311話 死にゆく国王

 リアは言っていた。この世界では戦争へのハードルが低いと。


 この世界は近世の地球よろしく主権国家の概念が出現しつつあるが、それでも別の種族という大きな壁は存在し続けている。


 だとすれば、彼らは交渉に応じる気などなく、ただ殲滅を図るつもりだろうか。そうだとすれば、もはや時間は残されていないだろう。


 今できることをやらなければならない。そして、今できることとは、王宮へ行って真実を確かめることだった。


 矢沢らが王宮前までやって来たところ、王宮から何名かが脱出してくるところに出くわした。マウアがそのうちの1人、褐色肌の小太りな男を引き留める。


「マハラーニさん、何慌てて逃げてるの?」

「ああ、マウアか! 突然ドラゴンが現れたんじゃ! 気づかなかったのか!?」

「いえ、何が起こってるか全然わかんなかったのよ。それより、陛下はどこに?」

「わからんが、近衛が付いとるじゃろ! ほれ、お前たちも早う逃げい!」


 小太りの男はマウアに手招きをしながら、冷や汗を流して逃げ出していた。あまり運動をしないのか、よたよたと不格好な走り方をしていたのが気になったが、今はそれどころではない。


「マウア、先ほどの彼も王族か?」

「ええ。継承順位55番のマハラーニさんよ。数学のエキスパートなのよ」

「そうか、ありがとう」


 矢沢は王宮から逃げ出す人々の中に、逆に入っていく者も見かけていた。ほとんどが兵士とそれを率いる王族と見受けられたが、誰の援護もなしに1人で入っていく豪奢な格好の者もいた。彼らも恰好からして王族だろうが、先ほどの小太り男とは違って、腕に覚えがある者なのだろうか。


 彼らに続いて矢沢らも王宮へ入ろうとするが、律儀に入口を守っている3名の兵士たちに阻止される。兵士たちは簡素な槍を矢沢に向け、敵意をむき出しにしてくる。


「お前、灰色の船の者だな。ここを立ち去れ」

「その人は客人よ。通しなさい」

「マウア様……いえ、申し訳ありませんでした」


 兵士の1人は何か反論しようとしていたが、その言葉を口にする前に諦めたようだ。


 矢沢は礼の1つでも返そうかと思っていたが、間髪を容れずマウアが矢沢を呼び寄せた。


「何してるの、早くしなさいよ」

「ああ、すまない」


 兵士たちは不満そうにしていたが、それでもマウアの命令通り矢沢らを通してくれる。


 マウアが味方になってくれたので助かったが、ラナーだけだったらどうなっていたことか。最悪の場合は何もできずに立ち往生することも考えられたため、マウアの協力には素直に感謝するしかなかった。


  *


「ああ、待ってくださいラナー様!」


 侍従たちの言うことも無視しながら、ラナーは医務室のドアを開けた。


 国王は医務室に運び込まれたという証言があったので行ってみれば、十数人の王族や侍従たちが誰かを囲んでいる光景が目に飛び込んでくる。


「ちょっと、これどうなってるの?」

「ヤザワさん、かなり強い魔力を感じます。それも嫌な感じの……」


 困惑するラナーとマウア、そして戦闘に備えてか厳しい目を人だかりに向けるアメリア。どうやら状況は逼迫しているらしい。


 矢沢らは人混みをかき分けて先へ進み、国王の姿を見る。


 髭を生やした長身の男が悶え苦しんでいた。しかし、一部の皮膚は溶けたように崩壊し、顔も酷い火傷を負ったかのようなケロイド状に変化している。


 それらはまだ軽い方だった。腰部から下に至っては、ミンチ肉を乱雑に蹴り潰したような肉塊と化していて、もはや最初が何だったのかわからないほどに変形していた。


「うっ……」


 さすがに見るに堪えなかったのか、ラナーは目を脚に釘付けにして戦慄しているマウアの胸に顔を埋めた。


 アメリアも生唾を呑み込み、マウアと同じように脚をじっと眺めていた。何故か顔を赤らめて。


「ごくり……なんというか、かわいい……ですね」

「全く、君は……」


 まさかとは思ったが、アメリアは肉塊と化した男の脚にまで欲情するのか。矢沢は呆れて物も言えなかったが、すぐに呆れている場合ではないと思い直す。


「それより、彼の容態だ。どうなっているんだ?」

「いえ、私にもさっぱりです……恐ろしい魔力ではあるんですけど、とにかく苦しんでいるみたいな、変な魔力です」


 アメリアは素直に首を横へ振った。やはり詳細不明であることに変わりはないらしい。


 とはいえ、この有様はさすがに異常に過ぎた。これが一体何なのか、この王宮で『バベルの宝珠』とやらが使われたことと、何か関係があるのだろうか。


「やはりそうですか。バベルの宝珠です」


 すると、そこに先ほど聞いたばかりの声がする。困惑する人混みをかき分けて姿を現したのは、他でもないリアだった。


「貴様、ジンか。よく顔を出せたものだな」


 それがジンのエリアガルドだと認識するなり、周囲のエルフたちはリアに敵意を向けた。しかし、リアは彼らを全く相手にせず、国王の傍に立った。


「やめろ、陛下に触れるな!」

「静かにお願いします」


 矢沢の近くにいた白い髭の男が怒鳴りつけるが、それもピシャリと撥ねつけ、国王の脚を丁寧に触診していく。


「そうか、やっぱり……いや、これは……」


 リアは何度か頷いてはぶつぶつと何か言っていたが、早々に切り上げてリアに怒りを向けた男に向き直る。


「国王にバベルの宝珠を使った人がいると思います。誰ですか?」

「お前には関係ない。早く出ていけ!」

「ダメです。ダイモンに関わることなら、ぼくたちが関わらないわけにはいきません。それとも、ぼくたちジンと戦争をしますか? 国王不在でどれだけ戦えるかわかりませんけど、アモイをダイモンの支持者と見れば、完全に焼き払うことに躊躇いはありません。かつてのアモイの指導者も、バベルの宝珠とはすっぱり縁を切りましたよ」

「く……私ではない。国王陛下自ら取り寄せたものだ。入手経路は知らん」


 リアは普段の彼とは全く違う、かなり低く強い語気で男に迫る。さすがに折れたのか、男は目を閉じながら口を割った。


「そうですか……じゃあ、もう何もわからないかな」

「どういうことだ?」

「国王は数十分で死に……いえ、体が崩壊して異形と化します。この分だと無害ですが、知能は昆虫並に低下してしまいます。エルフとしての尊厳を守りたいなら、今すぐ殺してください」

「なんだと……陛下を殺せと言うのか!」

「それでは、うめき声を上げ続ける肉塊を国王と認めるんですね。ぼくはそれでも構いませんが、この国の人たちは困ると思いますし、彼のためにもなりません」


 男はリアに掴みかかったが、リアは全く動じないで彼の目をじっと見つめ続ける。その言葉は事務的で、嘘を挟むような余地は一切ない。


 すると、どこかで「そんな……」という悲痛な声がする。それを皮切りに、集まったエルフたちが口々に悲しみの言葉を言ったり、すすり泣き始める。


 国王を救える手は残されていない。その事実だけをリアは突きつけたのだ。

 矢沢にできることは、その場を見守ることだけだった。

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