番外編 嫁探しブラザーズ・その1

 アルルの大森林には数多くの生き物が生息している。

 それ故に、生存競争も熾烈を極めている。食う者もいれば、食われる者も当然ながら存在するのだ。生存競争に負けた者は淘汰される。それがこの森における唯一かつ絶対のルールと言える。


 もちろん、取って食うだけが生存競争ではない。雌雄が存在する生き物は、当然ながら番いとなる相手を見つける必要がある。子孫を残さねば、遺伝子はそこで途絶えて淘汰されてしまうからだ。


「アーア、今日も空振りだったなァ」

「しつこいぞ、全く」


 森の獣道を歩きながらため息をついているのは、突き出た腹を揺らしている背の低いゴブリンだった。その隣では、頭1つ分高い背丈を持ち、鍛え上げられた鋼の筋肉を恥ずかしげもなく見せつける別のゴブリンが、よく磨き上げられた両刃の戦斧を地面に擦りながら並んで歩いている。

 この2体も、いわば生存競争で淘汰されかかっている哀れなゴブリンの兄弟だった。


 荒くれ者故にゴブリンの里を追い出され、海を渡ってスタンディア大陸にやって来たのはいいが、番いとなるメスのゴブリンを全く見かけることもなく、ひたすら森の中を探し回っていた。


 遭遇するのはオスのゴブリンだけ、おまけに故郷では考えられないほど粗暴で知性の低い連中しかいない。これが本当に同族かと思うと絶望感と苛立ちを感じずにはいられないが、用があるのは奴らではない。筋肉質の兄とブヨブヨ腹の弟はすぐにその結論に達し、ただメスのゴブリンを探すことに集中した。


 しかし、スタンディア大陸に上陸してから半年、メスのゴブリンなど全く見つけることができなかった。襲ってくるオスゴブリンの巣を探せばいるのだろうが、そこに突っ込むということは、彼らと戦争になることを意味する。そうなれば一瞬で叩き潰されるのは目に見えていた。ゴブリンは普通なら30匹前後で群れを作る。あまりに数が違い過ぎる。


「アーア、どこかに都合よく野良のメスゴブリンがいたりしないかなァ。めっさカワイイといいんだけどナ」

「そんな都合のいい奴がいるかよ。この際だ、えり好みなんぞできるかよ」

「えり好みしないなら、人族でもいいんじゃナイ? 子供は産めるんだしサ」

「人族? それこそ自殺行為だ。街に行けば容赦なく狩りつくされるんだぞ。しかも生まれるまでの期間はゴブリンの3倍だ」

「アー、そりゃそうだナ」


 弟は肩を落とし、大きな腹をひと際大きくブヨンと揺らした。


 人族とゴブリン族が結婚して子供を儲けたという伝説は幾つか聞き覚えがある。ただ、人族はゴブリンと交わることを極端に嫌がる上、妊娠期間は10ヶ月と、ゴブリンに比べて3倍の期間が必要となる。女が無防備になる期間が長いということは、オスへの負担も大きくなるということだ。


 とはいえ、チャンスがあるなら選択肢としては悪くない。純血ではなくなってしまうが、受け継ぐ血はゴブリンのそれが色濃くなるからだ。

 ただ、そのチャンスはゴブリンのメスとの遭遇率より少ない。人族の女は1人で街の外を出歩くことを禁止されているとも聞くからだ。


 そんなにすぐ出会えるわけが──


「ふぇっくしょい!! あー、風邪引いたんかな」


 兄が思考を巡らせていると、唐突に前方から大きなクシャミが聞こえてきた。それは周囲の小鳥たちを退散させるには十分な大きさを持ち、兄と弟の体をビクリと震わせるには十分な奇襲効果があった。


「っ、誰だ! 姿を現せ!」

「うわ!?」


 前の茂みがひと際大きな音を立てると、同時にゴブリンのオスとは全く違う声が兄と弟の耳朶を打った。


「3度は言わんぞ、姿を見せろ」

「わ、わかったから何もせんといてや……」


 声の主は茂みをかき分けて姿を現した。その正体を見るや、兄と弟は唾を呑み込んで彼女の姿を眺めた。


 ベージュの肌に黒い髪、弟ゴブリンよりやや高めの背丈。衣服は子供用のワンピースにも似た、白と黒の着物。どこからどう見ても、人族の少女だった。


「おいおい、冗談だろ……」

「お、女じゃナイカ! すごい収穫だアニキ!」


 兄はただ呆れるばかりだったが、弟は人族の女を前に飛び上がって喜んでいた。


 こんなところに人族の子供が1人でいるなど、罠か何かの間違いだ。ゴブリンを狩るための餌か、それとも食用に供するレゼルファルカの誘引用か。いずれにせよ、怪しいとしか思えない。

 だが、弟はそんなことなど全く考えていないのか、少女に全力ダッシュで近づいていく。


「お、おい待て!」


 兄は引き留めたが、それでも弟は止まらない。ひたすら見えない糸に引かれるように少女へと一直線に向かっていく。

 少女も黙ってそれを見ているわけではなかった。恐怖で顔を引きつらせながらも、魔法防壁を解放して魔法陣を展開する。明らかに攻撃動作だ。


「待て、止まれ!」

「近づくなやアホ!」


 兄の制止も聞かず、少女の怒声にも無反応。弟はひたすら少女に近づき、目と鼻の先までたどり着く。


「っ……!」


 少女が何らかの魔法を放とうとしたその時、弟は地面に手をつき、四つん這いになった。急に取った謎の動作に驚いたのか、少女は魔法の発動をやめ、一歩引いて弟の様子を見やる。


「な、何やねん……」


 少女が当惑する中、弟は四つん這いのまま、ありったけの大声を腹の奥から絞り出した。


「人族の女、ぜひともオイラの子供を産んでクレー!!」

「……はぁ?」


 少女は弟の全力投球に冷や水を浴びせるかのように、冷たくあしらった。

 弟はそのまま固まって動かなくなり、しばしの間冷たい空気が森の中を流れた。

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