番外編 同盟のジレンマ・その1

 ベルリオーズとの最初の会談を2日後に控えているせいで、矢沢は今の今まで書類整理に追われていた。普段の経理業務やチェックリストの確認、航海日誌の書き込みだけでなく、ベルリオーズへの質問リストにラフィーネやサウスヤンクトンへの偵察計画草案、フランドル騎士団の各地方団長への親書など、処理すべきものは極めて多い。


 だが、それも今日の分はほとんど片付いている。航海日誌や艦内チェックリストは当日に書くものだが、その他は早めに終わらせておけば、その分は休養に回せる。


「ふぅ……異世界に来ても、書類の山からは逃げられないか」


 矢沢は艦長室のソファに寝転がりながらぼやく。2日以上も徹夜したせいで体は重く、もはやベッドまで行く気力さえ失っていた。


 そこに、ドンドンドン、とドアを乱暴に叩く音が響く。勝手に入って来る瀬里奈でもなければ、丁寧にノックをするアメリアやフロランスでもないので、その正体はほとんどロッタに絞られる。それでも形式上名前は聞くが。


「誰だ」

「我だ」

「日本では見えない相手に一人称をぼかして詐欺を働く者たちがいる。名前を言ってくれ」

「全く……シャルロット・ノルマンディーと言えばわかるか」

「シャルロットだと……?」


 眠気と戦いながらも、矢沢はどこかで聞き覚えのある名前に首を傾げていた。


 声は確かにロッタだが、ドアの向こうの人物はシャルロットと名乗っている。そのような人物はいたかとしばらく考えを巡らせていたが、ドアの向こうの『シャルロット』はさらに乱暴にドアを叩く。


「おい、さっさと開けろ!」

「すまない。入ってくれ」


 時間をかけすぎたせいで相手を怒らせてしまったようで、矢沢は慌てて起き上がりつつも入って来るように促した。声の主は足でドアを蹴破り、怒りと侮蔑を込めた顔を矢沢に向けてくる。


「どれだけ待たせれば済むのだ」

「ああ、ロッタか……」


 矢沢は眠気を堪えていたはずだが、それでも無意識に気を抜いてしまっていた。つい思っていたことを口に出してしまう。

 もちろん、ロッタと呼ばれた少女は怒りを隠さない。


「何度言えばわかる、ロッタと呼ぶな!」

「んぐおおおぉぉぉぉ!?」


 完全に油断していた矢沢の股間に、ロッタの鉄靴が直撃。皮下脂肪や筋肉で保護されていない『内臓』に鋼鉄の防具が直撃する痛みは、幾つもの死線を潜り抜けた大の男でさえ床の上で悶えさせた。


「ヤザワさん!?」

「あらあら、お盛んなことね」

「ふん、目は覚めたか」


 痛みに悶えていた矢沢の耳に、聞き慣れた2人の少女の声が届く。ロッタと共にやって来たアメリアとフロランスだ。よりにもよって少女たちにこのような醜態を見せることになってしまった矢沢には、痛みと共に恥辱という精神ダメージも与えられたのだった。


  *


「ところで、どういう用事で艦長室に来たんだね」


 痛みが引いて落ち着いた矢沢は、改めてソファに腰かけてロッタとフロランスに相対する。アメリアは暇つぶしとして矢沢に会いに来ただけだったらしいが、ついでに話を聞いていくことになったのだ。


 フロランスは前のめりになってテーブルに肘をつき、手に顎を乗せて矢沢に上目遣いをする。略式法衣から覗く、大きすぎず小さくもない美麗な胸の谷間に目が行くが、矢沢はすぐに目を離し、フロランスの瞳に焦点を合わせ直した。


「わたしたちにとって、あなたたちの船は重要な拠点で、鉄壁を誇る要塞なの。それが沈められちゃたまらないでしょ? だから、あなたたちが下劣な貴族との接待に勤しんでいる間に、わたしたちが敵の拠点を見つけておこうと思って」

「そういうことか。是非とも頼みたいところだ」

「じゃ、計画書を後で副長さんに渡しておくわね」

「了解した」


 矢沢が頷くと、フロランスは子供のように無邪気な笑みを見せる。それと同時に胸を強調しておくのも忘れなかった。

 明らかに何かを誘っている。このように媚を売ってくる時のフロランスは特に警戒する必要があった。


 だが、それを許さない者もいた。アメリアはフロランスよりずっと大きな、まるで上等な果実のように実る胸を揺らしつつ、フロランスを睨みつけて威嚇する。


「ちょっと、ヤザワさんを篭絡するのはやめてください! 何をする気ですか?」

「ちょっとアピールしたかっただけよ。わたしたちの存在意義をね」


 ふふ、とフロランスは含みのある笑みを見せるのだった。先ほどの無垢な少女そのものの笑顔とは程遠い、毒牙を隠し持った悪女のそれだ。


「ふん、セックスアピールで調略など実力のない者がする卑怯で下劣な手段だ。我は認めんぞ」

「ロッタちゃんのロリロリしいところも武器として使えるのにねぇ……」


 ソファに深く座り込み、腕を組んで不満を表すロッタだったが、フロランスを説き伏せることは全くできそうもない。それどころか、ロッタいじりに利用されるハメになっていた。


 ロッタの直情的なところと、フロランスの計算高さは組み合わせれば強い武器になる。それ故に、2人の子供らしさが残念でもある。


「君たちは漫才をしに来たのではあるまい」

「ええ、同盟関係を結ぶ大切なお得意様にお話を通しに来ただけよ」

「その相手を胸で調略しようとしたくせに……」


 フロランスはシラを切るつもりか笑うだけだったが、アメリアは侮蔑の目を向けていた。性的アピールは女性との相性が悪いらしい。

 だが、矢沢はアメリアに諭すように言う。


「確かに同盟というのは重要なものだ。とはいえ、その間には駆け引きも生まれる。組織が完全に1つではない以上、立場も当然ながら変わることもある。その中でも互いに協力し、両者が望む結末を追求するため行動するのが同盟だ。調略の1つも必要な時はある」

「けど……」

「ふふ、艦長さんは現実主義者ね」


 フロランスは矢沢にウインクするが、その時にわざと頭と体を揺らし、胸を強調するのを忘れはしなかった。


 矢沢が呆れていると、続けてフロランスはアメリアに目を向ける。


「ねえ、同盟のジレンマって知ってるかしら?」

「同盟のジレンマ……ですか」

「ええ。同盟って面白くて役に立つものだけど、厄介ごともあるものなのよ」


 さすがにアメリア相手には胸を強調はしなかったが、矢沢の目はどれだけ意識して逸らそうとしても、アメリアやフロランスの胸に目を向けてしまっていた。

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