番外編 忘れ得ぬ記憶たち・東日本マグニチュード9.0・その4
「よき伴侶だったのだな」
「ああ。望むべくは、生きて戻って来てほしかった」
矢沢はロッタに軽口を叩いた後、医務室の天井を仰ぎ見ながら、震災より前のことをしみじみと思い出す。美知子との出会いや晴斗の出産、そして成長。一緒にいた時間こそ普通の夫婦ほど長くはなかったが、それでも過ごした時間は永遠の宝物なのだから。
「だが、我々が引き上げたのは決して死者ばかりではない。当然ながら、生存者も救助している」
「ふぇ、生存者さんもいらっしゃったんですか? 海の上で?」
信じられない、といった風で佳代子が聞き返す。
「ああ。13日にちょうかいが南下していた時だ。救援物資の配達はヘリに任せて、我々は生存者の捜索に当たるべきだと艦長の決断があったんだ。その時に初老の男性を救助した」
「11日発生だから、2日も漂流していたんですね、その人……」
「ああ。運がよかったのだろうな」
波照間はごくりとつばを飲み込んだ。2日も漂流するということがどういうことか、海上への着水や水路侵入に慣れているであろう波照間には想像がつくはずだ。
そう、彼は運がよかったのだろう。ほとんど荷物を持たずに漂流したにも関わらず、その時に発見されたということは。
*
『護衛隊司令部よりちょうかい、生存者の捜索に当たれ。搭載物資はヘリで送る流れとなった』
「了解。任務を生存者捜索に切り替える」
艦長は護衛隊群からの指示を受け取り、淀みなく返事をする。ちょうかいを始めとするこんごう型護衛艦にはヘリの運用設備は存在しないが、ヘリが着艦し燃料補給を受けるだけの設備は持っている。それを使い、ヘリで艦の物資を運ぶ流れとなったようだ。
矢沢も艦橋で舵を握り、瓦礫の中を慎重に進んでいる。海面に散らばっているのは木材や窓の破片だけではなく、家がそのまま浮いていることもあれば、港から流失した巨大な貨物コンテナが漂っていることもある。それらに艦をぶつければ、まず損傷は免れない。
「右転進20度、速度そのまま」
矢沢は逐一艦長に進路変更の報告を行う。本来ならば艦の進路変更は艦長しか権限を持たないが、向かうべき針路に影響を及ぼさない程度に障害物を回避するための進路変更は舵を持つ者の裁量で認められる。
何とか瓦礫が密集する海域を抜け、ある程度速度が出せるエリアに入った。矢沢は安堵しつつも、まだ気を抜かずに舵を握る。
そんな中、艦長が矢沢に声をかける。
「矢沢、他に家族はいるか?」
「母と義理の両親、息子が気仙沼にいます。電話で無事は確認できました」
「そうか。無理はしなくていいんだぞ」
「いえ、国民を守ることが我々の使命です。くよくよしていたって、美知子は戻ってきませんから」
矢沢はなるべく感情を表に出さないように話していた。妻のことは今でもショックで、直後は全く食事が喉を通らなかった。
だが、それではいけないと思ってもいた。任務中の自衛官は、国民のために尽くすのが使命だ。大事な家族を失ったのはショックだったが、それでも任務を続け、ひとりでも多くの国民を救い、自分のような思いをする人を増やさないように努力すべきだとも。
「それに、私は艦長を信じています。副長が命令を無視した時も、艦長はそれを許してくれました。妻は救えませんでしたが、我々の行動によって救える人はいるはずです。妻も許してくれるでしょう」
「……航海長、ありがとう」
「いえ。こちらこそ、気を遣って頂きありがとうございます」
矢沢は舵輪を細かく操作しつつ、艦長に礼を述べた。見張りの1人がティッシュをくれたが、それまで自分が涙を流していることに気づかなかった。
艦は瓦礫の中を進む。救うべき人がこの先にいるのだと信じて。
矢沢もそう信じたかった。諦めずに努力を続ければ、救える命があるかもしれない。そうでなくとも、美知子のように戻って来られる人がいるかもしれない。
すると、右舷ウイングの見張り員が声を張り上げた。
「2時方向に人影を確認! 生存者です!」
「本当か!?」
艦長ほか、艦橋に詰めている隊員たちが一斉に見張り員へ向き直る。副長はウイングに出て双眼鏡を覗くと、見張り員と同じように叫ぶ。
「艦長、屋根の上で旗を振っている人影があります! 助けに行きましょう!」
「よし、両舷停止! 内火艇降ろし方用意!」
「両舷停止! ようそろ!」
艦長の号令は、美知子を回収した時よりずっと力強いものだった。
生存者の発見。その報告は艦橋に間違いなく勇気を与えていた。
矢沢はすぐさま艦を止め、機関出力を完全に落とした。生存者がいたのだ、助けに行かない選択肢など在るはずがない。
ちょうかいが搭載する7m作業艇が海面に降ろされ、屋根にいる男性に接近する。男性は隊員たちの助けを借りて作業艇に乗り込み、そして艦へと迎え入れられた。
津波で流されたのだとすれば、丸2日は漂流していたことになる。体力の限界も近いはずだ。そのような状況で、よく耐えたものだと矢沢は涙をこぼして喜んでいた。
やはり、この仕事を続けてよかった。助かる命はそこにいたのだ。
副長は生存者の救助を確認するなり、船務科の通信員にヘリを呼ぶよう要請した。男性を病院へ運ばねばならないからだ。
その途中、艦長が副長と通信員の連絡に割り込む。
「木村、ヘリの搭乗員に遺体収容と人員輸送も頼んでくれないか。航海長を艦から降ろしたい」
「艦長……!?」
その決定は矢沢にとって信じられない話だった。思わず矢沢は艦長に詰め寄る。
「なぜですか。私は艦に残ります」
「遺体は既に3名分収容している。この辺りで病院に運んでおかないと、死体安置所がパンクする」
「しかし、私のためだけにヘリを使うわけには……」
「生存者と遺体を病院に運ぶついでだ。艦は何とかなる、お前は奥方を家まで送ってやれ。遺体の引き取り手がいるのであれば、それに越したことはない」
「ですが……」
「命令だ。民間人1名の遺体を気仙沼まで運べ」
「……承知、しました」
矢沢は艦長の言葉に従う他なかった。艦長は家族の元にいてやれと言っているのだ。
ならば、やることは1つしかない。舵を航海士に譲り、矢沢は艦橋を辞した。その際、艦長に頭を下げるのを忘れずに。
*
救助された男性は福島の病院に運ばれ、同時にヘリへ乗せていた遺体も1体分を除いて降ろされた。その後、ヘリは美知子の遺体と矢沢を乗せて気仙沼の九条小学校へと向かった。
小学校に着陸したヘリから棺が運び出された。矢沢はそれを持ち、ヘリを後にする。
事前に電話した通り、そこには晴斗や母、そして義理の両親もいた。矢沢を見つけるなり、総出で傍まで駆け寄ってくる。
「父さん!」
「晴斗! ああ、よかった……」
ヘリのローターが吹き降ろす風と瓦礫の山の中、背が低いツンツン頭の少年を見た時には、矢沢の我慢も限界に達した。晴斗に駆け寄り、思い切り抱きしめる。
「すまない、母さんを守れなかった……」
「ううん、父さんは悪くないよ! だって、父さんは任務だったから……」
晴斗は涙で濡れた分厚いメガネを父の胸に押し当て、声を押し殺すように泣いていた。ただひたすらに、もう放さないと言わんばかりに。
晴斗の頭の向こうから、母の辛そうな顔も見えていた。80代にもなる母は矢沢に目を合わせると、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ケイちゃん、ごめん……買い物、あたしたちだけで行ってたんだ。でも、みっちゃんはケイちゃんに何かお土産を買いに行くって言ってたから、あたしと晴斗だけで先に戻って……」
「もういい、母さん。もういいんだ」
矢沢は許しを請う母を諫める。これ以上は何を言ってもしょうがないのだから。
義理の両親は棺の覗き窓を開け、確かに美知子であることを確認した。そして、矢沢に向き直り、それぞれ涙を浮かべながら頭を下げる。
「ありがとう、美知子を見つけてくれて」
「あんたと結婚できて、美知子も幸せだったと思う」
「いえ、美知子の方から私に会いに来てくれたんです。幸せなのは私です」
その後、美知子の遺体は荼毘に付された。遺体を早くに発見できたので、火葬の順番を待たずに済んだのが幸いした。
矢沢は数日を家族と共に過ごしながら、小学校に設営された避難所の運営を手伝うこととなった。自衛隊員として、できることをしようと胸に刻みながら。
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