番外編 記憶の底から・覚束ない足取りで・その2

「出動命令が出てない? どういうことですか」

「兵庫県知事からの出動要請が来ていないようで、出たくても出られないんです」


 掌帆長の困りきった説明に、矢沢は歯噛みする。


 矢沢と雪城は護衛艦まつゆきに乗艦を果たしたものの、思わぬところで足止めを食らってしまっていた。

 艦内の一角に流れているラジオでは既に消防や警察が動いているという報告があるが、自衛隊には派遣要請が出ていないのだ。


「クソッ! 神戸の市民はオレたちを待ってるんだぞ!」


 雪城は大声で叫びながら通路の壁を力の限り殴ったが、それで気が晴れるわけでもない。さすがに痛かったようで直後には手を押さえていた。


 矢沢はそんな雪城を後目に、自衛隊の派遣が遅れている理由を冷静に分析していた。


 非公式ではあるが、兵庫南部や淡路島は震度6が記録されているという。それほどの激しい地震に見舞われているのなら、電話線や電話ボックス、携帯電話の基地局も破壊されている可能性が高い。情報を防衛庁に伝える能力がなければ、出動要請もできないのだろうと踏んでいた。


 大阪は震度4だと言っていたが、神戸から近い故に実際には震度6近くはあるだろう。しかし、大阪は自衛隊に頼らない災害対策を目指していると以前テレビで見たことがある。神戸も自衛隊嫌いなようで、入港も年に4回しか認められていない。自治体自体がそもそも派遣要請を嫌がっている可能性さえあった。


 自衛隊は信用されていない。それはしょうがないことなのか?


 矢沢がため息をつきながら茫然と突っ立っていると、不意に艦内放送のスピーカーから報告が上がってくる。


『護衛艦ゆら、とかちが出航。我が艦も準備ができ次第出航する』


 副長の声だった。出動要請は出ていないにも関わらず、一部の護衛艦は既に出港しているのだ。

 おそらく訓練名目での出港だろう。派遣要請が出てから出ていたのでは遅すぎる。


 それから数分と経たず、まつゆきも呉基地を後にした。救助すべき市民が待つ神戸港へと。


  *


「何だって!?」

「海自が、陸自の指揮を受けるってのかよ……」


 18日早朝、作業艇で陸に上がった矢沢や雪城の他、まつゆきの乗員30名含む海自隊員260名は度肝を抜かれていた。


 災害派遣要請は出たが、海上自衛隊には陸地で活動を行うノウハウがない。そこで、呉地方総監が海自を陸自の部隊に一時編入すると六本木の海上幕僚幹部に啖呵を切ったようで、それが当の本人たちである矢沢らにも伝わったのだ。


「現場判断でそんなことできるのか……」

「できるわけがない。そんなの認めちまえば、一歩間違えばクーデターだって起こせるだろうよ」


 矢沢と雪城はぼそぼそと小さい声で会話を交わす。


 阪神大震災の発災から事態が緊迫しているとはいえ、現地で勝手に部隊を編成するなど、命令違反どころか反乱とも捉えられかねない。


「くそったれ、こんなバカなことしかできないのか、オレたちは……」


 雪城は昨日からずっと文句ばかりだった。防衛大時代からそうだったが、雪城は自衛隊に何を望んでいるのだろう。矢沢は冷めた目で雪城をちらりと一瞥した。


 直後、陸上自衛隊の隊員が海自隊員の集団に近づいてきた。矢沢はとうとう始まるのかと、複雑な感情を抱えながら陸自の中年2尉に目をやった。


「ここに集合してくれて感謝する。現時刻を持って、君たちは一時的に第3特科連隊の指揮下に入る。市民は救助を待っている、君たちの働きに期待する」


 矢沢を含めた海自の隊員たちは短く敬礼を行うと、すぐさまトラックや高機動車に乗り込んでいく。


 結局、呉地方総監の無茶は通ったようで、矢沢はトラックに揺られながら神戸市内へと入っていった。


  *


 港の状況も酷かったが、住宅地の状況は想像を絶していた。


 木造の建物はバラバラに破壊され、屋根が部屋を押し潰してしまっている。堅牢なはずのコンクリートの建造物も上層階や最下層は無事なものの、中間のフロアが砕け散ってハンバーガーになっている。中に人がいたらと思うと、矢沢は思わず目を逸らしてしまいたくなる。


 トラックは矢沢ら10名が乗るこの1台のみ。これからどこに向かうのだろうか。


 矢沢は雪城にそれを聞こうと思ったが、こいつも知っているわけがないと諦め、陸自の中年2曹に行先を聞く。


「すみませんが、この車はどこに向かっているんですか?」

「灘区の住宅地から通報がありまして、そこに向かうところです」

「そうですか、ありがとうございます」


 矢沢は短く礼を言うと、再び破壊された街並みに目を戻した。


 道路では人々が行き交っている。疲れたか茫然としたように力なく歩く者が多かったが、その中でも必死に瓦礫の撤去作業を行っている者や、弁当を手にしている者もいる。


 まるで爆撃されたかのような状況だったが、それでも人々はこの状況で生きていかなければならない。


 自分の家が突然地震で奪われ、路頭に迷うしかなくなった人々。一体どのような気分なのか矢沢には想像もできなかったが、それでも彼らに寄り添わねばならない。それが自衛隊員としての役割だと矢沢は思っていたからだ。


 使命? いや、違う。これは絆だ。


 大変な時にこそ、人々は助け合っていける。自衛隊はその手伝いをするだけだ。どれだけ政府や国民から悪く言われようと、自衛隊は国民を守っていくために活動する。そうすることで、日本が立ち直れるなら──


「おい、おい! 助けてくれよ兵隊さん!」


 ふと、矢沢の耳に掠れた男の声が聞こえた。そちらに目を向けてみると、ボサボサ頭の中年男がトラックに追いすがっているのが見えた。

 トラックはすぐに足を止め、矢沢の隣にいた陸自の2曹が声をかける。


「どうしました?」

「嫁と娘が家の下敷きになってんだ! 今すぐ助けてくれ! 消防の連中、手が回らないって言ってんだよう!」

「わかりました。すぐ近くですか?」

「あの家だ。なあ、頼むよう」

「掛け合ってみます。少しお待ちを」


 対応に慣れているのか、2曹はトラックの荷台を降りて運転席に顔を覗かせた。

 数分後、中年2曹は戻ってきて強気な顔を見せる。


「命令が出ました。5名がそちらへ向かいます」

「ああ、よかった……早く頼むよう!」


 ボサボサ中年男は満面の笑みを見せると、少し後ろへ駆け出して再度トラックに振り返る。

 トラックでは分派される隊員の選別が始まっていた。運転席にいた2尉が荷台に顔を見せると、てきぱきと隊員たちを振り分けていく。


「では、益子に相良、来海、それから──」

「お、オレたちも連れていってください! 必ず役に立ちますから!」


 そこに割り込んだのは雪城だった。目立つよう思い切り手を上げると、もう片方の手で矢沢の右手首を引っ掴んで強引に上げさせた。


「お、おい」

「行くしかねえだろ! ほら、降りるぞ」


 雪城は2尉から言われる前に我先に降りていく。こうなればもう止められないことを矢沢は知っていたので、諦めて渋々トラックを降りることにした。


「お前たちも手伝ってくれるのか。じゃあ、道具を少し持っていけ」


 2尉は嫌な顔をすることなく雪城に笑顔を送ってくれた。それと一緒にスコップや大型のペンチなどを渡してくる。


「感謝します」

「行ってこい」


 2尉がひと際強く言うと、雪城は頷いてボサボサ中年男や3名の陸自隊員と共に現場へと駆け出していく。


「ま、待ってくれ」


 矢沢は一言も口を挟むことができず、流されるままに雪城について行くしかなかった。

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