309話 行かねばならない場所へ
「落ち着いたか?」
「うん、なんだかスッキリしたかも」
ラナーは満面の笑顔を浮かべ、矢沢に頷いた。泣きはらしてはいたものの、それで全て吹っ切れたようだった。
もはや、今のラナーに悩むようなことはないだろう。協力を表明する者も多い、ラナーの「この国を変える」という願いは、この時点でほぼ達成されたも同然だった。
この思想が広がれば、奴隷の解放は急激に進み、そして邦人の解放交渉もより進みやすくなる。向こうはラナーを押さえて交渉カードに使うつもりだったろうが、それが今ではこちらの手札だ。
とはいえ、相手はラナーを強引に洗脳してきた事実がある。以前よりこちら側が優位に立ちつつあるが、それへの対応策として強硬手段に訴える可能性も捨てきれなかった。
市民への弾圧、思想統制。そして、最も危惧すべきは、邦人の人質化やあおばへの直接攻撃と、危険性は多岐に渡る。
あおばは現在ダーリャの港に停泊していて、直近の陸軍基地は主砲の射程内にあるので軍の動員に関しては対応できるが、ここは異世界であり、何が起こるかわかったものではない。
色々と考えることは多かったが、それよりも今は艦へ戻ることが先決だった。矢沢がラナーとアメリアに声をかけようとしたところ、ラナーが不思議そうに海の方へ目を向けていたのが気になった。
いや、ラナーだけではなかった。他の群衆も多くが海の方を向いていた。
「どうした? 何か気になるものでも?」
「あー……ううん、今日は変な魔力ばっかり感じるなって思ってさ」
「変な魔力?」
「そう。ジンの魔力もそうだけど、感じたことのない……うーん、何か気持ち悪いって感じの」
ラナーは指を回したり手ぶりをするが、全く要領を得ない。というより、矢沢には魔法が使えない上に感じ取ることさえできないため、それがどういうことなのか想像もつかない。
だが、アメリアは全く様子が違っていた。アメリアにしては強めの力で矢沢の肩を掴むと、青ざめた顔で訴えてくる。
「ヤザワさん、今すぐ離れましょう。ダイモンに似た魔力を感じます」
「何だと!?」
「お城の方から2つ感じます。もしかすると、この国にダイモンがいるのかもしれません」
「わかった。今すぐ退避を──」
矢沢は言葉を続けようとするが、それは上空から吹き降ろしてきた強風に遮られた。
あまりに強い突風だったために腕で顔を覆う。すると、聞き慣れた声が矢沢の耳朶を打った。
「よかった、ここにいたんだね。突然だけど、王宮まで一緒に来てほしいんだ」
「リア、なぜここにいる」
声の主はエリアガルドだった。箒に乗っていた以前とは違い、今は何の物体にも乗ることなく空中を浮遊している。それも、普段のように余裕がありそうな微笑はどこにもなく、切羽詰まっていると言いたげな、眉をひそめて怒り出しそうなほど真剣な表情を張り付かせている。
「バベルの宝珠が王宮で使われたんだよ。何を考えてるかわからないけど、とにかく阻止しないと」
「承知したが、少し待ってくれ。アメリアもだ」
「はい、わかりました」
「できるだけ早くね」
リアは周りの群衆たちが彼に対する抗議の声を上げているのも完全に無視し、早く、と付け足して右手を伸ばしてくる。矢沢は2人に少し待つよう言うと、人混みをかき分けてディオクロスを探しに行く。
リアが直接ここまで出張ってくるなど、よほどのことが起こっているに違いない。バベルの宝珠関連だとすれば、そのダイモンとかいう敵性種族とも何らかの関係があるのだろう。
幸いにも、ディオクロスはすぐ見つかった。ちょうど色白のエルフが多く集まっていた場所に紛れ込んでいて、先ほど助けた邦人の少年も一緒だ。
「ディオクロスくん、無事だったか」
「ああ、何とか」
「私はこれから王宮へ行く。その子を連れて、ヒメルダくんが指示した集合地点で待っていてほしい」
「わかったよ。それと、1つ伝言を頼まれてくれないかな?」
「伝言?」
矢沢はディオクロスの頼み事に首をかしげるが、彼は至極真面目で、なおかつ嬉しそうに言う。
「そう、あのジンの女の子に。僕たちはセーランの信徒なんだ。だから、一言『お目にかかれて光栄です。神に栄光あれ』とだけ」
「伝えておこう。それと、彼は男らしいのでな、気を付けておくといい。女の子と言うと不機嫌になる」
「あれ? ジンって全員女の子の姿をしているって……まあいいや、ありがとう」
ディオクロスはリアが少年だと知って驚愕していたが、ジンに対し不寛容なこの国では知られていないのかもしれない。
そして、矢沢は保護した邦人の少年にも目を向け、やつれた顔をじっと見ながら頭を撫でる。
「すまないが、今から行かねばならないところがある。これをあげるから、少しの間我慢してほしい」
矢沢は少年にカロリーメイトの袋2つと水のペットボトル2本、そしてビスケットの包みを渡す。少年は花が開いたかのような笑顔を見せると、何度も頭を下げてくる。
「ありがとうございます、助けてくれて……」
「お礼を言うのは船に帰ってからだ。今は待っていてくれ」
「あっ……」
感激の涙を流していた少年の頭を再度撫でると、矢沢は踵を返してリアの下へ戻る。少年の保護も大事なことではあったが、今は危険な状況への対応が最優先課題だった。
*
「ちょっと、本気で言ってんの!?」
「うん」
マウアは驚愕するばかりだったが、ラナーはかぶりを振る。
ラナーは王宮に行くつもりでいた。何が起こっているのかはわからないが、それでも行かねばならないと思っていたからだ。
大事な娘であるラナーを洗脳した父親のことだ、ロクなことを考えているわけがない。
だが、マウアは反対していた。
「ジンの言うことよ? 聞いちゃダメ」
「これが罠だったとしても、その時は対処するだけ。あたしはこの国をよくするためなら、ジンの力だって利用するって決めたんだから。決めるのはあたしよ」
「ラナーってば……はぁ、わかったわ。その代わり、私もついて行くわよ」
マウアは呆れていたが、ラナーの言葉を聞くと態度を変えた。今しがたラナーの決意を認めたばかりなのだ、ここでまた反対していては、前と同じことの繰り返しになってしまう。そう思っているであろうことは、ラナーにもよくわかっていた。
「むしろ心強いよ。ありがとう」
「あなたを守るためだもの」
ラナーが不敵な笑みを送ると、マウアは慈愛に満ちた表情を返してくる。
大事なのは、自分で何を成したいか考えることだ。それが間違っているのなら、その時に責任を持って正せばいいのだから。
「ジンの糞野郎め、帰れ!」
「ここがどこだかわかってんのか!」
ラナーは再び塀へ上ると、リアへ怒りの声を上げる群衆たちに声を上げる。
「みんな、あたしは今からジンと一緒に王宮へ乗り込むわ。だけど、これはあたしの意思。決してジンの口車に乗るわけじゃない! だから、みんなもあたしを信じて!」
「ラナー様……」
「だけど、ジンなんですよ! 信じちゃダメです!」
「それでも行くの! パパが……ううん、国王陛下が何か悪いことをしようとしているなら、それを止めるのがあたしの役目! ううん、この国に住む人たち全員の責任だと思うから」
ラナーはそれだけ言うと、群衆たちの反応も聞くことなく塀を降り、リアに相対する。
「あたしも行く。連れてって」
「ほんと、君ってすごいよ。尊敬するよ」
リアは少しばかり静まった群衆たちを背に、ラナーへ呆れた表情を向けていた。
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