番外編 記憶の底から・解放された怒り・その3

「もちろん、過去にも飛行機が狙われたテロは数多くありました。ですけど、だいたい飛行機を乗っ取って別の国に亡命したり、落ちたら助からないような高度から飛行機を爆破して乗客を殺すような事例ばかりです。よど号事件っていうハイジャック事件が亡命の、大韓航空爆破事件が爆破の好例です。ところが、この同時多発テロは飛行機を使って重要目標を狙った、全く新しいテロだったんです」


 佳代子はひと際大きなため息をつくと、膝の上に肘をつき、手に顎を乗せた。自分も艦長に倣って2人に地球のことを色々と教えてあげたいと思っていたが、過去の辛い経験を語るのはそう容易いことではなかった、ということを今更ながら思い知る。


 その思いを察したのか、アメリアは佳代子の隣に座り、肩を寄せてくる。


「私、もしかすると思い上がってたのかもしれません。自分は辛いことを経験したんだって、周りの人に押し付けたこともあったかもしれないんです。けれども、そんなことはないんだって思いました。その事件に巻き込まれた人や、その遺族の人たちも、みんな辛かったんだと思います」

「はい。ですけど、それがもしかすると防げたかもしれない事件だったと知らされたら、絶望感もずっと強いと思います」

「え? 防げたの?」


 腕を組んで目を閉じ、聞き耳を立てていたラナーが、きょとんとした顔で佳代子に向き直る。


「はい。あの後に知らされました。アメリカの警察組織がテロ組織の活動情報を掴んでいたにも関わらず、当時の情報機関はそれを無視したそうです」

「それはひどいわね……っていうか、巻き込まれた人がすごくかわいそうよ」

「もちろん、警察だって確証もないのに動くわけにはいかないのはわかってますっ。けど、万全には万全を期すのが安全保障なんです。だって、人の命に替えはないんですから」


  *


「はぁ、はぁ……っ」

「ほんともう、何なのよ……」


 佳代子と玲は何とか近くのホテルまで辿り着いた。入り口前では担任の若い女性教師が待っていて、2人の姿を見つけるなり涙を流して抱き着いた。


「松戸さん、滝沢さん! ああ、ほんと無事でよかったわ……」

「え、えへへ、なんとか生還しましたっ!」

「それより、みんないるんですか!?」

「ええ、あなたたちで最後よ」

「そっか、よかった」


 玲はほっと胸を撫でおろすと、気が抜けたのかその場に座り込んでしまう。


 無理もなかった。今まで自分たちがいた建物に飛行機が突っ込んでくるなど、現実として受け入れるのは困難だ。ましてや、そこから命からがら逃げ出してきたとなれば、動けなくなるのは当然のことだろう。


 一方の佳代子も、信じられない出来事の連続で膝が笑ってしまっていた。まともに立つこともままならないで、元気に教師へ報告するものの、その笑顔も引きつっている。


 だが、悲鳴やサイレンが響くニューヨークの街中を、さらに巨大な轟音が覆い尽くした。3人が異音に気づいて辺りを見回す。


 遂に限界を迎えたのか、世界貿易センタービルの南棟が崩れ落ちている光景が遠くに見えていた。


 ニューヨークのランドマークが音を立てて崩れていく。出来の悪い映画のようなシーンだったが、それは紛れもなく本物だと、辺りに吹きすさぶ砂塵が教えていた。


  *


「そんな、防げたって何よ……」


 玲は日本へ帰る飛行機の中で、眉根を寄せながら新聞を読んでいた。

 どうしたのかと思い佳代子が紙面を覗いてみると、その新聞に「同時多発テロは防げた可能性がある」という一文を見つけて戦慄した。


 内容は英語だったが、アメリカへの修学旅行を楽しみにして勉強した上、あの事件からしばらくニューヨークから出られずにいたので、英語はとっくに身についている。


 CIAはFBIからアルカイダ構成員の入国や活動を知っていたにも関わらず、対策はほとんど取られていなかったことが書かれていたのだ。


 あまりにもひどい。佳代子はなぜ対策を取らなかったのかと怒りに震えた。ちゃんと対策を取ってさえいれば、あの事件は防げたかもしれないのに。


「意味、わからないですよ……防げたはずなのに、放っておくなんて……」

「なんかもう……いえ、いいわ」


 玲は何か言いかけたが、大きなため息をついてそれ以上は言わなかった。


 今更何を言っても遅いのはわかっていたが、佳代子はひたすら文句を言いたかった。なぜあのような恐ろしい目に遭わなければならなかったのか。それを誰にでもいいから糾弾したかった。


 阪神淡路の時もそうだった。なぜ母親だけでなく、何人かの友達も死ななければならなかったのか。それがずっと疑問だった。


 あの時は自然災害だった。誰かを責めてもしょうがない。そう考えることで自分の中で折り合いをつけてきたが、今回は違う。完全に人災だったのだ。


 だが、やはり起こってしまったことはしょうがない。誰かを責めることはできるが、恐怖の記憶は癒えるものではないのだから。


  *


「あれから色々あって自衛隊に入りましたけど、思っていることは変わりません。何か危険な兆候があるなら、それを潰して安全を確保しましょうって。BMDの勉強もそこから興味を持ったんです。かんちょーもそういう考え方をしてるみたいなので、わたしはかんちょーに概ね賛成です」

「へえ、ネモさんにべったりだって他の人が言ってたけど、ちゃんと理由があるのね」

「べったりかどうかって言われると……うーん、どうなんでしょ?」


 確かに佳代子は矢沢にべったりだと言われることはよくある。ここに来てほとんど日数が経っていないラナーまで知っているとなると、ほとんど周知の事実なのだろう。


 ただ、佳代子にはどうでもよかった。べったりだと言われようとも、艦長を信頼しているのは事実。そして、危機管理という面では彼と意見が合うことも多い。


「わたしは、わたしができることを頑張るだけですっ。ラナーちゃん、色々迷惑をかけるかもしれませんけど、ご協力をよろしくですっ」

「改めて言われると……まぁ、いいわ。そういうの覚悟してたし」


 佳代子が真面目な表情で頼むと、ラナーは目を逸らしながらも頷いてくれた。

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