番外編 忘れ得ぬ記憶たち・東日本マグニチュード9.0・その5

「そういえば、松戸くんは少し遅れて現地入りしたと聞いている。確か、ひゅうがに乗っていたと」

「はいっ。わたしは館山の航空隊にいたんですけど、地震の直後だったので出動命令が下りました。ひゅうがはドックにいたので出動が遅れちゃいましたけど、その分荷物の積み込みに時間を割けたのはよかったと思います。その時はかんちょーもありがとうございました」


 珍しく佳代子は真面目な表情をしていた。当時は普通に見られたものだが、最近ではおどけた態度ばかりで、今は業務を除けば見ることなどほとんどない。


「ひゅうがで出動が決まった後は、ほとんどトラックの真似事でした。ひゅうがや他の護衛艦に、アメリカ軍の空母からも物資を運んで、もう大変だったんですよぉ……」

「ん? アメ……何とかは外国だと言っていなかったか? 外国からも支援が来るのか」

「はいっ。同盟国なら助け合わないとですよ!」


 ロッタは首を傾げているが、佳代子は満面の笑みを湛えていた。


 この世界では物流の速度が遅く、情報の流れもそれと同じく遅い。災害の経験が豊富で、極めて高いレベルの情報化社会となっている日本でさえ被災地への支援は不十分であることが多い。この世界では国家間での高いレベルの協力という概念はまだ見えておらず、他国の災害は知らないままか、知ったとしてもわざわざ支援を行うようなことはほとんどないのだろう。


「地球はこの世界とは違うな。国際政治の一環として、災害に見舞われた国への支援はごく普通に行われる」

「そうですっ! みんな『トモダチ』ですから!」


 佳代子はとても誇らしい笑顔を見せた。これも、間近で米軍の協力を見ていたからだろうか。


  *


「話には聞いていたが、これはひどいな」

「うう、メチャクチャですよう……」


 男性機長が漏らした声に反応するかのように、副操縦士の佳代子も冷や汗を流しながら外を眺めていた。


 地震から数日経った後だが、宮城の被災地は津波で押し流されてそのままの惨状を見せつけていた。

 家屋という家屋はほぼ完全に破壊され、大きな建物も窓が割れたり半分崩壊したりと、かなりの被害を受けていた。街には足の踏み場がないほどに瓦礫や土砂の海が広がり、この地域が完全に崩壊したことをありありと見せつけている。


 佳代子らの任務は、ヘリ搭載護衛艦ひゅうがに積み込まれていた物資を各避難所へと運搬することだった。地上の道路は地震で破壊されたり、津波で冠水または瓦礫の山と化していたり、かと思えば道路が無事でも福島第一原発の放射能を恐れてトラックが近づかなくなっていたりと、被災地へ物資が届かなくなっている。


 ならば、被災地への支援は自衛隊のヘリで行うしかない。9年前から配備が始まっているSH-60Kならば、物資を集積している護衛艦から被災地へと直接物資を届けられる。佳代子らは、その物資輸送のために東北へ派遣されているのだ。


 実際、ヘリのキャビンには飲料水や食料、簡易トイレや生理用品など日用品、灯油缶が隙間もないほどに積まれている。これらは気仙沼の小学校に届けられることになっており、ヘリもそこへ向かっているところだ。


 しばらく飛行すると、津波の影響を受けていない小学校を発見した。佳代子はすぐさま地図を取り出し、支援物資の届け先が今見えている小学校であることを確認する。


「見えました! 九条小学校ですっ!」

「よし、着陸する」


 機長は機体の速度を落とし、着陸態勢に入る。小学校の運動場は広さや地面の硬さも十分にあり、ヘリが着陸するには最適の場所となっている。


 ヘリが着陸すると、待機していた陸自の隊員や現地住民が集まってくる。ヘリの荷物を降ろすためだ。キャビンにいるセンサーマンがドアを開けて物資の搬出を始める。


「わたしも手伝いますっ。ここはよろしくお願いしますね」

「ああ」


 佳代子は機長に機体チェックを任せ、物資の搬入を手伝うため副操縦席を立った。


 自衛隊に入ったのは、憧れだったヘリコプターを操縦できるようになれるだけでなく、阪神淡路大震災で助けてもらった海自の『お兄さん』を探すため、そして自分も自衛隊員となって誰かを助けたいと思ったからだ。


 本当にしたかったことができる。それだけでも、佳代子の胸はこれまでにないほど踊った。ヘリ搭乗員の資格を貰った時よりもずっと。


 まずは入口前に積まれていた飲料水を降ろし、続いて食料、そして灯油缶と日用品を降ろすことになる。佳代子はまず飲料水のタンクに手を付け、現地住民に手渡していく。


 すると、1人の男性が佳代子に声をかける。30代から40代のおじさんだが、水を受け取りに来ただけの現地民という雰囲気ではなく、どことなく潮の香りがする、同族に近い印象を受けた。


 それに加え、どこかで見たことがある、という懐かしい感じも。


「君、少しいいかね?」

「あっ、はい。どうしました?」

「私も自衛隊員だが、原隊に戻りたいと考えている。護衛艦ちょうかいに立ち寄ることはあるか?」

「えーっと、1度レーガンを往復した後は、ちょうかいで物資を受け取りに行く予定です。もしかして、ちょうかいの人なんです?」

「ああ。矢沢圭一3等海佐、ちょうかいの航海長だ」

「ふぇ!? あ、航海長さんっ!」


 何と、目の前にいるおじさんは階級が上だったらしい。佳代子は慌てて飛行用ヘルメットを取り、しっかりと敬礼を決める。すると、矢沢3佐も笑みを浮かべて敬礼を返した。


 だが、こんなところに海自の護衛艦でも位の高い人がいるとは思わなかった。佳代子は荷物の搬出を手伝いながら、矢沢にそのわけを聞いてみることにした。


「あの、航海長さんはなんでここに?」

「ああ、妻の遺体が艦に流れ着いてな、艦長の命令で家まで送ってきたところだ。近くに海自のヘリが来るまではここで避難所運営の手伝いをしている」

「あう……奥さん……」


 佳代子は妻を亡くしたという話を聞いてしまい、思わず涙を滝のように流すことになった。顔を涙で濡らし、泣きはらした状態で飲料水のパックを現地住民に渡す姿は、とても自衛官とは思えなかったと後で矢沢は言っていた。


  *


 それから物資の配達を終えたヘリは、土煙を巻き上げながら九条小学校を後にした。見送りには息子を始めとした矢沢の家族が来ており、佳代子も晴斗に手を振ってから副操縦席に戻っていった。


「航海長さんの息子さん、とってもいい子ですね」

「そう言ってもらえると父親としても嬉しい。だが、父親らしいことはほとんどできていない。こんな時にも、傍にいてやれないからな……」


 矢沢はヘッドセットのマイク越しに呟くが、ほとんどはヘリのエンジン音と振動でかき消される。佳代子や機長は聞き取っていたが、矢沢の隣に座るセンサーマンの1尉は「もう1回……」と控えめに言う。

 すると、機長は苦笑しながら返答。


「いや、一時的とはいえ、あなたは戻ったじゃないですか。嬉しかったと思いますよ」

「はは、そうですかな……」


 矢沢も同じく苦笑していたが、心の底では本当にそう思っているのかは判断しかねた。妻を失い、子供を置いてまた艦に戻ることになるのだ、後ろめたいことが無いわけがない。


 ただ、それでも自衛官は国民を守るための組織だ。佳代子は便乗した1人の自衛官に同情すると共に、自分の任務に集中すべきだと改めて感じていた。

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