目的だったと言っていい。俺もそれに賛同しておる」

「あんただって支配層のエルフでしょ? 何で今の状態を変えようって思うのよ」

「俺も昔は何の疑いもなくスラムに打ち捨てられた少女を抱いておった。これは俺たち聖職者の権利と思ってな。それが間違いだと気づいたのは、あの『剣』の力を見てしまったからだろうな」

「剣?」

「そうだ。モディラットという国に伝わっておった、セーランの神器の1つ。他の聖なる神器とは違い、その剣にはセーランを死に至らしめた、ダイモンの神殺しの呪いが分離され宿っているとされておる」

「呪いの剣ねぇ……それが何の関係があるのよ」


 急に出てきた剣という単語に、銀は顔をしかめた。どこまで話が逸れるのかわからないが、ここでは話に乗っておかねばならない。でないと、彼らが本当に欲しいものを話してもらえない可能性もあったからだ。


 大神官は水差しの水を口に含んで喉を潤すと、先ほどよりトーンを落として話を始める。


「剣は神殺しの呪いがかかっておる。つまりはダイモンの力と同質のものだ。それをモディラットから献上された際、手にした当時の大神官が狂ったのだ」

「狂った?」

「そうだ。剣は誰しもが心に宿すエゴを最も強い形で表面化させる。あの男は喜捨の制度を整備した大神官の玄孫に当たる者で、数百年は神殿を統治しておった。以前から頻繁にスラムへ通っておったが、その剣を手にしてからはスラムに入り浸るようになった。やがては喜捨奴隷を殺し、死体と致すことが癖になっておった」

「嘘でしょ、死体とだなんて……はぁ」


 銀は手で顔を覆うしかなかった。アメリアの動物好きも大概だが、死体と交わるなど度を超えている。


「そこで俺は聞いたのだ。なぜ仕事を放棄しスラムに入り浸るのか、とな。すると、あの男はこう答えた。『こいつらは奴隷でさえない。何をしようと構わない。このクズ共に価値を持たせてやっているのは我らだ。金を下民から巻き上げ、こいつらを死ぬまで遊ぶ。そうするのが許されるのは、我らが絶対的な存在だからだ』とな。その男は主神たるセアルネイトさえ信じておらんかった。神殿はただ愚民を支配するための仕掛けに過ぎないと、本気で思っておった」

「思い上がりもいいところよね。ほんと変態チックだわ」

「俺も神など信じてはおらん。セーランも神ではなく人族、しもべたるジンも1つの勢力だ。だからこそ、俺はセーランを信仰する。彼女は戦いのために神の力を得たとはいえ、ダイモンという存在から全ての民を守ろうとした英雄だ」

「ふーん……」


 銀は大神官の思想に興味を持てなかったが、愛想よく見せるためにと相槌は打っておいた。彼がどれだけ真面目に説明しようとも、それが任務と関係ないなら聞く価値はないのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る