番外編 記憶の底から・覚束ない足取りで・その3
ボサボサ頭の中年男に連れられてやって来たのは、元の姿が全く想像できないほどに破壊された木造住宅だった。
黒い瓦葺きの屋根は辛うじて原型が残っているものの、その下の居住区画は完全に破壊されてしまっている。窓ガラスや檜材、漆喰といった破片がサラダボウルのように混ざり合い、もはや瓦礫の山と化していた。
「これは……冗談だろう」
「本当にまだ人なんているのか……?」
矢沢だけでなく、雪城も凄まじい破壊跡に絶句するしかなかった。
ここまで破壊された建物など見たことがない。強いて言えば、幼い頃の母親の写真や学校の教科書の、戦時中または戦後すぐの爆撃された街並みでは見たことがある。
しかし、これは現実だ。実際に眼前で建物が破壊され、人が取り残されている。この状況では生きているかどうかも怪しい、というよりあり得ない。
矢沢と雪城が茫然自失のまま棒立ちになっている横では、陸自の隊員たちがボサボサ中年男に話を聞いていた。
「奥さんとお子さんはどちらに?」
「し、寝室だ。ここから向かって右手前のっ、柱が飛び出してるところだ」
「承知しました。よし、行くぞ!」
益子と呼ばれていた中年の2曹は他の陸自隊員2名に声をかけると、すぐさま道具を持って作業に乗り出した。もちろん矢沢と雪城もそれに続く。
矢沢はすぐに動こうとしなかったことを恥じた。
陸自の隊員は、こういう状況にどう動けばいいかわかっている。現場の凄惨な状況にただ圧倒されていた矢沢と雪城とは違い、彼らは要救助者を助けるために、いの一番に自分ができる最善を尽くそうと行動を開始していたのだ。
経験の差、いや、意識の差だ。
海上自衛官として護衛艦まつゆきに配属されてから少ししか経っていないが、国防の意識はベテラン隊員にも劣っていないと矢沢は自負していたはずなのに。
しかし、そんなことはなかったのだ。ただ国を守るぞ、戦うぞ、と思うだけではダメだということを、この時の矢沢は悟った。
「よし、声掛けして生存確認をしよう。来海、やってくれ」
「いえ、私がやります」
益子は来海という3曹に命令するが、そこに矢沢が割って入る。
「わかりました、3尉殿にお願いします」
顎の薄い髭が特徴の来海は短く言うと、すぐさま瓦礫の撤去に入った。ここでも手が早いなと矢沢は感心していた。
なるべく瓦礫に近寄り、僅かに見える隙間に声を投げかける。
「おーい、誰かいるかー!?」
「……ぅ……ぁ……」
「そこか、そこにいるのか!?」
矢沢は瓦礫の中からほんの少し漏れ出た声を聞き逃しはしなかった。小さな女の子の声だ。
「声を聞いたぞ! この少し左奥だ!」
「そこは……カヨの部屋か!」
ボサボサ中年男が矢沢の肩を引っ掴むと、目一杯に顔を近づけてくる。いきなり組みつかれたことで驚き飛びのきかけたが、そうしては失礼だと理性が働き我慢した。
ひとまず、要救助者が生きていることははっきりした。ならば、すぐに助け出さねばならない。
矢沢らは作業を開始した。瓦礫の位置関係を把握し、慎重に瓦礫の撤去計画を立てていく。
もちろんスピードも重要だった。発災から既に1日が経過しており、小さな声を発した女の子とその母親は飲まず食わず、トイレにも行けずに家の瓦礫に縛り付けられているのだから。
現着から2時間後、ようやく瓦礫の本格的な撤去に入る。まずは少女の上に覆いかぶさっている屋根の一部を取り除き、崩れないよう踏み場所にも気を遣って作業を進めていく。
その時、グラグラと地面が揺れた。余震だ。
「ぅぅ……」
余震に怯える少女の声がハッキリしてきた。障害物が取り除かれ、声がクリアに届くようになっているのだ。
「よし、もうひと頑張りだぞ」
「矢沢、そっちは頼むぜ」
「これはそちらへ」
手早く、かつ慎重に。丁寧に瓦礫を取り除いて1時間後、ようやく矢沢の前に黒い長髪の可愛らしい少女が姿を現した。
「うあ……おかーさん……」
顔の右半分が血に染まり、頭だけを日の光の下に突き出していた。首から下はまだ瓦礫で見えないが、少女が入れそうな空間があることは確認できる。
問題は少女の右隣だった。布団があることはわかったが、そこには巨大な衣装タンスが横たわっていた。それも、やや床から浮いた状態で。
少女から見えない位置、衣装タンスの隙間から人の手が伸びていた。赤黒い血液がべっとりついたその腕は生気が感じられず、ピクリとも動いてはいなかった。
矢沢は少女のすぐ脇に降りると、横から少女を傷つけるような瓦礫がないことを確認する。
「今から助ける。少し待っていてくれ」
「うん……」
少女は頷くこともできないが、声だけは発することができた。矢沢は2尉から受け取ったペンチを瓦礫に挟むと、少女を引き出し始める。
「よし、すぐだ。いいぞ!」
矢沢はゆっくりと少女を引き寄せた。瓦礫に引っかかるのを防ぐために何度も確認を行いつつ、最後に足を外へと出した。
「要救助者1名救出!」
「よっしゃ! よくやったぞ矢沢!」
矢沢の心から叫んだ救出報告に、雪城が飛び上がって喜ぶ。陸自の隊員たちも歓声を上げつつ天にガッツポーズを見せつけたりもしていた。
そして、一番喜んでいるのは少女の父親らしいボサボサ頭だ。矢沢の下に駆け寄ると、救い出した少女の顔を覗き込む。
「よかったな、カヨ!」
「えへへ……お兄さんに、助けてもらっちゃった……」
少女はそれだけ言うと、安心しきったのか目を閉じて眠りに落ちた。衰弱してはいるものの、大したケガはないので命に別状はないだろう。
しかし、ボサボサ頭は不安げに続ける。
「それと、嫁はどうですか? どこにいるかわかりますか?」
「発見しましたが、既に……倒れた衣裳タンスの巻き添えになったようです」
「そんな……くそ、くそおっ……!」
男は固く握った拳で空を切ると、その場に崩れ落ちた。
少女は助かったが、母親はダメだった。
突如として奪われた命。この少女は、これから母親なしで生きていかねばならないのだ。
歳はおよそ12歳前後。中学生ではないことは確実だ。小学生にして母親を喪った辛さは想像するには余りある。
矢沢は瓦礫の山と化した少女の家から道路に出ると、再び家に向き直って手を合わせた。
せめて、少女の母親が安らかに眠れるように。
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