204話 個室の猥談

 サウスヤンクトンから西方約600㎞のダリア領内では、アセシオンによる新たな港湾施設の建設計画が進行中だったが、ダリアの独立により計画は立ち消え、代わりにフランドル騎士団が同施設を接収して邦人たちの一時居住を可能にした『邦人村』が建設されていた。


 ジンの1人、エリアガルド・ウィンジャーからの指示により邦人とダリア国民含む異世界人は最低限の接触を除いて隔離されているが、クローズドな環境故に地球とほとんど変わらないようなインフラの構築が可能となっている。

 支援要員や防衛隊含めおよそ4000名程度が暮らすことが前提とされたため、現在の規模は港湾施設を含めても600ヘクタール程度に収まる。


 アセシオンとの講和がまとまった段階から着工され、現在ではダリアの伝統技術で造られたコンクリート製の岸壁が2か所整備されている。それぞれ、あおばとアクアマリン・プリンセスの停泊用で、両船を着岸させるための作業艇も備える。


 奴隷化されていた邦人には建設技術者も含まれていて、ダリア側の労働者と合わせて彼らの尽力で港湾は整備され、あおばとアクアマリン・プリンセスは母港となるべき場所を手に入れた。彼らには感謝しても足りないほど世話になっている。


 現在、あおばとアクアマリン・プリンセスはその邦人村の岸壁に接岸し、一時期の休息を取っていた。あおばの乗組員も今回ばかりは全員上陸の令である両舷上陸を許可し、邦人村に建設された市場や風俗施設で羽を伸ばしている。


 そんな中、矢沢はとある人物と面会するため、オープンしたばかりのクラブに足を運んでいた。ワインレッドや金色の塗装が施された豪奢な店内はやや薄暗く、各所で隊員や邦人たちがダリアの女性たちと楽しげに言葉を交わしている。


 こういう風俗店に入ったのは何年振りだろうか。矢沢は若い頃に通い詰めた横須賀や呉のキャバクラを思い出しながら、面会相手が待つ奥の座敷へと足を運ぶ。


 扉を開け、中にいる少女に一礼すると、彼女は矢沢を鼻で笑った。


「よせ、我とお前の仲だ」

「そんな親密な間柄になった覚えはない」


 普段のコスプレ騎士姿のロッタはおどけて言うが、矢沢は事務的に切り捨てた。両舷上陸とはいえ、今の矢沢は仕事中であり、遊びに来ているわけではないからだ。


 それでも、ロッタはいいから掛けろ、と軽く言うのだった。現在のダリア王女を相手に不遜な態度を取るわけにもいかず、諦めてロッタの前に腰を落ち着けた。


「君に来てもらったのは言うまでもない。アモイ王国との交渉についてだ」

「お前もバカなことを考えるな。エルフとは翻訳で言葉は通じるが、言葉が通じない」

「すまない、言っている意味がわからない」

「そのままの意味に決まっている。奴らが発する言葉は一応意味を成し、それを我らが理解することはできるが、意思疎通は不可能ということだ」

「言葉が通じる以上は対話もできるだろう」

「甘いな。エルフは我々とは一切違う思考ロジックで動いている。奴らはセーランでさえ悪魔と見なし、人族に苛烈な暴行や強制労働を強いているんだ。それを人族の国やジンが散々やめろと言っているが、奴らは全く聞く耳を持たない」


 ロッタはそう吐き捨てると、パチパチと指を2度鳴らした。すぐに店員らしい長身の女性が現れ、ロッタと矢沢にメニューを伺う。


「我はその、たこわさとかいうのを頼む」

「酒なしでたこわさを注文するのか」

「酒に合わせるものなのか。では、芋焼酎とやらを──」

「邦人村では未成年の飲酒は禁止だ」

「……わかった」


 ロッタは不貞腐れながらメニューの続きを伝えると、店員はにっこりと可愛らしい笑みを浮かべ、部屋を辞した。


「話の続きだ。奴らは架空の神を崇めている。確か、ナントカといういけ好かない神だ。それが国教となっていて、その宗教では奴隷の利用がエルフの権利として認められている。人族の奴隷とは違って商売道具ではなく、奴らの文化の一部と化しているのだ。アセシオンのように経済改革を標榜するだけでは引き下がらんぞ」

「宗教絡みか。面倒だな……」


 事前情報で知ってはいたものの、矢沢は頭を抱えてしまっていた。


 日本ではその感覚が薄いが、宗教は人々の生活における規範の基盤を成している。それに対し楯突くということは、その文化圏からの大バッシングを食らうことも織り込んでおかねばならない。宗教観が経済発展に圧されていたアセシオンでは問題にならなかったが、アモイではそうもいかないようだ。


 5年近く前にアフガニスタンを占領したタリバンという勢力はイスラム教スンニ派の原理主義者たちだが、他のイスラム教徒は至って善良な市民であり、彼らの横暴の被害者でもある。


 しかし、奴隷が広く認められ文化としてみなされているとなると、奴隷に肯定的な者が多いということだ。タリバンのように大手を振って攻撃などできようはずもなく、一手を間違えればアモイ全体を敵に回してしまう。


 だが、幸いにも現在のあおばにはダリアという味方国家が存在する。彼らにも守るべき国というものがある故に以前ほどの支援は期待できないが、それでも後ろ盾がある安心感は計り知れない。


「わかった。それと、システィーナとフロランスの様子はどうだ。最後にそちらだけ聞いておきたい」

「システィーナは問題ない。新しい巫女としてよくやっている。フロランスも変わりないぞ。お前たちに就かせる補給担当も選定を急いでいるところだ」

「感謝する。知っての通り、軽油や交換部品は替えが効かないからな」

「それをお前たちは鎧の力なしでやりくりしていたのだろう? 苦労を察する」


 ロッタは深く吸い込まれるような妖艶な笑みを見せた。幼い子供のような外見で、実年齢も高校生程度の彼女だが、王女としての風格は身についてきているようだ。


 矢沢が注文した軽食を食べ終えると、ロッタはタイミングを見計らったかのように再度口を開く。


「我々としても救国の大恩に報いたいとは思っているが、相手が相手だ。あまり有効な支援は期待できない。それだけは頭に入れておけ」

「わかっている。そちらもアセシオンの防衛やらで大変な時期だろう」

「それだけではない。他の小国群の動きも怪しいのでな、そちらの対応にも追われている」

「何かあったら遠慮なく言ってくれ。この事態を乗り切るには、どうしても君たちの力がいる」

「それは我らとて同じだ。ダリアには温泉がなくてな、あの船の風呂を借りたい時も出てくるだろう」


 ロッタがクスクスと笑うと、矢沢もそれにつられて笑みを浮かべる。確かに以前には対立していた時もあったが、こうして冗談を言えるまでに関係を修復し、信頼関係を構築できたことは矢沢個人にしてみても嬉しいことだった。


 どこの世界でも、人との繋がりは重要だ。それをエルフの国でも証明できればいいと矢沢はぼんやり考えていたが、ヤニングスやロッタ、アメリアなど対立していた者たちが口を揃えて悪態をつくほどにエルフは邪悪な存在なのかと、一抹の不安を覚えてもいた。


 それを振り払うため、矢沢は退席際にロッタへ向き直り、一つ冗談を言う。


「ここはクラブだ。店員が来ないということは、君が接待をしてくれるのだと思っていたのだがね」

「一国の女王相手に夜伽を要求するのか?」

「慰めてもらうどころか潰されそうで怖いな。よしておこう」

「賢明な判断だ。達者でな」


 ロッタは不満げに、そして口元を緩めながら矢沢を見送った。

 矢沢も最後に、この店は性的接待はしないのだが、と冷や水を浴びせておくのを忘れはしなかったが。

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