305話 最初の一歩、大きな飛躍

 ラナーとマウアは抱擁を解くと、大混乱に陥った群衆に目を向けた。


 今しがたラナーが表明した意見への賛成や反対だけに留まらず、王政そのものへの批判や奴隷への差別、ジンへの敵意をむき出しにする怒声、ラナーへの個人攻撃、奴隷を卑下する差別主義者への攻撃など、もはや言いたいことをぶちまけるだけのゴミ捨て場と化していた。


 軍の兵士たちでさえ、彼らを抑え込むことができていない。中には群衆の何名かにタコ殴りにされている者さえ見受けられる。


「これ、どうするの……?」

「心配いらないわ。結局、みんな考えることは同じなのよ」


 ラナーは収拾がつかない状況を作り出してしまったことに戦慄していたが、マウアはラナーに微笑んでみせた。


 すると、マウアは頭上に自身の身長ほどもある直径の火球を作り出し、それを真上に向けて投射。ある程度高度を稼いだところで大爆発を起こした。


 大気が鳴動し、地面さえも振動する衝撃の強さに当てられ、群衆たちは声を上げるのをやめた。


「さて、大人しくなったみたいね。よくできました」


 強引に群衆を大人しくさせたところで、マウアは改めて恐怖を顔に張り付かせたエルフたちを見渡した。そして、ラナーの背中をポンポンと優しく叩いた。


「みんな、聞きなさい。ラナーちゃんから追加でお話があるみたいよ」

「お話って言われても……」

「ラナーはちゃんと決意したんでしょ? それなら、それを広く伝えるべきじゃないかしら。今度ラナーが記憶を奪われたとしても、そうすれば誰かが覚えてくれるはずよ」

「マウアちゃん……うん、わかった」


 いきなり話を振られたことで困惑していたラナーだったが、マウアから背中を押されたことで決心がついた。


 もしかすると反感を買ってしまうかもしれない。だが、それでも自分には為すべきことがあるのだから。


「あたしは、この国から奴隷を解放するために動くことに決めた。そして、奴隷を必要としない社会に、このアモイを変えるの。それも全部、この国の人たちが誰も苦しい思いをしないで済むようにするために! 苦しいことや悲しいことは、全部みんなで共有するの! 誰かに押し付けていたら、そのしっぺ返しを食らうのは当たり前じゃない! そして、それをみんなで解決していけば、きっと社会はよくなるわ! いえ、それが本来の社会の姿じゃないの!? それさえできれば、もう二度と捨てられた奴隷が店の食べ物を盗むこともなくなるし、誰も罪悪感を覚えなくてもいいの! それに、あのダーリャの襲撃だって二度と起こらないわ! だって、奴隷を使ったりしなければ、奴隷を取り返そうとする人たちが襲ってくることなんてありえないもの!」


 ラナーは自分が言いたいことをはっきりと言った。先ほどと同じように。


 自分たちの行為の責任を他人に押し付けるなど、絶対に間違っている。誰かに対し不当な扱いをすれば、当然ながら自分に跳ね返ってくる。それが今だっただけだ。


 それに、もう誰も傷つくところを見たくなかった。誰も傷つかずに済む方法を考えた結果が、奴隷の解放という結論だった。


 いや、奴隷という制度そのものが、人を苦しめるだけの悪辣な制度であることは間違いない。特に喜捨は、その最たるものだ。


「みんな、改めて考えてみてよ! そして、もし賛同してくれるなら、みんなも同じように他の人に広めてほしいの! 家族とか友達とか、立ち寄ったお店で言うのでもいいから、とにかく奴隷制度に反対してって言ってほしいの! あたしも王族や神殿に訴えたりするから、みんなも一緒に頑張ろうよ! ジンとかそういうのは関係ない、これはあたしたちの問題なのよ!」


 ラナーは太陽が照り付ける中でも必死に声を振り絞り、人々に訴えかける。それこそが一番の手段だと言わんばかりに。


「それと、反対の人もいるだろうけど、わかってほしいの。奴隷を使って悠々自適に暮らす人にとっては嫌なことだろうけど、あたしが救いたい人たちはね、さっきジンの子が見せてくれたように、有無を言わさず連れてこられて、何もかもを奪われたの。泥棒だって、そうするしかなかったのよ。だって、物を盗らないと生きて行けなかったから。あたしはそういう子たちを生み出したくないだけ。最後に、王族やあたし自身への批判とか、関係ない文句を言う人はかかってきなさい。クズはあたしとマウアが力づくで黙らせてあげる」


 ラナーは言いたいことを全て言い終えると、黙り込む群衆たちを一瞥する。本当に伝わったかどうかはわからないものの、ラナーの気持ちは晴れていた。


 すると、再び賛成してくれる人々の間から歓声が巻き起こった。先ほどより多くのエルフたちが賛同してくれている。


 もしかすると、あの時までのラナーと同じように、自分の意見をはっきり言い出せない人々が多くいたのだろうか。


 自分だけではなかった。その意外性と共に、これだけ自分の意見に賛同してくれる者が多いという事実は、ラナーの涙腺を緩ませた。


「みんな、納得してくれてるんだ……」

「真摯に伝えれば、気持ちは伝わる。立場というものはもちろんあるだろうが、基本的にはそうだ。私はそう信じている」

「うん、うん……!」


 塀の下から助言をくれた矢沢に何度も頷きながら、ラナーは涙をこぼした。


 これが第一歩だ。この後数分後に泣き止むこととなったラナーが、最初に思ったことだった。

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