番外編 異世界の法律

 あおばの全艦チェックが終了し、艦は通常の配置につく。


 だが、今は日本の領海ではなく、ほぼ未知数な世界である異世界にいるのだ。いつなんときだろうと、敵の襲撃には備えなくてはならない。


 そのため、あおばは必要に応じて戦闘配置や2直に切り替えるなどで人員をどうにか回しつつ、頻繁にアクアマリン・プリンセスで休養を取らせている。


 ただし、それでも幹部自衛官の負担は極めて大きい。艦長である矢沢は艦長としての業務以外にも、臨時の司令業務や邦人奪還作戦の作戦立案や指揮、アクアマリン・プリンセス乗客のケア支援などを行っている。


 そちらの業務は副長や他の幹部と持ち回りで行ってはいるものの、そもそも艦長の業務は多岐に渡るせいで、休む暇がほとんどない。


 今も整理すべき書類が山ほどあるものの、2日前から一睡もできておらず、頭がうまく働かない。眠気覚ましにと士官室で普段は飲まないブラックコーヒーを嗜み、少しの間体を休める。


「お疲れ様です」

「ああ、ご苦労」


 そこに、今日の業務時間を終えた鈴音が入室し、矢沢に敬礼してからドリンクサーバーからコーラを注いだ。隊員の英気を養うためにアクアマリン・プリンセスから移設したものだが、最近はアメリアや瀬里奈も頻繁に利用しているものだ。


 彼女たちは今も同じ士官室にいるが、部屋の隅で佳代子や佐藤から借りたゲーム機で遊んでいる。埃を被せておくよりマシだと、瀬里奈や邦人の子供たちに貸し与えているらしい。


 鈴音は彼女らを一瞥するが、話しかけることなく矢沢の隣に着席。その際、一言「失礼します」と言うのを忘れなかった。


「最近は航海もほとんどなくて、科の連中も暇してます」

「暇なのはいいことだ。君もこういう時にしっかり休養するといい」

「艦長や副長が死ぬほど頑張ってるってのに、俺だけ休むなんてできませんや」


 はは、と謙遜気味に笑う鈴音。幹部でも気さくな物言いからムードメーカー的な存在になっているが、どうやらジョークは下手糞らしい。


「どうせ3年後には隊から消える身だ。気にせず骨までしゃぶり尽くしてもいい」

「そこまで言うなら、もう少し頼りにさせてもらいますよ」


 矢沢は3年後に定年退職が控えていることを皮肉ると、さすがに折れたのか朗らかな笑みを見せた。


 疲れている時でも、こうやってコミュニケーションを取ることは大切だ。日本が時空の彼方に消え、我々だけでどうにかするしかないこの状況を乗り切るには、心にゆとりを持たなければならない。マージンが全て潰れてしまえば、簡単に人の心は折れる。


「あうあうあう……どうしましょ……どうしましょ!」


 その考えを代弁するかのように、騒がしい人物が慌ただしく士官室に乱入してくる。何かの書籍を持っているようで、目をぐるぐる回しながら矢沢と鈴音の前に本を叩きつける。


「か、かんちょー! 鈴音くん! これ見てくださいよう!!」

「何だ一体、静かにしてくれ」


 せっかくの休憩を邪魔したのは、言うまでもなく佳代子だった。今度の問題は何かと呆れながら佳代子と本を交互に見る。


「ん? 自衛隊法?」

「は、はいっ! わたしたち、政治的目的で色々やっちゃってるんですけど、これって日本に帰ったら処罰されちゃいますよね……?」

「ああ、そのことか」


 矢沢は提示された自衛隊法の条文を眺めながら微笑んだ。鈴音も特段気にしている様子はなく、ただ佳代子の慌てようを眺めてクスクス笑っている。


「自衛隊法には触れていない。フランドル騎士団との協力関係のことであれば、日本とは利害関係が一切ない武力団体だ。ダリア王国に関しても、邦人保護のための協力関係であって、政治的活動ではない」

「あ、そっか……あっでも、武器使用だってやばいじゃないですか! だって、他の国の領土に手を出しているんですよ!」


 佳代子はさらに別のページを提示する。矢沢が命令している行動は越権行為ではないかと佳代子は言っているのだ。


 しかし、矢沢はそれでも冷静なままだ。


「思い出してほしい。我々はあの海竜と戦う直前に国会事後承諾で海上警備行動の命令を受け取っている。この異世界は別の惑星であることが確定していて、日本が批准する宇宙条約では誰も天体を領有できず、なおかつ地球外の天体では陸地においても海事法が適用される。つまり、この異世界であればどこだろうと公海扱いだ。そして、自衛以外にも必要と認めた場合は、現状の最高指揮官たる私の命令で必要と認める武器使用が可能だ。パラメトル基地への奇襲攻撃も、我々への攻撃があると敵政府の所属であるライザやベルリオーズが予告している。つまり、攻撃は明らかだった。公海上に存在する、あおばへの明らかな脅威の排除は当然と言える」

「うう、屁理屈ばっかりじゃないですかぁ……」

「心配しなくてもいい。宇宙条約の系外惑星汚染や宇宙人との敵対もやむを得ない事象だ。法を犯していない我々は厳重注意で済む」

「そうだといいんですけど……」


 矢沢は心配そうにしている佳代子を慰めるが、それでも収まる気配はなかった。


「大丈夫、ですかね……」

「何らかの形で責任が及ぶことになれば、私が責任を負って辞職するだけだ。どうせ3年だ、心配することはない」

「副長、ここは艦長の好意に甘えましょうや」

「そ、そうですね! かんちょー、わたしのために辞職してください!」

「なぜそうなる……」


 佳代子の飛躍した話について行けず呆れる矢沢だったが、側では鈴音がゲラゲラと大笑いするだけだった。

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