236話 曖昧な目標

「エルおじさん、話を聞いて!」

「……そこまで言うのなら、わかった」


 ラナーの真剣な眼差しを見た大神官エルヴァヘテプは、矢沢らに近づくのをやめた。どうやら、ラナーが出てきたことで話し合う気になったらしい。


「ネモさん、あたしも役に立てた?」

「ああ、十分すぎるほどにな」

「度胸あるじゃないの、あの子」


 矢沢は力強く頷き、銀も笑みを漏らす。ラナーの行動は、互いの衝突を回避した、紛れもなく英雄的な行動だった。


 あのように強い勇気をもって他人の間に割って入ることなど、普通にできることではない。ラナーは真に両者の仲裁を願っているのだ。


「じゃ、ちゃんと話し合ってよね」

「わかっている。君の芯の強さには驚かされた」

「どっちも大事な人だから。それ以外に何か理由ある?」


 当のラナーはさも当然のように聞いてくる。それがラナーの本当の気持ちなのだろう。


 ならば、彼女の思いを無駄にしないためにも、ここでエルヴァヘテプと話をつける必要がある。矢沢はラナーの隣に立ち、再びエルヴァヘテプと向き合う。


「ここまでされては、もはや従うしかない。そちらはどうする?」

「俺とて同じだ」


 エルヴァヘテプは諦めたかのように目を閉じて微笑んだ。


  *


 矢沢らと大神官は日差しを避け、岩陰に移動して臨時の会談を持つことになった。


 話し合うべきことは1つ、互いの利害関係の確認だけだ。それ以上のことはこの後で話をすることになる。


 矢沢は砂漠の暑さでカラカラに乾いた喉を水筒の水で潤し、落ち着いたところで口を開く。


「我々はこの国に売られた邦人を取り返しに来ている。既に理解しているだろうが、この国と矛を交える気は一切ない」

「承知している。俺たちの目的は、この星に生きる全ての存在との調和にある。この目的の達成のためには、どうしてもお主らの助けが必要となろう」

「そのことに関してだが、もう少し詳しい意見がほしい。その調和とは一体何なのか、具体的な青写真を確認しないことには拒否するしかない」

「青写真、か」


 エルヴァヘテプは腕を組み、ため息をついてラナーをちらりと見やる。何も浮かんでいないのか、それとも言い難いことなのか、はたまた言葉で言い表す段階まで来ていないのか、それはわからない。


 大神官は少しばかり逡巡すると、先ほどと同じように巻物を取り出して広げてみせた。


「この『セーランの升天』を見てほしい。我々ネイト教の信者たちからすれば、セーランは異教の神、つまり悪魔だ。この巻物も写本に過ぎない。この時代はセーランの力が世界中に浸透していたが、アモイに住むエルフたちの祖先は、神の死を抑圧からの解放、種族の解放と呼んだ。なぜだかわかるか」

「ふむ……いや、まったく想像もつかない」


 大神官が出した問いに、矢沢はかぶりを振るしかなかった。まだこの世界についての情報は乏しく、この世界の歴史は特にノータッチに近い。


 そこに、アメリアが得意げに口を挟んだ。


「人族はですね、元々この世界にはいなかった種族なんですよね。人族がこの世界にやって来るまでは、エルフが万物の霊長だったと聞いてます」

「動物性愛のお嬢さんの言う通り。人族は1万3000年前にオースから来訪したと言われている。いわば外来種というわけだな」

「わざわざ言わなくていいじゃないですか……」


 今言わなくてもいい性癖をカミングアウトされたアメリアは赤面しつつ抗議する。エルヴァヘテプは完全に無視を決め込んだが。


「エルフはこの星、つまりレガロの地に古くから根付いている種族で一番進んだ文明を持っている。エルフ以外の妖精種族は、文明を築いていても村単位での極めて小規模かつ原始的な集まりが多く、ダイモンもセーランが現れる500年前までは大人しい種族だったと聞いている。国を造る能力を持っていたのはエルフだけだった。それだけに、人族が入植してレガロの支配者となってからは、人族よりエルフが優れているという思想がどんどん根付いていったのだ。人族との競争で生き残るための方便だな」

「同じ知的生命同士の競争か……」


 矢沢はこの世界の特異性を改めて認識することとなった。地球は現生人類が唯一の知的生命として君臨しているが、この世界は異種族が多数存在する。世界のように『全て人類』として協調することが地球より難しく、競争も発生しやすいのだろう。


 主要国で結ばれている、外国による奴隷の奪還を禁じた不可侵条約の概要やアモイの状況を見ればわかるが、別種族への差別は地球の人種差別より根強く、そして競争が発生しやすい環境であることを如実に表している。


「しかし、俺はエルフが万物の霊長などとは思っていない。セーランが現れたのは、ダイモンを倒すためだけではなく、この世界に新たな恵みをもたらすためではないかとな。全ての種族の調和とは、誰もが豊かに暮らせる社会の実現だ。戦争を廃し、世界を一つにすれば、神などおらずともよいのだから」


 エルヴァヘテプは静かに、そして真っ直ぐに矢沢の目をじっと見つめながら淡々と述べた。


 彼が言う世界の調和とは、要するに平和で平等な社会のことだ。典型的な理想論だが、まだ抽象的に過ぎる。


 だが、これ以上追及しても彼からは何も引き出せないだろう。ジンではなく矢沢ら自衛隊に協力を依頼することから何か裏はあるのだろうが、それを聞き出すには時期尚早だ。


 彼の話はここまでとするしかない。矢沢はポーカーフェイスを貫きながらも、内心では苛立ちにも似た焦燥感を抱えていた。

 なぜ矢沢に脅しをかけたのか、船を攻撃したのか。聞きたいことは山ほどあるのだ。

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