224話 振動する世界

「……気づいたかい」

「…………」


 リアが確認を取ると、紫髪の少女は小さく首肯した。


 アルトリンデの霊峰に建つ粗末なロッジ。ジンたちの最重要拠点であり、この世に現存する神器のうち2つが存在している場所でもある。


 リアは休憩と調査状況の報告を兼ねてここに滞在しており、このロッジの所有者である、少女の姿をした主に調査報告を行っていたところだった。


 その矢先だった。象限儀が起こす『暴発』の魔力を感知したのは。


「誰かがまた象限儀を暴発させたんだ」

「そうらしい。時間はなさそう」


 リアは窓の外を眺めながら悔しげに言うが、少女は危機感を口にするものの、飄々とした態度は全くもって平静そのものだった。話し方も普段通りの抑揚がなく平坦なそれだ。


 騒いでも始まらない。少女は冷静に考えているものの、実際に時間がないのも事実。どこかに消えた象限儀を早急に探し出さねば、何が起こるかわかったものではない。


 少女は深いお椀型の湯飲みから茶をすすると、リアに深い紫の瞳を向けた。


「リア、あの船が来たのは、半年と少し前だったはず」

「うん。艦長さんたちもそう言ってたよ」

「その時は何の魔力も感知しなかった。6000年前の実験は覚えてるの」

「ああー、神器の能力試験だね。人間たちに渡すときにやった」

「そう。それで、象限儀の魔力を感知した時と、感知できなかった時があったはず」

「うん。それって……!」


 リアは少女の意図に気づいたのか、怪訝な顔を崩して驚愕の色を浮かべる。


 ようやくか、と少女は半ば呆れていたが、それをグチグチとなじるのは彼女の趣味ではなかった。


「そう。象限儀の能力を使いこなす能力者が、適切に能力を扱った結果。魔力は使用者の周りだけ循環して、拡散はしなかった」

「だとしたら、あの船はただ迷い込んだんじゃなくて、誰かがこの世界に呼び込んだってこと? それも意図的に」

「考えられる可能性は、それしかない」


 少女は何の遠慮もなく、ハッキリとそう言い切った。


 護衛艦あおばとアクアマリン・プリンセスは、意図的にこの世界へ連れて来られたのだ。


「だとしたら、どんな目的で……」

「それを調べるより、象限儀のありかを探す方が先」

「うん、そうだね」


 少女がそう言うと、リアも否定することなく頷いた。


 こうやって議論をしていても仕方ない。まずは象限儀を探し当て、それを持っているであろうダイモンから象限儀の力を奪い取ることが先決だからだ。


「リア、今すぐ飛んでほしいところがある」

「どこだい? あおばなら場所はわかってるから、すぐに行けるけど」

「そこは後でいい。艦長不在だと言っていたのはあなた」

「……じゃあ、艦長さんのところかい?」

「そっちも後でいい。ラルドにバベルの宝珠の流通路を洗わせてほしい」

「バベルの宝珠? わかったけど……」


 リアは困惑しながらも、出発する準備を整え始める。特に面倒な説明はさせても、命令をすれば従ってくれるからリアは便利で助かる。


 ジンの正装である短めのスカートタイプのローブと折れた三角帽子を着込んだリアは、やはり少女のそれにしか見えなかった。


 そして、リアはいつもの通りに赤面しながら少女に抗議を送る。


「……ねえ、いい加減この服イヤなんだけど。男物は作ってくれないのかい?」

「何千年言い続けるつもりなの。それは私たちの正装」

「わかったよ、トホホ……」


 一切の容赦もなく突っぱねた少女。リアは心底嫌な顔をしながら、少数の荷物だけを抱えてロッジを後にするのだった。


  *


 ラナーは見知らぬ場所にいた。


 真っ暗な空の色からして夜ではあるけど、星の姿は全く見えない。


 その代わり、地上は溢れんばかりの光で満ち満ちていた。巨大な窓が無数に張り付いた直線的な灰色の建物が建ち並ぶそこは、この星のどこの景色とも違っていた。


 馬がいない馬車にも似た、それでいてシンプルかつ無骨なデザインで、光沢のある色で塗装された車両が黒く舗装された道路を走り抜けていく。


 ダーリャより遥かに明るく、そして活気に満ちた大都会。


 ──ここは一体どこなのだろう。


 誰かに呼び掛けても、誰も返事を返してはくれない。その辺の通行人たちはラナーのことなど意に介さず、道路の脇を通り抜けていくばかりだった。


 全く見知らぬ世界。何もかもが異質な世界。


 とても不安だった。右も左もわからず、ただこの世界の異質さに打ちのめされ、何もわからないという恐怖を感じ、座り込むことしかできなかった。


 ──誰か助けて。あたしを助けて!


 いるかどうかも分からない味方に助けを求めて顔を上げると、道路を挟むように建ち並ぶ建物の間、道路の向こう側に何かが見えた。


 血の色でもなく、果実の色でもない、鮮烈な赤を迸らせる骨組みの塔が、ラナーの目線の先にそびえていた。


  *


「わああああっ!?」


 ベッドから飛び起き、荒い息をつく。


 気づくと、自分の部屋であることがわかった。水時計の目覚ましはまだ機能しておらず、少し早めに起床したことを否応なしに教えてくれる。


「はは、夢か……そうだよね」


 ラナーは自分に何度も言い聞かせ、布団を捲ってベッドを後にした。

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