番外編 記憶の底から・覚束ない足取りで・その1

「そういえば、忘れていたな……」


 矢沢はため息をつきながら士官室のカレンダーを眺めていた。


 日本ではとうに2月の中盤に差し掛かっていたが、この年中通して温暖な気候であるアセシオン南部では全く実感が湧かなかった。


 冬が来ると、いつもあの時のことを思い出す。


 あの時は冬にしては比較的暖かかった。海自に入りたてだった矢沢の初めての任務がその時のことだったこともあり、あの時のことは鮮明に思い出せる。


「待ってよー!」

「イヤやー!」


 その時、ドンと壁を叩くような音がしたかと思うと、瀬里奈と奴隷商人バリーの娘2人が士官室へ飛び込んできたのだ。続いてアメリアと広報担当の美翔祐樹1等海士が駆け込んでくる。


「っと、艦長。お疲れ様です」


 20代にしては老け込んだ30代くらいの強面をしている美翔は、矢沢に気づくなり追跡をやめ顔を引き締めて敬礼する。


「ああ、ご苦労。それより、あの子たちをどうにかしてはくれないか」

「全く、言うことを聞かないんですよ。はぁ……」

「そうですよヤザワさん! もうどうにかしてください!」


 美翔とアメリアは口々に文句を言う。頼りない2人に呆れた矢沢は、仕方なく直接瀬里奈らを叱りつけることにした。


「瀬里奈! ハンナ! エリザベス! いい加減にしないと艦を追い出すぞ!」

「うっ……」


 矢沢の強い気迫に圧され、瀬里奈とバリーの娘たちはその場で硬直してしまう。この様子では美翔もアメリアも甘い対応をしていたのがわかる。


「いいか、この艦は戦闘艦だ。本来は民間人がいてはいけない場所であることを忘れるな。君たちには見学を許可しただけだ、遊び場所を与えたわけではない。理解できないなら海に投げ出してもいい」

「うう、カンニンしてーな……」

「はぁーい」

「ぶー!」


 瀬里奈は怯んでしまうが、長女のハンナはウェーブがかかったブロンドの長髪を揺らしながらそっぽを向き、次女のエリザベスに至っては短髪で活発そうな外見に違わず舌を出して挑発してくる。


 アセシオンの脅威が無くなってからは、瀬里奈やバリーの娘たちだけでなく、暇な時はアクアマリン・プリンセスの乗客や元捕虜にもあおばを一般開放している。バリーの娘たちはそれで艦に乗っているのだ。

 しかし、立入禁止区域に指定されている士官室で勝手に暴れられるのは困る。士官室には艦内点検をしていた矢沢しかいなかったのでまだいいが、これが機関室となれば即座に罰を与えていたところだ。


「いいか、軍艦には兵士しか乗っていない。戦う艦に民間人を乗せて、巻き込ませるわけにはいかないからだ。もし民間人を乗せて戦闘で死亡すれば、自衛隊の存続にも関わる」

「ほな、うちらの時はどうなん? 船がドラゴンにやられた時はうちもこの船に乗せてもろたで」

「それは緊急時だったからだ。今も広報を目的とした一般開放の名目で開放している。そうでなければ、おいそれと艦に子供を乗せるわけがない」


 矢沢が叱りつけると、さすがに瀬里奈たちは大人しくなった。バリーの娘たちはまだ反抗的なきつい目をしていたが、暴れなければそれでいい。


「あーあ、おもんな。おっちゃんがなんかオモロい話してな」

「そうそう、そのくらいサービスしてよね」


 瀬里奈とハンナは一斉に文句を飛ばす。ハンナはどうか知らないが、瀬里奈はロクに話を聞かないので矢沢としても気乗りしないのが実情なのだが。

 しかし、アメリアはそれに反応して矢沢に笑みを向けてくる。


「そうですね! 私にもお話を聞かせてください!」

「アメリアまで……美翔、3人の監視を頼む。話に飽きてきたら、そこのドリンクサーバーからジュースを出してやってくれ」

「ええ、了解です」


 美翔は口元を緩めながら返答する。彼も話を聞く気が満々のようだ。


「そうだな、確かに緊急時はやむを得ず護衛艦に部外者を乗せることはある。その時は、被災者に入浴支援をした時で──」


  *


「っ!?」

「くそ、何だ!?」


 寝間着から冬の制服に着替えていた矢沢と同期の雪城は、突然の揺れに驚きベッドの柱に掴まった。

 家具が倒れるほどではない。せいぜいテーブルの上に置きっぱなしにしていたコップの位置が揺れ動くほどだ。

 外泊許可は取っており、帰着時刻もまだ先ではあったが、それでも状況が気になる。矢沢が迷うことなくテレビをつける。

 ちょうどニュースをやっていたようで、矢沢と雪城はテレビ画面にくぎ付けになる。


『えー、関西地方の広範囲に強い揺れがあったようです。京都、彦根、豊岡で震度5、姫路、大阪、呉などで震度4を記録しており──』

「大きな地震があったのか。雪城、どう思う?」

「そりゃ、非常招集がかかるかもってことか?」


 矢沢に話を振られた雪城は顔をしかめた。震度4程度であればそこまで大きな被害が出ているわけでもなさそうだが、矢沢の考えは違っていた。


「俺は非常招集があると思っている。この範囲を見ろ、どう見たって震度5程度で収まるものじゃない。災害派遣だって──」


 矢沢の言葉を遮るように、テレビの脇に設置された内線電話がけたたましく鳴り響いた。このホテルのフロントから連絡があるようだ。雪城は迷うことなく電話を取り上げる。


「はい、どうしました?」

『雪城様、矢沢様、自衛隊から非常招集があると──』

「わかった、繋いでくれ」


 電話に応対する雪城の会話から察するに、自衛隊から非常招集がかかったようだ。矢沢は急いで着替えを済ませると、話を切り上げ電話を置いた雪城を急かした。


「やはり非常招集か」

「ああ。神戸ででかい地震があったってさ。オレたちもすぐに派遣されるかもしれない」

「わかった、すぐに行こう」


 矢沢と雪城は準備を終えると、逃げるように部屋から駆け出し、基地から借りていた自転車を息が切れても漕ぎ続けて、すぐ近くにある海上自衛隊の呉基地に到着した。


 2人の乗艦である護衛艦まつゆきには、他にも艦に乗り込む隊員たちが見受けられた。

 既に自衛隊の活動は始まっている。災害派遣要請が出れば、すぐにでも出動する。


 これから始まるであろう災害派遣。きちんと対応できるのかという不安が頭によぎっていたが、体はそんな不安など気にすることなく艦のラッタルを登っていた。

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