307話 蛇竜の襲撃
雲が少しばかり出ているだけの、快晴と言っていい真っ青な空。日本と違ってかなり暑いものの、雨が降って海が荒れるよりは幾分かマシだ。
艦長に代わって艦を預かる佳代子は、艦長席でのんびりと休憩時間を過ごしていた。空調が効いた自室に戻らないのは、何か問題があった際に迅速な対応を行うためだが、それ以上に外の景色を眺めていたいと思う気持ちも大きい。
艦橋に詰めている航海科の隊員たちも、敵地にいる割に緊張している様子はない。これまで事態がいい方向へ転んでいると、艦内の誰もが知っているからだ。
とはいえ、敵地であることには変わりない。艦の人員配備状況も準戦時状態を維持しており、見張り員だけでなくレーダーやソナーも常に周囲を監視している他、機関は停止ではなくアイドル状態にされ、錨も降ろしていない。
願わくば、ラナーの奪還が無事に済むように。佳代子はそれだけを考えていた。
先ほどのジンの少女が見せた幻覚によれば、ラナーは記憶を取り戻したそうだ。後は矢沢とアメリアがラナーを連れて脱出するだけで、しかもダーリャの民衆たちは意外にもラナーの味方をする者たちが多いという。
これも、灰色の船の威圧のおかげか、それとも艦長の努力の賜物か。いずれにせよ、ラナーが再び味方に戻ったことは喜ばしいことだ。
このまま民衆がラナーの支持に傾き、現政府を打倒するよう呼びかけられたのなら、アモイの政治機構は大混乱に陥る。そこを突いて拉致被害者の解放交渉を行えば、全員の帰還が実現できる可能性がある。
できるなら、全員の解放を。それが自衛隊の目的だ。
そこに、CICからの連絡が入る。佳代子がそれに応答すると、船務長の菅野が切羽詰まったような強い声を浴びせてくる。
『副長、都市の方から何かが出てきます! 転移時に遭遇したドラゴンの遊泳音に似ています!』
「うそ……総員戦闘配置! 対水上、対潜戦闘用意! 直ちに沖へ逃げてください! 針路272、一杯!」
「針路272、一杯、ようそろ! マンダ野郎め、性懲りもなく出やがって!」
決断と命令は直ちに行われた。佳代子の檄は艦橋要員を動かし、それが艦への動力になる。鈴音は悪態をつきながらも舵輪を握り、できる限り回しつつエンジン出力を全開にする。
なぜ都市からあのドラゴンが出てくるのかはわからないが、今は応戦しながら逃げる他に打てる手はなかった。
あおばのガスタービン機関と発電機が唸りを上げ、右へ回頭しながらぐんぐんと加速していく。機関を停止しなかった矢沢の判断は間違っていなかったようだ。
だが、あおばが沖へ針路を向けた直後、ドン、という腹の底に響くような音と共に、船体を激しい横揺れが襲った。煽られた佳代子は艦長席から振り落とされそうになるが、どうにか持ちこたえる。
「うっ……ダメージコントロール!」
『船体中腹部に衝撃! 何らかの物体が衝突したものと──』
佳代子が応急員からの報告を聞いている最中、再び同じ衝撃に襲われる。海図にない岩礁への衝突ではなく、明らかに何者かが海中からあおばを攻撃しているのだ。
「こちら右舷見張り! 副長、海中から何かが出てきます! ……出た、ドラゴンです! 例の蛇型ドラゴン!」
「右舷RWS、短魚雷発射用意! VLA、主砲は待機!」
艦橋右舷の見張りを行っていた青木が佳代子に報告を入れると、佳代子はそちらに見向きもせずCICに命令を伝える。
すると、前を向いていた佳代子の視界に青白い光が入り込んでくる。ドラゴンが現れたという方向からだ。
まずい。そう思って右舷側を見た時には、ドラゴンがこちらに口を大きく開け、魔法陣を展開して光をため込んでいた。
以前、アセシオンでメリアというドラゴンと戦ったAH-1Zのことが頭に浮かんだ。あのドラゴンは炎のブレスを放射していた。このドラゴンも類似のエネルギー流を放射できるかもしれない。
「そんな、ことって……」
佳代子は慄いていた。明らかに回避できる場所ではない。
目を瞑り、覚悟を決めた。もう助からない。
だが、いつまで経っても体が焼かれることもなければ、意識がブラックアウトすることもない。何故かと思い目を開けてみると、艦から少し離れた場所から黄色い魔法陣がドラゴンのブレスを防いでいる光景が目に飛び込んできた。
「うそ……何ですかあれ……」
強い光のせいでほとんど何も見えなかったが、ドラゴンがブレスを止めると、それを防いだ誰かの姿が遠目に見えた。
黄色いアイドル衣裳か何かを身にまとった、小さな少女だった。その少女はこちらに向き直ると、聞き覚えのある声を放ってくる。
「ここはうちが引き受けるで! はよ逃げてな!」
「うそ、瀬里奈ちゃんですか……!?」
佳代子だけでなく、艦橋要員の誰もが瀬里奈の姿に釘付けになっていた。
瀬里奈は空中を飛行し、なおかつ巨大な防御魔法陣を展開してドラゴンの攻撃を防いだ。これほどまでに現実感のない絵面が他にあるだろうか。
しかし、これは紛れもない現実だった。護衛艦あおばは、瀬里奈によって守られたのだった。
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