番外編 忘れ得ぬ記憶たち・東日本マグニチュード9.0・その6

「それにしても、ちょうかいの艦長さんは思い切ったことをしますね。航海長なんて重要ポストなのに、艦から降ろすなんて」

「ああ。私も驚いた」


 波照間は真面目腐った顔をしているのに対し、矢沢は苦笑していた。身内の遺体が上がったことを鑑みても、この行動は軍事組織にしてみれば不可思議この上ない。


 だが、それでも当時の艦長は矢沢を家族の元へ送った。それには、矢沢も思うことがあった。


「私は、自衛隊とは国民の生命と財産を守ることを至上命題とし、そのために内閣や国会が決定する国家方針に従い、その時々に達成すべき目的を達成するための実力組織だと思っている。そのためには規律を正し、己を律することが重要だと考えている」

「それが軍隊だからな」


 ロッタはゲーム機で遊ぶ瀬里奈の頭の上で腕を組みながら、うんうんと何度も頷いている。その点に関しては、ロッタも矢沢も変わることはない。


 だが、矢沢は続ける。


「とはいえ、私はこうも思っている。自衛隊は国民を守るために存在するのであって、決してルールを守るための存在ではない。国民を守るという目的のためには、自分が正しいと信じることをすべきではないか、とな」

「自分が正しいと信じること、ですか……」


 アメリアは自分に言い聞かせるように、矢沢の言葉を反芻した。


「そうだ。日本政府の命令を待たずに邦人の奪還を開始したのも、ひとえにその思いがあってこそだ。確かに状況が状況でもあったが、日本に帰れる目処が立たない中、邦人がいつまで苦しめられるかわからないまま、指をくわえて待つことはできなかった。どうせ象限儀を探さねばならないのなら、大切な国民を救出しながら探そうと。そう思った。それも、当時の艦長や副長、そして松戸くんの言葉があってこそだ」

「ふぇ、わたしのですかぁ?」


 佳代子は急に名指しされ、首を傾げつつ自分に指を差したが、矢沢は全く否定することなく頷いた。


「そうだ。君は本当に素晴らしい自衛官だ」

「えへへ、そうですかぁ……」


 佳代子はニヤニヤと照れ笑いをしていた。完全に無自覚だったのだろうが、矢沢はちゃんと知っている。


  *


「ブラックジャック12、ランディングリクエスト」

『Confirm. Call the BALL』


 ヘリは空母ロナルド・レーガンの飛行甲板に着艦し、事前に甲板へ並べられていた救援物資を積み込むと共に、燃料補給や整備を行っている。

 その間、ヘリの搭乗員たちは少しだけ休憩を取ることにしたようだ。矢沢も任務に戻る前に休息を取ろうと、アングルドデッキのカタパルト脇にあるキャットウォークに面した甲板の端に腰を据え、空母の左となりを航行する揚陸指揮艦ブルーリッジの威容を見物する。


 すると、矢沢の隣にSH-60Kの副操縦士をしている女性隊員が現れ、同じく彼の横に座り込んだ。


「えへへ、来ちゃいました」

「君は確か、副操縦士の……」

「松戸佳代子、まだ2尉ですっ」

「松戸くんか、よろしく。私は矢沢圭一、見ての通り3佐だ。ところで、機体のチェックはいいのか?」

「今はレーガンの整備士さんに任せてますっ。ヘリも酷使しすぎたので、ここいらで休憩させておかないと」


 えへへ、と女性隊員は朗らかな笑顔を見せる。年齢は20代、まだまだ新人といったところか。この震災の只中で笑顔に出会えるとは思ってもみなかった矢沢は、少しだけ元気を取り戻せたような気になった。


 だが、松戸と名乗った2尉は矢沢の反応に構うことなく、笑顔で自分の話をし始める。


「わたし、災害派遣で活躍するのが夢だったんですっ。それも、ヘリに乗って!」

「全く、君は不謹慎だな」

「あう……もちろん、被災者さんたちは辛いと思います。わたしもそうでした。だからこそ、そういう人たちに、今度はわたしから手を差し伸べられる。それがとっても嬉しいんですっ」


 松戸は矢沢に厳しい指摘を受けても笑顔を崩さなかった。それどころか、さらに輝かしい表情を見せてくる。


 彼女は自分の考えを疑ってはいない。それどころか、自分の任務を心から誇りに思っているのだろう。そうでなければ、このような言葉は浮かんでこない。


「そうか。私も自衛隊員として何度か作戦行動を取ってきたが、そのような気分になったことはなかった。私の行動は正しいのか、間違っているのか、それを自問自答するばかりだ」

「別に悩むことはないと思いますっ! わたしたちは、自衛隊員として、いえ、1人の人間として正しいことができればって、そう思ってますから!」

「人間として、正しいこと……」


 矢沢は松戸の言葉に、何か思うことがあった。


 副長の独断専行、艦長の気遣い。これらは「組織としては」そぐわないものなのだろう。


 しかし、そのどれもが正しい。艦長の命令を無視し、彼女の家族のためにと目の前に流れていく遺体を回収するのも、妻を亡くし打ちひしがれる隊員を遺体と共に家族へ送り返すのも、全ては『誰かのため』という思いがあってこそではないのか。


 遺体の家族のため、隊員と家族のため。それは自衛隊が日本という社会の中で実力組織として機能するためではなく、純粋に『国民のため』という願いがあってこそ導き出せるものではないのか。

 松戸の言葉は、その考えを代弁している。


 震災から数日経っても被災地の復興は先が見えないばかりか、原発事故の影響で長期化は確定してしまっている。

 阪神淡路大震災でさえ、街の傷だけでも癒すのに16年経った今でも続いている。人の傷は決して取り戻せない。

 だが、それを少しでも癒すことが自衛隊にはできる。そこに所属する自衛隊員も、そのために行動していいのだ。


 松戸の姿勢は不謹慎と反感を買うかもしれない。副長の行動も独断専行として断罪されるかもしれない。艦長の命令も指揮官としての資質を問われるかもしれない。


 しかし、その裏には『尽くすべき誰かのため』という強い信念がある。だからこそ、その理念や行動は尊いのだ。


「……そうか。ありがとう」

「ふぇ? なんですかぁ?」

「いや、何でもない」


 矢沢はお礼を言うが、松戸にはなぜお礼を言われたのかわからなかったようだ。当然だな、と矢沢は思ったが、わざわざ言い直すことでもあるまい。


 ヘリの修理が終わると、矢沢らは米軍の支援物資を再び被災地へ送り、そして同じく物資を持つ護衛艦ちょうかいへと移動した。


 震災復興への道のりは遠い。だが、歩み続ければ必ず終わりは見えてくるのだ。誰もがそう信じているに違いない。


  *


「へぇー、そうだったんですかぁ」

「副長さんもたまにはいいこと言うんですね」


 他人事のように感心していた佳代子を後目に、波照間が当てつけのように言う。時々辛辣なのが波照間の悪いところだが、当の佳代子は特に気にしていないようだった。


「東日本大震災は、それこそ日本人にとってあらゆる意味で忘れられない出来事となった。だが、それでも我々は歩み続ける。この艦にいる全員が鬼籍に入ったとしても、日本という国はこれからもずっと続く。いや、日本と言う国を存続させていかなければならない。我々はそのためにいる。そのための力を与えられているのだから」


 矢沢は自分に言い聞かせるように語ると、一息ついて水をあおった。


 民主主義と言っても、実際に敵からの武力行使に対応するのは自衛隊の役割だ。災害派遣でも自衛隊は復興初期段階の中核を担う。


 日本のために、誰かのためにできること。自衛隊が日本のために在り続けるためには、それを為し続ける必要があるのだろう。


 だとすれば、矢沢が今するべきは、自衛隊員含む邦人の保護と日本への帰還だけだった。そのためにも、早く回復して任務に戻るべきだとも、女性たちの話し声の中でしっかりと考えていた。

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