250話 怒りの矛先

「ただね、君に伝えたかったことはそれだけじゃない」

「むしろ、これからの話が本題でしょう」

「ご明察」


 ジャマルはクスクスと笑っている。酒が入っているせいか、態度が大きくなっているようだ。


 対して、こちらは素面。有力な情報を引き出すなら、今しかなさそうだ。ちょうどいいことに、ジャマルは自分から何かを話そうとしてくれている。


 矢沢はひとまずジャマルの話を聞くことにして、ポテトフライを一つまみする。


「まあ、さっき言った通りこれからが本題なんだけど、ちょっと頼みたいことがあるんだ」

「私に? 私はただの旅人ですが」

「君にしか頼めないことなんだよ。なあに、単純なことさ。はっきり言うと、君たちの仲間を国外に出さないでほしい。人質が減れば、それだけ抑止力が減るからね」

「……何のことかわからない」


 遂に来てしまったか。矢沢は表に出さないようにはしていたものの、内心ではかなり強いショックを受けていた。


 大神官の話通り、ジャマルは矢沢の正体を探り当てていたようだ。そうなれば、手立ては1つしかなかった。


 矢沢はとぼけたが、ジャマルの目は酔った者の虚ろなそれではなく、獲物を狙う鷹のように鋭い輝きを放っている。


「ナメてもらっちゃ困る。私たちはアモイ王国なんだよ。君たちの正体1つ暴けないでどうするんだい」

「はぁ……やはり貧民を装っておくべきだったか」

「何に変装しようとも、私たちはアモイを害する者を許さない」

「国を害するわけではない。話し合いをしに来ただけだ」


 こうなってしまっては仕方なかった。ジャマルは脅しをかけるように矢沢へ凄んでみせるが、矢沢は一切怯まない。


「いいや、奴隷を取り返しに来ることこそが国家への宣戦布告だ。この間も君たちの乗り物でスラムの喜捨奴隷を連れ去ったじゃないか」

「連れ去った? 保護だと言ってほしい。彼らは既に誰の管轄でもない上、健康状態は極めて悪かった」

「それは違うね。喜捨奴隷は神殿が管理しているのさ。誰も手出ししちゃいけない。そういう決まりなんだよ」

「では、なぜ飢え死にさせる? 神殿の管理下だというのなら、神殿が彼らに食料や医療の支援をするべきだ」

「わからないね、君も。彼らの中にアモイ出身のエルフ族はいたかい? いたとしても、肌の白いエルフしかいなかったはずだ」

「む、言われてみれば……」


 矢沢はラナーと共に訪れた、喜捨された者たちのスラム街を思い出した。


 そういえば、浅黒い肌のエルフはいなかった。いたのはそれ以外の者たちだ。

 ジャマルがわざわざアモイのエルフとそれ以外を分けて言ったとなると、考えられることは1つだ。


「まさか、人種差別で国民の溜飲を下げているのか」

「悪い言い方をしないでほしいな。国民の尊厳を保っているんだよ。それに、労働奴隷の反乱も防げるしね」


 ジャマルは悪びれずに言い放った。金のためだけではなく、人種差別を行うためだけに喜捨奴隷などという文化があるのか。


 聞いているだけではらわたが煮えくり返るような思いが湧きあがってくる。そんなくだらないことのために、毎日のように誰かが姥捨て山のように打ち捨てられ、飢えと病気に苦しみながら死んでいくというのか。


 なぜラナーがあれほどまでに心を乱していたのかわかった。それは人を人として見ないばかりか『対象を徹底的に苦しめて殺す』という下劣すぎる行為を、国家が大々的に行っていたからだったのだ。


 まさに最低最悪、ドイツ労働者党や中国共産党の行為と同じだ。人の尊厳をひたすら踏みにじり、自らのチンケな尊厳とやらを保つための捨て石にする。聞いているだけで胸糞悪くなるような話だ。


「そんなことのために……!」

「そんなことなんかじゃない。これは国民の意思なんだ。王族でさえ変えられない。王政は国民の意思で成り立つものだからね。それを変えようとすれば、国民からの怒りを買う。一度、それで潰された国王もいたんだ」

「ならば、なおさら改革が必要だろう。なぜそれをしようとしない?」

「できるものならやってるさ。でも、今の状態に慣れきった国民はその状態を変えることを望まない。自分たちは仕事もせずに国から金を貰い、贅沢に遊びながら、自分たちとは違う誰かが惨い死に方をするのをゲラゲラ笑うのがアモイのエルフさ。この国はね、そういうバカすぎる連中が本当の力を持ってるのさ」


 ジャマルは奴隷のことを当然のように語った時とは違う、真に誰かを蔑み、バカにするような口調で自らの国民を罵った。一切悪びれることもない。


「仮にも自国民だろう。なぜ悪く言う?」

「奴らにいいところがあるかい? いや、ないね。あるとすれば、王族を支持する力はあるってことだけさ。あんなのと比べられたら、痴呆の老人でさえ偉大な賢人に見える」

「君は一体……」


 矢沢は抑えが効かなくなってきているジャマルに戦慄するばかりだった。一体どれが本当の彼なのか。


 ジャマルは怒りと嘲笑が混ざったような歪んだ顔を見せると、テーブルに身を乗り出して矢沢に顔を近づける。もはやそこに、彼が凄んでみせた時の威圧感など一切なかった。


「逆に聞くけど、君たちの国民はどうだい? 確か、国民が政治を決める……えっとそうだ、民主主義? って政体なんだよね。ニホン出身の奴隷から聞いたよ。国民が政治の実権を握る? それって弊害はないのかい? 自分の利権のことしか考えないバカな奴は政治家に立候補しない? 他国の脅威があるのに、軍備を削りまくって平和をくれとか、特定の兵器を放棄しろとか自国にだけ言ってる奴はいない? 口当たりのいいことばかり言って、実は誰かを騙すだけのダブルスタンダードな奴はいない? 軍隊のことも理解せずに武器ばっかり集めようとする奴はいない? 仮にも味方陣営なのに、バカな隣国とは縁を切れとか言ってる奴はいない? 自分は犯罪者と繋がってるのに、政権を批判して国民の支持を得るような奴はいない? どうなんだ、答えてくれよ」


 説明口調となってはいるが、矢沢には答えさせないと言わんばかりに次々と呪詛の言葉をまくし立てるジャマル。もはや狂気に憑かれているとしか思えなかった。


 だが、その反論に矢沢は反論できなかった。全てに心当たりがある。ジャマルはそういう者たちを批判したいだけなのか。


「国民ってのはね、バカなものなんだよ。けど、私たちはそいつらに従うしかない。そいつらを守るしかない。だって、そういう素振りを見せないと、粛清されるのは私たちだ。だから、奴隷たちにはスケープゴートになってもらうしかないのさ」

「だからと言って……」

「じゃあ、君はどうにかできるかい? 上手く立ち回って国王に権力を集中できたとしても、今度は権力簒奪の可能性が出てくる。この国は力を持ちすぎ、権利を認めすぎ、そして敵を増やしすぎてしまったんだよ。王位継承権保持者が腐るほど多いのもそのためさ。できるだけ多く王族を増やして、危険な奴らの権力簒奪を防いでるのさ」

「ふむ……」


 矢沢は酒に溺れるジャマルを、怒りと呆れが混ざった気分で観察していたが、どうやら彼も根っからの悪人ではないらしいとわかった。


 むしろ、臆病になっているだけかもしれない。目指すべき明確なビジョンを描けず、現状を維持するためだけにリソースを割いているのではないかと。


 そうだとすれば、あまりにも不健全に過ぎる。もはや誰にも止められない暴走機関車と化した国家など、恐ろしいにも程がある。


「ならば、協力できることがあるなら協力しよう。この現状を変えられる手立てがあるかもしれない」

「その必要はないさ。それより、ずっと簡単なことがある。やれ」


 ジャマルが手を上げると、矢沢の周囲にいた客たちが一斉に取り囲んでくる。やはり罠かと思った時には、矢沢の首筋にナイフが突き当てられていた。


「まんまとハメられたわけか……」

「こうなることなんてわかってたはずじゃないか。さあ、私と来てもらおうか」


 ジャマルは酒を飲んでいたとは思えないほどに明瞭な喋り方をしていた。ただ矢沢を捕まえるべき敵だと考えているのか、一切の容赦も見えない。


 だが、遠くの客たちが騒ぎ始め、マスターまでもが驚愕していたということは、この店は完全には掌握できていないことを示している。となれば、まだ手立てはある。


「すまない。私は帰るところがあるのでね」


 矢沢はそういうと、手から何かを落とした。それは床に落ちると、カラン、という乾いた金属音を発して地面に転がった。矢沢は目を抑え、衝撃に備える。


 直後、硬いものが破裂する爆音と共に強い光が店を満たし、辺りにいた私服兵士たちを怯ませる。


「くそ……何だ、何があった!?」

「ううっ……」


 こういう時のために用意しておいたスタングレネードだった。矢沢は自らも耳をやられていたが、目だけは無事だ。敵が怯んでいる間に9mmけん銃を取り出しつつ、ひたすら入口に向かって駆け出していった。その際、スモークグレネードを内外へ投げつけるのも忘れずに。


 もはや猶予はなかった。早急にここから離脱しなければ、今度こそ万事休すとなってしまうのだから。

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