番外編 嫁探しブラザーズ・その3

 ゴブリンの兄に助け起こされた少女は、疲れた様子で近くの木の根元に座り込むと、大きく息をついた。そして、手で顔を覆うと、しばらく動かなくなってしまう。


「……おい、どうした?」

「まさか、死んだりしてないよナ?」

「そんなバカな」


 兄と弟は一様に心配して少女の顔を覗き込む。すると、少女は顔を上げ、三白眼を作り兄と弟をじろりと見つめた。


「近づかんといて」

「命の恩人に対してその反応は悲しいな」

「……せやな、ごめん」


 少女は目を逸らしながらも、頬を染めながら頭を小さく下げた。まだ信用はしていないものの、一応恩義は感じている、といったところか。


 ならば、サラミ戦術で懐柔できる。少しずつ信頼を獲得していけば、いずれ子をなしてくれるかもしれない。ここで諦めるわけにはいかないのだから。


「オレたちは別の大陸から来た。君はどこから来たのだ?」

「うち? うちは……ずっと遠いところ、やな」


 少女はポツリと小さく、そして短く言った。どこか寂しげなその姿は、隙を見せているようにも見える。


「そうか。仲間はいないのか? こんなところを女の子が1人で歩くのは大変だろう」

「そうでもあらへんよ。うち魔法使えるし、仲間も近くにおる……はずや」

「だが、魔物への知識は不足しているだろう。その仲間の下へ戻るのなら、オレたちが護衛しよう」

「オイラだって使えるんダ! どっちが強いか勝負スル?」

「別にええわ」


 弟が割り込んだせいで、少女がどちらに返答したのか兄にはわからなかった。弟は「ソッカ……」と呟きながらしょんぼりしていたが、ここは聞いてみないことにはわからない。


「すまない、どちらへの返事だったのだ?」

「勝負の方や。相手にならんと思うで」


 少女はぶっきらぼうに言う。兄弟を恐れているというわけでもなさそうなので、自分が優位と判断しているのだろうか。


 オスのゴブリン相手に言われれば逆上して強引に勝負を仕掛けるところだが、相手は未来の番い候補。ここで心を離れさせてしまうわけにもいかなかったので、兄は見下されたことに対する怒りを抑えざるを得なかった。弟はそう思わなかったようだが。


「クソ! この女、オイラたちがどれだけ強いのか知って──」

「勝負したところで何になる、このバカ」


 案の定怒りに任せて腕に魔法陣を出現させた弟を、兄は頭を殴って黙らせた。ここで話をややこしくされてはかなわない。


「強いかどうかは問題じゃない。この辺りに詳しいかどうかだ。オレたちはこの森を半年間歩き回り、地形や魔物の縄張り、飲み水の場所をある程度把握している。先ほどのウーズよりも強い敵は幾らでもいる。仲間の居場所さえ教えてくれれば、そこまで案内しよう」

「……ま、せやな」


 少女は小さく頷くと、すっと軽やかに立ち上がった。


「わかったわ。おっちゃんらの船は砂浜の近くに停まってんねん。その砂浜の場所がわからんようなって……」


 少女はまたもや目を逸らしながらも、仲間の場所のヒントを教えてくれる。彼女の様子からして、やはり迷ったことで不安を覚えていたと見える。


 ならば、できる限り仲間の下へ到着するのを遅らせつつ、その間に少女と親交を深めておく。そうすることで彼女の翻意も期待できるだろう。

 しかし、弟は怪訝な顔を兄に向け、耳打ちをしてくる。


「アニキ、どうするのサ? 仲間のところに連れていったら、それこそダメじゃナイ?」

「その間に翻意を促す。できなくとも、もしかすると人族とのパイプができるかもしれないだろう」

「ソウカ、そういうことナノカ」


 弟は何度も首肯するが、本当に理解できているわけがない。とはいえ、これで黙ってくれたことを感謝しつつ、兄は少女に声をかける。


「では行こう。ビーチの近くならば、候補は絞られている。4日程度で着くだろう」

「そんなにかかるんかいな!?」

「危険な場所の迂回や、飲み水と食料の確保を含めるとそのくらいはかかる」

「うー……しゃーないな」


 少女は不満そうだったが、兄の説明に納得してくれたようで苦笑いしていた。


「ほな、決まりやな。うちは大橋瀬里奈、自分らは?」

「うん?」


 兄は少女が何を言っているのかよくわからず、首を傾げてしまう。


 聞いたことのない単語は理解できない。この大陸に来てからは、常にこの大陸のゴブリンと意思疎通を図るために翻訳の魔法を使っている。それでも理解できないということは、彼女ら独自の言葉だろう。


「アニキ、こいつ何と言っタ?」

「わからん。オオ……なんとか」

「大橋瀬里奈や、おおはし、せりな!」


 少女は呆れた様子で何度も繰り返すが、それでも兄と弟は首を傾げるしかなかった。


「オオハシ……それがどうかしたか?」

「名前や名前! 知らんの!?」

「名前……ああ、人族には個人に名前というものをつける文化があると聞いたことがあるな」

「ナマエ? 何だそれハ?」


 兄は記憶の底から聞いた話を引っ張り出してくる。弟は知らなかったのか、やはり理解できていない。


「個人を識別するためにつける呼び言葉と聞く。ゴブリンにはつけないからな」

「アア、それもそうだナ」


 兄と弟は互いに顔を合わせ、うんうんと頷き合う。彼女は名前を言っているのだと、今やっと理解できたのだ。


「すまないな。ゴブリンに名前という文化はない。オオハシセリナ、今からよろしく頼む」

「瀬里奈でええよ。にしても、名前があらへんなんて変わっとるんやな」

「それがオレたちの普通だからな」


 兄は笑みを返すが、瀬里奈は釈然としていない様子だった。しばらく考え込むしぐさをすると、おもむろに兄と弟に目を向ける。


「せやな。ほな名前つけたろか! そっちのマッチョはムキムキン、そっちのデカ腹はハムマンな」

「……」


 兄は脈絡もなくつけられた名前に閉口するしかなかった。


 あまりにもダサすぎる。


「失礼ナ! オイラはハムじゃナイ!」


 弟も怒りで震えている。セリナとの子作りには興味があるようだが、本人に対してはさほどいい感情は抱いていないのだろうか。


「えー、それでええ思うたのに」

「別にいい……」


 これ以上話をこじらせても仕方ないと感じた兄は、早々に歩き始めた。弟も兄にピッタリくっついていく。


「あ、待ってーな!」


 置いて行かれると感じたのか、セリナは慌てて2人へついて行った。

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