249話 人族の起源
大神官との戦いを経て家に戻ったラナーと矢沢だったが、2人を邸宅前で待ち受けている者がいた。
ジャマルだった。一体いつから待っていたのか、ラナーのメイド2人と共に玄関を塞ぐように立っていたのだ。
「お兄ちゃん……ネモさん、逃げて」
「心配するな。それに、どのみち荷物を全て漁られればおしまいだ」
もしかすると、既に正体が割れているのかもしれない。ラナーは引き留めたが、矢沢は背筋が凍るような思いを抑えつつ、ジャマルがいる玄関へと歩いていく。
ジャマルは矢沢の姿を見るなり、以前と同じように気さくに話しかける。
「やあ。元気そうで何よりだよ」
「王子もご健勝のことと存じます」
矢沢は軽く一礼。数日前にあった外国人の一斉検査ではあえて厳しい対応を取ったが、今回は家主の親族ということで礼を正すことにする。
王子は気にしているのかいないのか、矢沢を前にしても態度は変わらなかった。よく女の子に向けているであろう優男スマイルを投げかけてくる。
「今日は君と話をしたいと思ってね。少し飲みに行かないかい?」
「ええ、構いません」
矢沢は平静を装っていたが、内心ではジャマルの言葉に面食らっていた。この場で逮捕されるとばかり思っていたのが、酒に付き合えと言ってきたのだ。
一体どんな意図があるのか詳細にはわからないが、尋問である可能性は十分に高い。
すると、ラナーが間に割り込み、ジャマルに話しかける。
「飲みに行くならあたしも連れてってよ」
「ダーメ。君は飲んだら暴れ出すだろう?」
「暴れないってば!」
「いいや、親父さんから聞いてるんだよ。ラナーはいつも飲んだら暴れるってね」
ムスッとあざとく頬を膨らませるラナーだったが、今回のジャマルには効果がなかったらしい。ジャマルはラナーから離れつつ、矢沢に手招きをする。
「さあ、早く来てくれ」
「……ええ、承知しました」
矢沢は従う他なかった。ここで断ったところで、何らかの監視は続くだろう。断ってしまえば、それが厳しくなる恐れもある。
となれば、撤退までは怪しい行動を取るわけにはいかないし、従順だと示せば逃走への警戒も薄くなると期待してのことだ。
ラナーの意図はわかっている。自分も割り込むことで、矢沢を守ろうとしているのだろう。
しかし、それは失敗に終わった。ここで矢沢がラナーの援護をすれば、ラナーに余計なことをすることになる。
「すまない。君は連れて行けないようだ」
「はぁ……ふんだ、いいわよ。あたしだけで酒盛りしてやるんだから!」
べーだ、と挑発するように舌を出したラナーは、そのまま怒って家へ戻ってしまった。ドン、という強い音と共にドアが閉まる。
「はははっ、ラナーの奴も相変わらずだね。じゃ、行こうか」
「ええ」
ジャマルは笑って誤魔化していたが、それも何かの演技かもしれない。矢沢は今から彼の挙動を一切見逃さないよう努めていた。
*
やって来たのは、ラナーがひいきにしている親父さんの店だった。矢沢が偶然見つけた、日本の居酒屋に近い雰囲気の、言ってしまえば懐かしいお店。
外見も雰囲気も、客たちの喧噪もそのままだが、ここは今や取調室と化している。逃げられない状況下で尋問されるとなれば、懐かしい居酒屋だろうが、北朝鮮やウイグルの強制収容所だろうが、そこがどこだろうと関係ない。
ジャマルは入口から遠い、カウンターと壁に近い袋小路のような席を選び、親父さんと呼ばれているマスターにラガービール3杯と山盛りのポテトフライを注文した。
そして、矢沢に向き直ると、頬杖をついて微笑を浮かべる。
「さて、酒が来るまでは時間あるし、面倒な話は早く済ませてしまおう。単刀直入に言うけど、君の本名を教えてくれないかい?」
「本名、ですか。あの名前は捨て去りました。今の名前はネモです」
「頑なだねぇ君も。私たちは決してお遊びでやってるわけじゃないんだ。安全保障上仕方ないことだ。理解してほしい」
ジャマルの目は真剣そのもの、怒りをはらんでいると言ってもいい。明らかにしびれを切らしている様子だ。
となれば、もはや言わない訳にはいかなかった。リアリティを持たせるためとはいえ、頑なに非協力的になれば逆効果だ。
矢沢は目を伏せると、ため息をついた。
「……チェズレイです」
「苗字と出身地は?」
「シュミード王国のサリー村、苗字はありません」
「わかった。すまないね」
「いえ、構いません」
矢沢は礼儀的にそういうが、決して笑顔は見せなかった。
苗字がないとなれば、個人の特定は出身地名で判断することになる。それを踏まえての措置だろう。
フロランスの従者だったセーラという女性神官から聞いたことだが、アセシオンに併合される前のシュミードは基本的に村で社会が成り立っていたという。その中の1つが、サリー村という現存しない村だった。今では住民もなく、かつての住民の追跡も困難らしく、その名前を使わせてもらっている。ジャマルたちが調査を始めたところで空振りに終わるだろう。
すると、注ぎたてのラガービールとポテトフライが運ばれてくる。いずれも地球産のものであり、しかもラガーに至っては製造するに当たって冷蔵庫という現代技術が必要になる。アクアマリン・プリンセスには清涼飲料の関係者やビールの現物があるが、船から数千キロ離れたこんなところで生産されていることは、矢沢の度肝を抜くには十分なインパクトがあった。
あおばが鹵獲されれば、この魔法使いたちは小銃やロケットランチャー、ヘリコプターだけでなく、イージス艦さえも生産し始めるかもしれない。その恐怖は計り知れない。
当然というべきか、ジャマルは矢沢の気も知らずにラガーのジョッキを一気に飲み干し、屈託のない笑顔を見せる。
「はぁー、うまい! これは最近入ってきたラガーというビールの一種でね、これがすごくうまいんだ。君も飲むといい」
「いえ、ラナーの一件があってからは、少しトラウマになっていまして」
「付き合い悪いな。ま、いいさ」
ジャマルはもう1つのジョッキに手を付け、それも数秒で空にしてしまう。よっぽど気に入っているのだろうか。
「さて……君は『アース』という伝説を知ってるかな?」
「いえ、初めて聞きます」
「そうかい? 空には『オース』と『イース』という星が浮かんでいる。オースは私たちがいる星、つまりレガロと双子星の関係になっていて、互いが相互に干渉しあって回っている。そして、その外周をイースが回っている」
「ええ、その話は伺っています」
この話はラナーや大神官から聞いたものと変わらなかった。人族でもこの話まで知っている者はそう多くないと言っていた。
「レガロに住む人族は1万年以上前にオースからやって来たとされる。だが、人族にとってはオースも真の故郷ではないんだよ」
「と、言いますと」
「この星の『時空の裏側』にはさらに別の星があって、そこが人族の真の故郷だ。その星のことを、ジンや古代の人族は『アース』と呼んでいた」
「アース……」
どこかで聞いたような単語だと思えば、それはまさしく
しかし、わざわざ日本語ではなく、英語で訳されているのが矢沢には気がかりだった。この世界の魔法での翻訳を聞いていてわかったことだが、婉曲的な表現や固有名詞、そして『伝えるべき名称そのものを伝えるため』には、翻訳が一切働かず原語のままとなる。
この場合、ジャマルは明らかに原語のまま『アース』と言っていた。地球ではそう歴史が長くない単語だというのに。
「そう。このラガーを伝えてきた奴隷たちは『チキュウ』という星からやって来たと言っている。そして、あの灰色の船も同じところから来たと。そして、彼らと古来から住んでいる人族に肉体的な違いは全くない。とするなら、面白い事実が浮かんでくる」
ジャマルは顔を伏せて落ち着こうとしていたが、堪えきれなかったのかすぐに口元を緩め、そして笑い声を発する。
「そうさ。アースというのは『チキュウ』のことなんだよ。時空龍が蒔いた生命の種という共通点っていうレベルじゃない。同一種なんだとね」
「なるほど」
矢沢はジャマルの話を面白半分に聞いていた。人類の起源などに興味はない。矢沢がするべきことは邦人の救出だけなのだから。
だが、ジャマルにはそれが面白くないようで、拍子抜けしたような表情を浮かべる。
「おや、興味なかったかい? 興味ありそうな話だと思っていたけど」
「私には学術的なことがわかりませんし、興味もありません。大事なのは今ですから」
「なるほどね、そりゃそうだ」
ジャマルは高らかに笑い声を上げながらビールを注文し直し、ポテトを頬張っていく。
これはいつまで付き合わされるのか。矢沢は辟易しながらも、アモイの芋で作ったポテトフライを一口だけ味見した。本物のポテトフライとは全く違い、油が染み込んでいないどころか塩の味さえしなかった。
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