213話 ネモ

 ダーリャの繁華街はいつも賑わっているけど、今日は特に人出が多い。

 それもそのはず、今日は王位継承権1位のジャマル王子の誕生日。次の王様の誕生日で、出ている人たちは誰もがお祭り気分で歩いている。


 確かに血縁上はあたしのお兄ちゃんでもあるけど、歳もだいぶ離れてるし、お母さんも違う。ただの遊びで妾になった平民出身のお母さんとは違って、ジャマル王子はパパの妹である正室の第一子。血筋は申し分ないし、何より天使とも言われる美貌と人当たりのいい性格で国民からの人気は絶大。


 同じ王族でありながら事実上身分違いのあたしのことも気にかけてくれるし、奴隷の扱いもひどくないから、あたしもジャマル王子のことは好き。女たらしではあるけど。


 あたしも昼に開催される誕生日に出る予定ではあったけど、急に訓練の予定が入ったからキャンセルになった。今は外国の要人との会談でかかりっきりだろうし、プレゼントは後で渡すからいいとして、あたしの方はマウアに勝った自分へのご褒美として朝まで飲み明かしたかった。


 通りは確かに人でごった返してはいたけど、行きつけのお店の周りは普段通りだった。ということは、もしかすると空いているかもしれない。そんな希望を胸に抱え、店のくぐり戸を抜ける。


「へい、らっしゃい」


 店主の親父さんはいつも通りそっけなく声をかけてくれる。それに対して、店内は人の声で溢れていた。いつもなら人の入りは半分程度なのに。


 漆喰の壁と木製の梁、テーブルやイス、カウンターも人族の国シュミードから集めたらしい高級でシックなものを揃えている。お酒の種類が豊富なバーではあるけど、食事も多く出すことから居酒屋に近い。


 人で埋まったカウンターの間から顔を出し、親父さんに声をかけてみる。すっかり頭が禿げ上がった、背の低い老年の親父さんは洗い物をしながらこっちに目をやった。


「親父さん、どこか空いてない?」

「満員だ」


 やや食い気味で親父さんが応える。全くもって容赦がなかった。

 でも、今日は何としてもお酒を飲みたい。


「えーっ! ねえお願い、立ってもいいから飲みたいの」

「はぁ……わーった、人族との相席でもいいか?」

「いいの!?」

「そいつがいいって言ってくれるならな。安心しろ、奴隷じゃねえ」

「そんなこと気にしないって。どこ?」

「じゃあ、あっちだ」


 どうやら相席なら空いているようで、あたしは喜んで頷いた。すると、親父さんは店の端にある2人席のテーブルに親指を向ける。


 席には少し古めに見える鼠色のローブを被った壮年の男性がいる。服装は貧民のそれに見えるけど、髪型は七三分になっていて、きちんと整えられているのがわかる。ローブの下に見える服もカーキ色の田舎風な感じだけど、貧民が手作りするような貧相なものには見えなかった。顔つきこそ温厚そうではあるけど、無表情でエールを手にしながら黙々とジャーキーをかじっている。


 正直に言うと、少し不気味ではある。旅人だからというのもあるけど、見てくれだけ貧相で実はいい服を着ている単独の人族、っていう見た目からして怪しい。


 とはいえ、お酒は飲みたい。少し気後れはしたけど、それでも久々の休みでお酒を飲む理由もできたんだから。それに、誰かに自慢もしたかったし。


 恐る恐るおじさんの席に移動して、手が届かない程度の距離を保ちながらおじさんに話しかけてみる。


「えっと、その……相席したいんだけど、いいかな?」

「ああ、私は構わない」


 おじさんはあたしの目を見つめると、少し皺のある口元を緩めた。最初の印象は怪しい人という感じだけど、一言話してみればそうでもないのかなとも思ってしまう。

 それに、相席もオーケーしてくれた。女の子だから当然といえば当然なのかな。


「やった、ありがと! 注文とってくるから、空けててね!」


 最初は少し怖かったけど、なかなかに親切なおじさんだった。胸のモヤモヤが晴れるようなすっきりした気分になって、自然と肩も軽くなった気がする。

 早速、親父さんの前に戻って注文をつける。


「大丈夫だって! えーっと、とりあえずスクリュードライバーとお浸しね!」

「ったく……少し待ってな」


 親父さんはどう見ても呆れていたけど、料理を作る手つきは抜かりない。愛想は悪いけど、話は聞いてくれるし話も面白いし、料理も美味しいから好き。


 注文は終えたから、おじさんがいる席に戻って着席。先に食べているおじさんを前に、お酒と料理が来るのを待つことにする。


 それから少しは沈黙が続いたけど、おじさんがエールの大ジョッキを空にしたところで話しかけてくる。


「マスターに気に入られているようだね。常連かい?」

「え、ええ、そうなんです。行きつけのお店で」

「行きつけのお店か、羨ましい限りだ。私にもそういう店はあったが、どれも潰れてしまってね、仕事柄、飲酒も満足にできないもので」

「へえ、旅の人かと思ったら、ちゃんと仕事はあるのね。どんな仕事?」

「船乗りだ。うちの船は禁酒でね」

「船乗りにしてはいい服だけど、もしかして偉い人?」

「この服はお下がりだ。確かに身分の高い者に貰いはしたが」


 ある程度素直に答えてはくれるけど、最後の質問だけはぐらかされた。図星かもしれない。

 ただ、終始笑顔は崩さない。ちゃんとお喋りを楽しんでいる感じで、そう悪い人でもないのかなと思わせてくれる。


「そういう君は戦士のような服を着ているが、軍人か何かなのかい?」

「あ、そうそう! こう見えても、アモイ国防軍の士官なんだから!」


 あたしが軍人であることに気づいてくれたようで、少し嬉しくなった。この流れで今日のことを自慢できると思うと、お酒も飲んでいないのに心が舞い上がるような気分になる。


「君のような若い女の子が士官をしているのか。まだまだ駆け出しというところか」

「ま、まあ、そうだけど……でも、今日は何度戦っても勝てなかったお姉ちゃんに勝ったんだから! あたしが立てた作戦でね!」

「それはよかったな。その言い方だと、君の目標だったんだろう?」

「そう、マウアはあたしの目標だけど、いつかはマウアを超える強い戦士になって、この国を守りたいの!」

「いい目標だ。ここで知り合った縁だ、応援している」

「ふふ、ありがと!」


 見ず知らずのおじさんだけど、話を聞いてもらえるってすごく嬉しい。できるなら少しでも長くいたいと思って、名前を伝えることにする。


「あたしはラナー・キモンド。他の人からはルル・ラナーって呼ばれてるの! おじさんは?」

「私はネモと呼んでくれ」

「ネモ?」


 かなり変わった名前に、あたしは首を傾げる。少なくとも本名ではないのは確か。

 するとおじさんはニコリと笑う。


「私が好きな小説の登場人物だ。船乗りな上、境遇が私と重なるところも多くてね」

「ふうん……やっぱり本当の名前じゃないのね」

「人族は本名を名乗らない方がいいと、ここに来る前に忠告を受けたんだ。さもないと、鞭打ちになるとね」

「その人は勘違いをしてるのよ。奴隷は苗字を名乗ったらいけないのは本当だけど、自由民はそうじゃないし。それがどこかで間違って伝えられたのかも」

「ふむ、奴隷か……」


 やっぱり聞きたくない話だからか、おじさん、もといネモさんは目を伏せてしまう。


 奴隷の話になるとロクなことがない。大事なことは伝えたから、さっさと話題を変更したかった。


「そ、そうね、楽しい話でもしよっか」

「ああ、その方がいい」


 強引に話題を変えると、ネモさんはさっきと同じ笑みを見せてくれる。どことなく不思議な人ではあるけど、悪くない人ではないことは確かだった。

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