200話 夕闇に昇る太陽

 矢沢があおばに帰還して3日後、首都にいた居残り組も高機動車で戻ってきた。これで出撃していたあおばの全乗組員が艦に帰ったことになる。

 今回の停戦協議について乗組員全員に報告するため、矢沢は後部飛行甲板に自衛官を集め、自身は艦尾の自衛艦旗を背にして隊員たちの前に立った。


 こうして見れば、隊員たちがまとう雰囲気が出港前とは大きく変わっていることに気づく。精強無比の自衛隊、といった空気ではない。あらゆる意味でこの世界に慣れてしまい、諦めたような、覚悟を決めたような、絶望しているような、まだ希望が残っていると信じたいかのような、万感の思いを秘めた瞳の数々が矢沢に視線を投げかけていた。


 その中で特に異質なのは、隊員たちに紛れて休めの姿勢を取るアメリアだった。隊員たちと似たような雰囲気を目に湛えた隣の銀とは違い、アメリアだけは晴れやかな表情を矢沢に向けている。


 日本人にとってこの旅は、何も楽しいことなどない苦痛に満ちたものだっただろうが、アメリアにとっては素晴らしいものを得られた旅だったのだろう。ここには参加していないが、ロッタとフロランスにとっても同じはずだ。


 我々日本人が同じ表情をできる日は来るのだろうか。矢沢は胸に芽生えていた一抹の不安を押し殺しながら、マイクの電源を入れる。


「諸君、半年間の苦しい活動を経て、我々は1200名の邦人を取り戻すことに成功した。既に客船への帰還作業は始まっている。これも、諸君らの努力の賜物だ。何もかもが初めて尽くめで暗中模索の中、よく頑張ってくれた。戻ってきた全ての邦人に代わり、私から礼を述べたい。本当にありがとう。そして、これからも日本への帰還手段の捜索と邦人奪還は行っていく。皆で再び日本の土を踏むため、我々幹部もできる限りの努力を行っていく。諸君ら兵曹には、一層のこと奮励努力を期待する。そして、協力者の皆様には、日本を代表して私から感謝の言葉を贈らせていただきます。本当にありがとうございます。以上」


 言いたいことは言い切った。矢沢はマイクの電源を切ると、隊員たちに気づかれないよう小さく息をついた。


 拍手もなく、話し声さえ聞こえはしない。それはこの『護衛艦あおばという組織』が決して烏合の衆ではなく、統率が取れた部隊であることを示している。


 だが、やや俯き気味の者、目を逸らしている者、険しい表情を浮かべている者。軍隊という組織にしては、反応があまりに暗く鈍いものだった。


 もしかすると、後は全てエリアガルドらジンに任せて、我々はもう何もしない方がいいのではないか?


 そんな思考がよぎってしまったが、そうするわけにはいかない。苦しんでいる邦人たちは、我々の手を待っているはずだからだ。


  *


 森林と海の狭間、そして地平と空の狭間。その十字を通るように、今日の太陽が沈んでいく。

 矢沢が艦首甲板で巡検をしていると、アメリアの姿が舳先にあった。落下防止柵に足をかけ、国旗を降ろしたばかりの旗竿に掴まって身を乗り出し、太陽の方をじっと眺めている。危ないと思い注意しようと声をかける。


「アメリア、危ないぞ」

「ふぇ!? あ、はい……」


 アメリアは体を震わせて驚いたが、矢沢だとわかると、すぐに胸に手を当てて大きく息を吸い、心を落ち着けた。


「こんなところで何をしている? 今は巡検の時間だ、君も私物の整理をしたらどうだ?」

「それは既に終わりました。そもそも私物と言っても少しの服と日用品だけですから……」


 アメリアは苦笑いしながら言う。普段から全く同じ紫の文様入りの白ワンピースしか着ている様子が無いのだが、他に服があったのか。


 それはそうと、アメリアはそれから黙り込んだまま、矢沢を見つめていた。当の矢沢は気恥ずかしさ混じりの居たたまれなさに耐えられなくなり、アメリアにやや声を低く話しかける。


「どうした、私の顔に米粒でもついているのか?」

「いえ、そうじゃありません。ただ……本当にうれしくて」


 アメリアは照れ臭そうに頬を染めて矢沢に笑いかける。突拍子もない話に、矢沢は思わず首を傾げる。


「どういうことだ? 私が何かしたのか」

「今までずっと、私のことを助けてくれました。村での一件、病気のこと、失敗した時も慰めてくれて、覚醒のきっかけもくれて、こんな私を……っ、本当に、ありがとうございますっ……!」


 アメリアは言葉を発する度に涙声になり、ついには言葉を詰まらせつつ、言い終えると深々と頭を下げる。


 思えば、アメリアはオルエ村で不当な扱いを受けていた。村のために命を投げうって戦いながらも、村人からは拒絶される毎日。それが垣間見れた時、矢沢は彼女に協力したくなっていた。

 出過ぎたマネだとわかってはいた。しかし、それでも彼女は恩人なのだ。無下にはできなかったし、個人的にかわいそうだと同情していたのもある。


 しかし、村を出てから彼女は一変した。吹っ切れたわけではない。素の彼女、抑圧されていた牙が露わになり、アセシオンやエルフといった敵に憎悪を向けていた。

 助けてあげるという以前に、彼女には居場所が必要だと思ったのだ。だからこそ、矢沢はアメリアを仲間として迎え入れたし、半ば自衛隊員であるかのように振舞った。


 それ以外のことはよくわからない。だが、この一連の出来事の中で、アメリアは自分なりに答えを見つけ、自分の力に変えていった。それは紛れもなく、アメリア自身の選択と努力の結果なのだ。


 おんぶにだっこではない。彼女は彼女自身で未来を決め、そして掴み取った。それだけのことだ。礼を言われる筋合いはないと思っているし、逆にこのような事態にアメリアを巻き込んでしまったことを謝罪する必要さえ感じていた。


 それでも、アメリアは矢沢に感謝の言葉を述べた。それは紛れもなく矢沢らへの感謝の表れであるし、それを断ってしまえば、アメリア自身が感じている多くのことを否定してしまう気がした。


 言いたいことは幾つもあったが、それでも矢沢は多くの言葉を呑み込み、一言に全てを詰め込んだ。


「構うことはない。君がこうして元気になってくれただけで、私はとても嬉しい。顔を上げてくれ」

「はい……っ!」


 アメリアは涙で濡れそぼった顔を見せると、今までで一番素晴らしい笑顔を見せてくれた。

 今日の太陽は沈むが、アメリアの笑顔は頭上で明るく輝くもう1つの太陽だ。日没に現れたもう1つの太陽の光をこの身に受けながら、矢沢は口元を緩めるのだった。

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