312話 闇の忘れ形見

 矢沢らが医務室に突入して20分後、国王は全身の肉が弾けるように変異を続け、意味のある言葉は一言も発することもなく、ただ全身を震わせ続けるだけの異形と化した。


 胴体だった部分は消えてなくなり、その分だけ擦り潰されたタコの脚のように変形した脚と、瞼のない目が無秩序に増殖した頭部と繋がっている。左腕は腐り落ちて消失し、右腕は脚と区別がつかなくなっていた。


 紛うことなき異形、というより肉塊。まだ猫の轢死体の方がマシだ。矢沢は医務室で敵に対し銃を向けながらも、ちらりと国王だった物体を見やりながら思っていた。


 医務室に詰めかけていた王族の上位陣や大臣たち、そして衛兵たち。彼らは頭に血を昇らせていて、剣やナイフで武装している。矢沢ら4名とリアは、医務室に閉じ込められた形になっていた。


「聞け。リアはともかく、私たちは何も知らない。魔法が存在しない世界から来た。アメリアもただの難民だ」

「そんな言葉が信じられると思うか? バベルの宝珠は人族からの取引で受け取ったものだ」

「また人族ですか……」


 国防大臣を名乗った男、黒い口髭のヴィレオが矢沢に叫ぶと、リアは横で渋い顔を作っていた。


 また、ということは、リアらジンが何か人族とバベルの宝珠を巡っての問題が過去にあったことを示している。だとすれば、それを掘り返さない手はない。


「リア、また、というのは?」

「20年近く前、人族の国家であるアルトリンデで、バベルの宝珠が大量に製造されていました。中央の王国政府こそ奴隷を使わない方針を出していますが、地域では有力者たちが闇の業者とつるんで密造していたんです。レイリが鎮圧しましたが、かなりの人数が犠牲になりました」

「つまり、我々や君とは関係ない、ということだ」

「その通りです」


 リアはきっぱりと断言する。ダイモンの敵対者筆頭であるジンの彼が言うのだから、信憑性は高いだろう。ここで嘘をついても何もならない。


 すると、ラナーとマウアも前に出てきて大臣たちに直接抗議する。


「ヴィレオおじさん、話を聞いて!」

「そうよ。頭を冷やしなさい」

「例えジンの話が真実だったとしても、この王宮に敵が踏み込んだことは事実だ。制圧せねばならん」


 2人が言っても、ヴィレオは耳を貸すことはなかった。金のエングレーブが施されたナイフをリアに向け、強面で威嚇してくる。


 だが、矢沢も退くわけにはいかなかった。一番にやるべきは混乱の収拾だ。


「ここで私を捕まえるのであれば、全面戦争を覚悟してもらう。港と市場全てを砲撃して輸送路を奪う。その後は飢えて苦しむ都市をなぶり殺しだ」

「貴様!」

「このタイミングで、港のすぐ傍からドラゴンが出てきて、あおばを襲うのはおかしい。どういう手段を使ったかはわからんが、この国がドラゴンをけしかけたことはわかっている。国王不在の中、これ以上戦火を拡大させて国を混乱に陥れることをよしとするなら、私を捕まえるといい。少なくとも、私はそれを望まない」


 矢沢は周囲への警戒を怠ることなく、それでいて国防大臣の眉間に銃口を向けながらも話し合いを継続しようとしていた。


 アモイは今や混乱の坩堝るつぼにある。南部では別の戦争を抱えており、ラナーの思想も広がりつつあることを考えれば、彼らとて不用意なマネはできない。


「まずは落ち着け」

「……全員、武器をしまうんだ」


 ヴィレオは怒りの目を矢沢に向けながらも、武器をしまうよう周囲の者たちに指示を出す。王族や兵士たちは不満そうな顔をしていたものの、各々の武器を収めていった。それを確認した矢沢も銃をホルスターにしまい、アメリアも光の剣を霧散させた。


「はぁ……よかったです」

「油断するな。まだ味方になったわけじゃない」


 胸を撫でおろすアメリアだったが、矢沢は注意を促した。警戒を怠ってしまえば、いつ背中から刺されるかわからない。それを聞いてアメリアも顔を強張らせる。


 一方、リアは肉塊の傍に座ると、触診をしたり、手をかざしたりと、様々な検査を行う。


「もう完全にエルフとしての意識はありません。ただの心臓が動く塊です」

「リアさん、どうしてこんなことに……?」


 肉塊に目を向けられないラナーに代わり、アメリアが控えめな声で聞く。


「バベルの宝珠は、ダイモンに使うと身体を強化できるんだよ。でも、それを人間がやると精神の崩壊と知性の消失、そして異形化を引き起こす。そもそも膨大なエネルギーと負の感情の凝集体なんだ、それをエネルギー源にするダイモンのようにはいかない」

「でも、何でそれがアモイにあるんですか?」

「わかりませんが、この世界に混乱を引き起こすことを望んでいる者たちがいるのは確かです」


 リアは明言しなかったが、それを行う者たちと動機は彼にも掴めていないことは確かなようだ。


 それに、今解決すべき問題も残っている。矢沢は国防大臣に再び目を向けた。


「ダーリャのすぐ傍であるにも関わらず、ドラゴンはあおばを狙って攻撃してきた。あなた方がドラゴンをけしかけたことはわかっている。今すぐ退却させるんだ」

「できない。あれは陛下がバベルの宝珠を使って操れると聞いたようでな。もう制御できる者はいない」

「バカな……!」


 矢沢は頭を抱えた。どういった意思決定が行われたのか知る由もないが、どう考えても不確実な手段を切り札に据えるなど、悪手にも程がある。


「リア、艦に戻りたい。連れていってくれるか」

「そんな、バベルの宝珠をドラゴンに使うなんて……」

「リア、どうした?」

「あ、いえ。えーっと、わかりました。あなたの船まで連れていけばいいんですね」


 何を考えていたのかわからないが、リアは何かに怯えていたようだった。それも矢沢が話しかけると引きつった笑みで応えた。


 不安はあるが、それでも戻らなければならない。矢沢は邦人たちの命に責任を持てる最高指揮官である以前に、護衛艦あおばの艦長なのだから。

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